「交響曲・銀河英雄伝説」


 最良の専制君主に支配された専制国家と、堕落しきった政治家による衆愚政治へと陥った民主主義国家とでは、どちらが良いか −。
 これほど解答の難しい問題も少ないでしょう。 そしてこれこそが、銀河英雄伝説 (略して銀英伝) のテーマの一つだ、と思います。
 数年前、知り合いの女性と話していて、クラシックの話題から 「銀英伝」 の話になりました。
 「ああ、知ってる。 黄色い髪の人と黒髪の人が出てくるでしょ。 (うんうんと嬉しそうに頷く私) で、どっちがええ方なん?」
 ここで私は絶句してしまいました。 そこが決められないところが、銀英伝の良いところでして。
 ちなみに本稿とは何の関係もありませんが、その時が彼女との最後のデートとなりました(爆)。

 んなこたあ置いといて……。


 映像版 「銀河英雄伝説」 の特徴の一つは、クラシック音楽をふんだんに使用していることでしょう。 そのためもあって、音楽と密接に結びついた名場面が沢山あります。 銀英伝のおかげで、それまで見向きもしなかったクラシックにはまってしまった友人もいます。


 映画 「わが征くは星の大海」。 このビデオが、銀英伝との最初の出会いでした。
 オープニングはマーラー交響曲第3番第1楽章、これがあまりに印象的で、銀英伝のテーマといってもいいような雰囲気です。
 惑星レグニッツァの戦いで流れるのは、ニールセン交響曲 「不滅」 第4楽章。 実はこの曲はそれまで日本では演奏されたことが無く、この映画が日本で最初の演奏となったそうです。 ちなみにこの曲には、第一次大戦で国は疲弊しても、それでも人間は不滅なんだ、という願いが込められているそうです(※1)。
 第4次ティアマト会戦では、ラヴェルボレロが流れます。 同盟軍が陽動作戦を見破られてからのシーンでは、真空なのにドカンボカンと轟音が響くというSFアニメにありがちな矛盾もなく、宇宙空間にふさわしく物音一つない無機的な戦闘シーンになっています。 そして心の内面を象徴するかのごときボレロにのり、攻勢をかける帝国艦隊。 しかし智将の機転により、ボレロは終わりを告げます。


 OVA版第15話、「アムリッツァ星域会戦」 では、ドヴォルザーク交響曲第9番 「新世界より」 第4楽章を最初からぶっとおしで流し、これが映像と見事にマッチしています。
 そして、惑星リューゲン上空での、同盟軍第10艦隊と黒色槍騎兵艦隊の戦い。 形勢不利と見て取った第10艦隊のウランフ提督は、第4楽章のクライマックスにのって敵艦隊の一角を突き崩し、突破口を開いて艦隊を脱出させていきます。 そして旗艦〈盤古〉も続こうとした瞬間、命中弾を受け、ウランフ提督は戦死してしまいます。
 これは同盟軍にとって最大の損失の一つだったでしょう。 ウランフ提督は少ない軍勢でほぼ互角に戦い、そしてあの猛将ビッテンフェルトでさえ一瞬ひるむほどの猛攻で、突破口を開いたのです。 もしもこの時 《盤古》 が撃破されていなければ、この後の歴史も多少は (あるいは随分) 変わっていたに違いありません。
 余談ですが、OVA版では、アムリッツァ星域会戦で第8艦隊の旗艦 《クリシュナ》 が撃破されたとき、アップルトン提督は退艦の勧めを断って、艦と運命を共にしました。
 なぜ提督は退艦しなかったのでしょう。 この戦いの後、同盟軍は人材不足に悩まされるのです。 第8艦隊は前哨戦で全滅を免れ、とりあえずはアムリッツァにたどり着くことができたのです。 まったくの無能者とは思えません。
 アップルトン提督には生き延びてほしかった。 そして、この後も長い間苦労を強いられるヤンやビュコックを助けてあげてほしかった、と思います。 その点、バーミリオン会戦で退艦するとき、残ろうとする艦長を一緒に退艦させたミュラーは偉い!


