生き物たちの大いなる旅路

 春が近づくと、公園の池にたくさんいたカモやカモメは、次第に数を減らしていきます。 空を見上げると、山形に並んだ鳥の編隊が飛んでいくこともあります。 寒い冬を日本で過ごし、暖かくなればより北の繁殖地へと渡っていく鳥たちです。
 ご存じのように、多くの鳥は、春と秋に渡りをします。 中には標高8000メートル以上のヒマラヤ山脈を越えていく鳥さえいます。 かつてテレビで放送された、抜けるような青空をバックに山々を越えていくアネハヅルの姿には、感動すら覚えます。

 渡りといえば鳥が有名ですが、他の生物も渡りのような移動を行います。
 最近の研究では、あの恐竜も渡りをしたのではないか、という説もあるそうです。 近年話題のBCF理論(Birds Came First;鳥が先にいた、つまり恐竜は鳥から分化した鳥の子孫だったという説) などを聞くと、確かにあったかも知れないという気になりますね。

 昆虫の渡りで有名なのは、何と言ってもオオカバマダラ Danaus plexippus。 カナダやアメリカではごく普通の、マダラチョウ科に属する赤茶色の蝶ですが、昆虫の中では最も大規模な移動をすることで有名です。
 夏の間、アメリカ北部やカナダで気ままに飛び回っていたオオカバマダラは、8月も終わり頃になると少しずつ南下を始め、群を作り始めます。 そしてある朝、いくつかの集合場所から一斉に渡りを開始します。
 彼らは実に3000キロにも及ぶ距離を飛び続け、越冬地を目指します。 向かうのはカリフォルニアやメキシコの、ごく限られた場所。 それもある程度散らばってではなく、特定の林にものすごい密度で集中します。 メキシコ中部シエラワドレ山脈にある越冬地では、わずか5ヘクタールの場所になんと3千万から5千万もの蝶が集まったともいわれ、地球上でこれ程ダイナミックに生き物が集まる例は他にないでしょう。
 春になって暖かくなると、オオカバマダラは北へ向けて再び移動を開始します。 ただし、この時は秋の南下の時とは違い、世代交代しながらゆっくり北上していきます。 カナダに着くのはメキシコを飛び立った個体の孫か曾孫で、その子供が次の秋になると、再び南を目指します。
 さて、オオカバマダラの♀は1匹当り約700個の卵を産むそうです。 これが全て成虫になると、最終的には一体何匹になるでしょうか。
 まず、1匹の♀がメキシコを飛び立ち、途中700個の卵を産んだとします。 その内半分が♀とすると、350匹がそれぞれ700個の卵を産むので、2世代目は24万5000匹。 この半分がまた700個づつ産むとすると、3世代目は8575万匹。 そして4世代目になると、なんと300億1250万匹。
 しかし実際はリスクが多いため、最終的にまたメキシコに戻ってくるのは、この内せいぜい1,2匹でしょう。 逆に言うと、秋の大移動は仲間を多く失う危険な旅なので、春の間に世代交代によって数を増やし、秋にそなえるようになったといえるのかもしれません。

 ここに掲載したオオカバマダラの記事は、1990年2月26日にNHKで放送された 「地球ファミリー」 を参考にさせていただきました。
 この放送では、メキシコの越冬地も付近の開発にさらされ、環境変化の危機に瀕していることが紹介されていました。 オオカバマダラの研究で有名なフロリダ大学のブラウアー博士によれば、このまま保護がなされなければ、あと20年で絶滅するかも知れない、というのです。
 あの放送から10年近く経ちました。彼らの越冬地はまだ無事でしょうか。


 日本でも渡りをすると言われる蝶がいます。その中でも有名なのは、アサギマダラ Parantica sita でしょう。
 翅の白い部分には鱗粉がないためやや透きとおり、この写真では分かり難いのですが、実物では淡い水色を帯びています。この浅葱(あさぎ)色と呼ばれる美しい色が、名前の由来となっています。

「谷風に吹かれながら山を舞うアサギマダラの姿は、天女の羽衣の舞いを思わせる。 急坂に汗して尾根にたどり着いたとき、心がけの良いハイカーなら、この蝶のお出迎えを受けたことがあるだろう。 山に来てもラジオを響かせるような輩には、この優雅さは無縁である。 手にとって眺めると、透きとおった水色の翅の趣がまたひとしお。 山好きの青年がこの蝶を展翅してガラス箱に入れ、恋人に贈ったという話も奥ゆかしい」

