南極観測船の話。


※ 南極地域観測統合推進本部の「新南極観測船の船名募集」はコチラ。
※ 下記コンテンツは2004年10月31日に掲載したものであることをご了承下さい。

 2003年12月12日朝。
 何気なくつけていたテレビで、南極観測船 《しらせ》 に関するニュースが目にとまった。 実は管理人は十年以上前に一般公開されていた 《しらせ》 を見学したことがあり、とても気に入っている船の一つである。
 ニュースによると、 《しらせ》 は2003年の時点で建造から21年が経過し、老朽化が目立ってきているため、2007年引退予定だという。 ところが、後継船の建造には520億円 (船体建造費に約400億円、搭載ヘリコプター2機で約120億円) がかかるといわれ、財務省が難色を示している。もしも後継船が建造できなければ、日本の南極観測は中断を余儀なくされるのだそうだ。
 南極付近は資源が豊富と考えられ、各国は南極条約協議国会議を開催していろいろと話し合っているらしい。 この会議での発言権は、南極に領土権を主張している国か、南極観測を行っている国にしかない。 すなわち、もし日本が南極観測を中止すれば発言権がなくなり、ひいては南極近海での漁業すらできなくなる恐れがあるという。
 超大国のご機嫌をとるために海外派兵を行う (それが良いか悪いかは安易には結論できないであろうが) ことだけが 「国益」 や 「国際貢献」 ではないと思うのだが……。
 後継船建造に財務省が難色を示している点は関係者のみなさんも以前から危機感を持っておられたようで、国立極地研究所の「南極観測のホームページ」によると、2003年11月7日には「南極観測の継続を訴える集い」が催され、「新南極観測船の実現を求める宣言」が採択されている。

 そして2003年12月20日。後継船建造の予算は、財務省原案に盛り込まれなかったことが報道された。
 当日のasahi.comに掲載されたニュースによると、財務省はゼロ査定の理由として、
(1)現在の財政状況では、搭載しているヘリコプターの後継機製造費と合わせ総額520億円は巨額すぎる
(2)耐用年数が切れても運航している船もある
を挙げたという。
 そうですか。では財務省のみなさんは耐用年数を過ぎた乗り物にも喜んで乗ってくださるんでしょうね!?

 その後の報道によれば、大臣折衝で後継船の設計費4億円はかろうじて復活したらしい。
 後継船プラスヘリコプターで520億円というのが高いかどうかはよく分からないが、同じ自衛隊の保有する潜水艦もそれぐらい、かの有名なイージス艦だと1200億円もするそうである。
 あのニュースから1年近くたって調べたところでは、後継船の就航は2010年頃となり、2〜3年間の観測空白期間が生じてしまうという。


二十世紀デザイン切手「タロ・ジロ」 戦後日本初代の南極観測船は 《宗谷》 で、1956年から1962年まで就航した。
 右の 「二十世紀デザイン切手 第12集」 にも、有名なタロ・ジロのバックに描かれている。 1958年、《宗谷》 が氷に阻まれ、ついにカラフト犬15頭を置き去りにして越冬計画の放棄に至った。 その原因の一つは、 《宗谷》 がすでに船齢20年に達しており( 《宗谷》 は1938年に建造された船を改造したもので、その期間を含む)、自力で脱出できなかったためだという。
 だーかーらー、老朽化してるのを無理やり引き伸ばしてていいんですか、現代の財務省のお役人様?
 しかし帰国した隊員たちの元には犬を置き去りにしたことに国民から強い非難の声があり、抗議や脅迫の電話で奥さんがノイローゼになるケースもあったという。 非難する矛先を完全に取り違えるという愚行は、昔も今も日本の民衆の悪しき群集心理なのだろうか。
 二代目の 《ふじ》 は1965年から1983年まで活躍。 下の写真のように、現在は名古屋港で展示されている。

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 そして三代目の 《しらせ》 は1983年より就航。 下の写真は正確な年を失念してしまったが、1990年頃、鳥取港で一般公開された時のものである。