 アスターテ会戦は、OVA版の第1,2話と、劇場公開映画 「新たなる戦いの序曲」 の両方で描かれています。 内容はほとんど同じなのですが、ストーリー展開のテンポと音楽の種類から、私の好みで 「新たなる戦いの序曲」 の方に注目しましょう。
 第2艦隊がラインハルト艦隊と遭遇してから、旗艦〈パトロクロス〉が被弾するまでに流れるのが、ブルックナー交響曲第8番第4楽章。 第2艦隊の不安な雰囲気と、熾烈な戦いの幕開けにふさわしい、壮重な曲です。
 緒戦で先手をとったラインハルト艦隊は、チャイコフスキー交響曲第6番 「悲愴」 第4楽章をバックに突入します。 まさにラインハルト艦隊の士気の高さにふさわしいBGMです。
 この時、《パトロクロス》 はまず眼前に現れた戦艦 《ワレンシュタイン》 を撃破し、その背後から現れた 《ケルンテン》 と主砲撃ち合いの末、舷側をこすりながらすれ違っていきます。 この会戦の迫力ある見せ場の一つでしょう。 しかし宇宙船ってそんなにゆっくり航行してるんだろうか ( 「回避せよ!」 って叫んで間に合うぐらい……) ってな野暮な話はともかく……。
 中央突破戦法を試みるラインハルト艦隊に対し、ヤンはそれを逆手にとって背後へと回り込みます。 ラインハルトはそこで急速回頭せず、大きく回り込んで同盟軍の背後を取ろうとして、互いを追いかけあったため、ついには両艦隊がリング状になっていきます。
 ここで流れるのが、シューマン交響曲第4番第4楽章。 智将の思いがけない作戦で、クライマックスの旋律と共に、(ヤン以外は) 誰も予想しなかった、奇想天外な陣形が形作られていくのです。 その流れるような旋律は、同盟軍大逆転の驚きと、両軍の艦艇がリング状に流れていく様を見事に象徴しているように思います。


 OVA版第79話、「回廊の戦い (前編) 」。
 アッテンボローによってイゼルローン回廊に誘い込まれた黒色槍騎兵艦隊が、半包囲体勢を崩すべく中央突破を敢行するところから流れるのが、ショスタコービッチ交響曲第5番 「革命」 第4楽章。 「革命」 と言うと、アッテンボローにふさわしい曲ですねえ。
 艦隊戦をやりながら、ビッテンフェルトとアッテンボローが繰り広げる舌戦は笑えます。
 銀英伝のラスト近く、もしも帝国議会が開催されたら、アッテンボローは野党勢力の代表として席を占めるかも知れない、とユリアンが想像しています。 案外、議会で再びこの二人が舌戦を繰り広げてたりして。


 ところで音楽といえば、クラシックではありませんが、同盟国歌 「自由の旗・自由の民、レボリューション・オブ・ザ・ハート」
 OVA版第3話のアスターテ戦没者慰霊祭で、戦争を賛美する国防委員長ヨブ・トリューニヒトに対し、婚約者を失ったジェシカ・エドワーズが糾弾の声を上げます。

「委員長、あなたはどこにいます? 死を賛美なさるあなたはどこにいます? (中略) あなたの演説には一点の非もありません。 でも、ご自分がそれを実行なさっているの?」

 警備兵によってジェシカが連れ去られた後、トリューニヒトは同盟国歌を斉唱させます。 なんと醜悪で、吐き気をもよおす光景でしょうか。 長大な銀英伝の中でも、おぞましいシーンのベスト10以内には十分入るでしょう。
 その一方、第86話 「八月の新政府」 ラストで、イゼルローン共和政府の樹立宣言と共に、同盟国歌が斉唱されます。 この場面は、銀英伝の中でも感動的なシーンのベスト10以内に入るのではないでしょうか。

 まったく同じ曲なのに、この違いは何なのでしょう。
 言うまでもありません。 同じ曲であっても、何のために歌うのか、それによってまったく違ったものになってしまいます。
 どこぞの国のお偉方は、卒業式で国歌と国旗を崇めさせることに随分ご執心のようです。 しかし国旗とか国歌は強制するものではなく、放っておいても国民から愛されるような国にすることが先ではないでしょうか。 それを強制しなければならないのは、要するに愛される自信がない、ということではありませんか?
 たとえば、私が異性の前に立って 「私を愛せ」 などと強制する権利は、どう間違ってもある訳ありません。 それが、「私」 が 「国家」 に変わった瞬間、そんな権利が無条件に発生すると思っているのでしょうか。 どうか、強制するよりも愛されることを考えてほしいものです。

*            *            *

 一連の映像もの銀英伝によって、交響曲と宇宙艦隊がよく合うことが示されたように思います。
 しかしこうして見ると、第4楽章が多いな……って、半分は私の趣味。 そして一般に、交響曲は最終楽章である第4楽章がクライマックス、というのが多いこともあるでしょう。
 ではなぜ、交響曲がよく合うのでしょう。