日本蝶類愛好会「日本の蝶・世界の蝶」保育社,1970年

 この蝶は日本全国に分布していますが、沖縄地方では夏の間は見られなくなり、中部地方の山頂部などでよく見られるようになります。 そこで渡り鳥のように夏は北へ、冬は南へ渡っているのではないかと考えられていましたが、実際に証明されたのは1981年です。
 1980年夏、鹿児島昆虫同好会の田中洋氏らによって、沖縄地方でアサギマダラの翅にマーキング調査(翅にマジックで印を書き記して放す。 これが他の地方で見つかれば、それだけその蝶が移動した証明になる) が開始されました。
 翌1981年には、放された蝶のうち3頭が再捕獲されるという成果が上がりました。 なかでも5月31日に種子島から放され、7月16日に福島県白河市で捕獲された蝶は、約1109キロメートルも移動していたのです。 これは北上した記録としては、現在でも最長の距離です。
 南下については、1995年9月25日に東大阪市の生駒山で放された蝶が、10月16日に与那国島で捕獲されました。その距離は、なんと1672キロメートルでした。

 兵庫県伊丹市の伊丹市昆虫館では、1999年1月1日から3月8日まで、特別展 「旅をする昆虫たち」が開催されました。
 この特別展でも紹介されていましたが、アサギマダラの渡りについて資料を当たってみると、これまでマーキング調査で捕獲されたアサギマダラは、おおざっぱに言って沖縄・南九州地方と近畿・中部地方に集中しています。 これらより、琉球諸島から南九州、四国、紀伊半島を経て中部地方へと達する渡りのルートが存在することがうかがえます。

 このルートを文献で見たとき、私は 「おや?」 と思いました。
 私の標本箱には、1987年6月に兵庫県の氷ノ山で採集したアサギマダラがあります。 また鳥取県内でも何度かアサギマダラに出会ったこともあります。
 現在想定されているルートには、山陰地方は含まれない。 しかし、ここにもアサギマダラが分布していることは、紛れもない事実です。 山陰のアサギマダラは渡りをしないのだろうか。 それとも、山陰地方をも含む渡りのルートがまた別に存在するのだろうか。
 上述の伊丹市昆虫館特別展 「旅をする昆虫たち」 に出掛けたとき、説明していただいた学芸員の方にうかがってみましたが、やはり中国・瀬戸内地方はマーキング調査の空白地帯になっているとのことでした。

 私は大学時代を中国某県で過ごし、何回かアサギマダラに出会いました。 あの時見た蝶たちは、どこから来て、どこまで行ったのだろうかと思うと、懐かしさで胸がいっぱいになります。
 現在、アサギマダラの移動調査には全国で大勢の方が参加しており、子供たちも参加しています。 また1997年からは、アサギマダラの移動調査のための電子情報ネットワーク「アサギネット」が発足しています。これまでのデータや調査方法などは、こちらに詳しく掲載されています。
 中国地方のアサギマダラについて、私が知らないだけで、本当はこの他に仮説なり何かのデータがあるのかも知れません。 ただ、やはりはっきり分かっていないならば、将来この空白地帯が埋められることを願ってやみません。
 そしてまた、昆虫も含めて自然にはまだまだ分からないこと、不思議なことが山ほどあるのだということを、大勢の方々に知っていただければ、と思います。
 あなたがふと見かけたその蝶、そのことが実は大発見になるかも知れません。

関連ページリンク
 伊丹市昆虫館 温室では生きた蝶が舞う姿を見ることができます。
 アサギネット アサギマダラの移動調査について、詳しい情報が掲載されています。
このページはアサギネットに参加しています。


参考:
1. 週刊朝日百科・動物たちの地球77、昆虫5「アゲハチョウ・シロチョウほか」 朝日新聞社、1992年
2. 岡田朝雄・松香宏隆「蝶の入門百科」 朝日出版社,1986年
3. 日本蝶類愛好会「日本の蝶・世界の蝶」 保育社,1970年

1999.02.29