情けは人のためならず。

「情けは人のためならず」
 これ、皆さまどのような意味だと思いますか? 甘やかさないためにも情けはかけてはいけない、そういう意味だと誤解している人はいませんか??
 この言葉の全文はこうです (資料にってよっては後半部分が微妙に違うものもありますが)。

「情けは人のためならず、めぐりめぐって己がため」

 人に情けをかけてあげれば、それはいずれは自分にかえってきます。 だから自分のためと思ってでも人には情けをかけてあげましょうね、というのが本来の意味です。 それが何故か後半が省略されて、間違った意味にもとられるようになってしまったんですね。 この全文が好きなので、私は必ず後半も略さずに付けて使うようにしています。


 2001年1月、文化庁がおこなった 「国語に関する世論調査」 の中で、この 「情けは人のためならず」 の意味を問う設問がありました。 これに対して、 「情けはかけてあげましょう」 という意味だとする正解率47.2%。一方、 「情けをかけてはいけない」 という誤答48.7%と、正解を上回ってしまったそうです (朝日新聞 2001年6月13日ほか)。
 ふと思い立って、ある時 「情けは人のためならず」 をネット上でざっと検索してみました。 するとこの世論調査にも大勢の人が触れていまして、誤用が蔓延してしまったことに対して、 「ためならず」 が文法的にどうだとか、現代の世知辛い風潮の反映だとか、いろんな評が載っていました。 弱者のために頑張ってる人たちに向かって 「自己責任」 だなんだとわめき散らすくせに、強者が何かやっても曖昧にされてしまう世の中ですからねぇ……。
 しかし。 「めぐりめぐって己がため」 という後半部分まで載っているところは少なかったですね。 後半部分を省略せず、 「情けは人のためならず、めぐりめぐって己がため」 と常にセットにしておけば、文法的も何もそうそう誤解を招くとは思えないのですが……。


 ところがその一方。 近年は 「言葉は変化していくものである、だから間違った意味も認めよう」 といった動きというか意見もでてるんだそうですね。
 ふ〜ん。 「言葉は変化していくものである」 というのは賛成です。例えば 「なにげに」 というのは文法的に誤りだそうですが、それこそ 「なにげに」 使っちゃいますよね。 これ、最近は一部の辞書にも載せられているそうです。 「好きくない」 というのもワタクシ的には 「好きくない」 言葉ですが、これも一部ではそれなりに認められつつあるとか。
 一方、どこぞの高級店ではレジ係が 「千円からお預かりします」 とか言ったら上から怒られるんだそうな。 たしかに 「から」 は文法的に誤りでしょうが、 「それがどうした!?」 と私は言いたい。 レジ係がそう言ったからって何か問題が生じるのでしょうか? そんな細かいことにこだわるのは 「お高くとまっている」 ように見えます。 それよりもっと、本質的なところを向上させんかい!!
 そんな言葉尻はどうでもいい。 時代とともに、変化していったって構わない。 一方、 「情けは人のためならず」 のようないい言葉が変質させられ、あまつさえそれが認められてしまうのはどうにも許せない、というのが私見です。 なぜなら、ちょっとした言葉尻の違いはあっても通じますが、意味がまったく逆になってしまうようなケースは意思の疎通に差し障りがでるではありませんか。


「相殺」。 これ、皆さまはどう読みますか? 「そうさい」 ですよね。ついつい間違えて 「そうさつ」 と言ってしまいそうですが。 ところが何年か前、ある日本語ソフトで 「そうさつ」 と入力しても 「相殺」 と変換されるのを発見したことがあります。
 ううむ、こういうところからも誤用って広がるんだろうなぁ……。
 ちなみに私が 「相殺」 の読みを初めて知ったのは、小さい頃にあの石森章太郎先生の最初期版 「サイボーグ009」 を読んだ時でした。 一般的な漢字にはふりがなはなかったのに、 「相殺」 には 「そうさい」 ときちんとフリガナがあったんですね。
 やはり間違いやすいものはきちんと振り仮名をふるとか、省略しないことが大切ではないでしょうか。 もしも 「情けは人のためならず」 を使う時があったら、 「めぐりめぐって己がため」 と付け加えてください。

2004.05.01