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  そういえば、初代 《宗谷》 も今は東京の 「船の科学館」 に展示されているそうなので、見に行きたいものである。そうすると、三代全てを見学したことになるわけですな(^_^)v


 さて四代目の南極観測船は遅れながらも何とか建造はされると思われるが、その名前はどんなのがいいだろうか?(もう案ぐらいはあるのかな??)
 ミリヲタな友人に話すと、案の定というか予想通りというか旧日本海軍の艦名をぞろぞろ挙げてくれたけど、戦後日本の、しかも平和利用の観測船にはどうだろう。 まぁたしかに 《しらせ》 は海上自衛隊所属の 「砕氷艦」 なのだから、その路線でも分からなくもないが……。
 ちょいとおどけて 《ペンギン》 とか 《ゴマフアザラシ》 みたいな路線も挙がったりして(^^)
 まぁおふざけはおいといて。
 これまでの船名の由来は、どうやって決まったのか結構バラバラである。初代は地名の宗谷海峡からだろうし、二代目は単純に日本の象徴ということであろうか、富士山からだろう。そして三代目はもちろん、日本人で初めて南極を探検した白瀬矗(のぶ)にちなんでいる。
 カテゴリーで言うと 「地名」、「象徴」または「山」、「人名」 と来たわけで、この他に考えられるカテゴリーとしては、やはり 「動植物」(人工衛星は植物が多いですな)、「都市」 「自然現象」 「抽象名」(というのが適切かどうか……例えば日本初の火星探査機 《のぞみ》 など) といったところだろうか。 外国では非常によく使われる「神話」は、日本の場合ややこしい思想・宗教問題と絡んでくるからなぁ……。
 例えば、サハリンが島であることを発見し、サハリンとユーラシアとの間の間宮海峡に名を残す探検家、間宮林蔵(1780〜1844) にちなんだ名前とかどうだろう。 他に何かいい候補はないだろうか?


 小松左京のSF大作「復活の日」には、原子力砕氷船 《知床》 が登場する。 この作品の刊行は1964年、《宗谷》 が引退し、《ふじ》 が就航する前なので、漢字の船名も納得できる (そもそも 《ふじ》 以降はなんで平仮名なんだろう?)。
 現実には原子力船というのもいろいろあって普及しなかったけど、旧ソ連には 《レーニン》号という原子力砕氷船があったっけ。 砕氷船であっても原子力って普及しなかったのかな? と思って調べてみると……
 「原子力百科事典 ATOMICA」によれば、 《レーニン》 以降も 《アルクティカ》、 《シビーリ》、 《ロシア》、 《セブモルプーチ》、 《タイミール》、 《ソヴィエツキー・ソユーズ》、 《バイガチ》 および 《ヤマール》 と計9隻もの原子力砕氷船が建造され、就航してきたそうである。
 南極観測以前に、なるほど旧ソ連・ロシアは大半の海岸線が北極海に面しているわけだから、砕氷船もより一層切実なわけですな。もっとも、《ウラル》 という原子力砕氷船は進水したものの、経済的事情で建造が中断しているそうな。 いずこも似たようなものか……。
 ちなみに世界最初の原子力砕氷船 《レーニン》 は1959年12月に就航。 「復活の日」 は1964年、この作品の舞台は1960年代後半から始まるから、原子力砕氷船というアイデアも充分現実的であったといえよう。 《レーニン》 は1989年に退役するが、それまでに121万2000kmを航行し、そのうち86%が氷海航行であり、3741隻の商船を支援したという(「原子力百科事典 ATOMICA」より)。
 小松左京ファンとしては、第四代南極観測船の名前には 《知床》 を推そうかな(笑)

 そういえば、「復活の日」のように南極に関連したSFも結構多い。 領土問題という暗い現代、豊富な資源という明るい未来、そして宇宙と同様、人類最後のフロンティアでもある南極は、SFの恰好の舞台である。 いずれSFライブラリとの共同企画で、南極SFも取り上げてみたいものである。
 南極SFといえば、皆さまはどんな作品を思い浮かべますか?

2004.10.31
2007.07.16 リンク切れ等修正