 交響曲とは、大勢の楽器がそれぞれの音を奏でつつ、全体として一個の壮大なまとまりを生み出す芸術です。 これは、提督という指揮官の元で、無数の宇宙艦が個々の働きをしながら、艦隊全体としての作戦行動が生み出されていく様と似ていないでしょうか。
 もちろん、戦争と芸術を比較することの愚かしさは承知しています。 艦隊戦の恐ろしいところは、全体としての作戦行動に気を取られると、それを構成する無数の艦とその乗員が見えなくなってしまうところです。
 銀英伝の優れた点は、登場人物たちがそのことを気にし、また映像的にも時折そうした場面を示した点でしょう。 たとえばバーミリオン会戦では、残酷な最期を遂げる両軍の無名の兵士たちがリアルに描かれています。 原作ではあっさり描かれていますが、この点が気になっていたスタッフの方が、意識的に思い切って描かれたそうです(※2)。
 観る側としても単純に面白がるだけでなく、そうした面を忘れてはならないでしょう。


 あるいは −。
 ヤンとラインハルト、それぞれが指揮者であり、銀河という巨大なホールで、両軍の多彩な人材が、歴史という交響曲を奏でていく。 宇宙艦隊のみならず、「銀河英雄伝説」という作品そのものが、一つの壮大な交響曲なのかも知れません。
 ヤンとラインハルトがタキシードでも着て、それぞれのオーケストラを指揮する光景……。 想像すると、なかなか楽しめます。
 それぞれのキャラはどんな楽器がいいでしょう。 パトリチェフはホルン、ムライさんはチェロ、フレデリカはクラリネットとか…。
 帝国側は難しいですねえ。 みんなイイ男すぎて、その分個性が少ないというか…。 メックリンガーなんてそのまんま過ぎて、どれでもこなせそうな。 あ、でも、ビッテンフェルトはやっぱりティンパニでどうでしょう。


 考えてみれば、現実の社会もまた、大勢の人間がそれぞれの生活を営みながら、社会全体として巨大なシステムが稼働しています。 社会は一つの生き物、などとも言われますよね。
 ただ銀英伝と異なるのは、現実社会はある意味で 「指揮者不在の舞台」 です。 政治の混沌、指導力不足、政治的無関心……しまいには、皆が勝手な音を出しまくる、まとまりのない騒音世界となっていくのでしょうか。
 いや、実は指揮者はいます。 少なくとも民主主義国家では、国民一人一人が指揮者です。 といっても、文字通りに皆がてんでにタクトを振ると、収拾がつきません。 しかし、指揮者を選ぶという意味で、やはり一人一人が「指揮者の指揮者」なのだと言えるでしょう。
 銀河連邦では、指揮をルドルフという一人の男に任せ、皆が指揮者たることを放棄してしまったため、専制国家を生み出してしまいました。 銀英伝で繰り返し語られるメッセージです。


 先ほど、銀英伝は大勢の登場人物によって奏でられる壮大な交響曲ではないか、と書きました。 しかし銀英伝の中では、幾人もが演奏途中で退場を余儀なくされました。 指揮者さえも。
 それこそが単なる音楽演奏とは違うところであり、そして銀英伝が最大の問題の一つとして提示している点です。 いい人、罪のない人が死ななければならない、それこそが戦争の最大の罪なのだ、と。
 現実社会では、今のところ事故や病気以外で退場させられることはありません。 でも、退場しなくてもいいにもかかわらず、「指揮者の指揮者」たることを放棄する人は多いようです。
 では、この現実社会をどのように指揮すればいいのか。 どんな指揮者を選び、個人個人はどんな演奏をしていけばいいのか。
 私ごときが何か言えるような簡単な問題ではないし、おそらく唯一無二の正解、というのは存在しないでしょう。 ただ最低限、 「指揮者の指揮者」 たることだけは続けていかなければならない、と思っています。 せめて、ヨブ君みたいな人が選ばれないようにするために。

参考:
1. SFアドベンチャースペシャル TOWN MOOK 「銀河英雄伝説〈わが征くは星の大海〉」 徳間書店,1988年
2. 「ロマンアルバム・銀河英雄伝説」 徳間書店,1992年
3. CD「新たなる戦いの序曲 サウンドトラック特別編」 音楽シート 1993年
4. CD「新たなる戦いの序曲 音楽集」 アニメージュレコーズ、1993年