お酒とご飯の話。
その昔、仕事で他の事業所の作業を夜遅くまで手伝った時のこと。
夕食として、食堂でコンビニ弁当が支給された。
おじさん達は近所の自動販売機で缶ビールをどっさり買い込み、弁当と缶ビールをテーブルに並べ、思い思いの食事が始まった。
その時、私は不思議なことに気付いた。 何人かのおじさん達は、弁当のおかずばかりを食べてご飯にはまったく箸をつけない。
やがて……缶ビールが空になり、おかずもすっかりなくなった頃……おじさん達はようやく弁当ガラの半分に残された白いご飯だけを食べ始めたのである。
弁当を食べる時、おかずだけを先に平らげてご飯を残し、その残ったご飯だけを後から食べる、なんてことは普通しないだろう。
だぶん。
酒を飲む人は酒があるとそうするらしい、ということを知ったのは、それから少し後のことであった。
私の親友にかなりの酒好きがいて、月に1,2回は一緒に飲んでいる。
この友人、酒を飲んでいる間はご飯ものを一切食べず、付き合いとか成り行きで一口でもご飯を食べると、それ以降はもう一滴も酒を飲まないという、その点に関してはえらく融通のきかない一面を持っている。
一方で私はビールと一緒に平気でご飯ものを食べているが、同席していても好みの違う面はそれぞれ好きなようにやってお互い無理強いしないので、かれこれ十年以上の付き合いを続けている。
何でそこまで意固地に酒とご飯を切り離すんだ、と訊いたことがあるが、その友人いわく
「あわない」 のだそうだ。
確かに極端な話、例えば日本酒とカレーとか、ワインとお茶漬け、なんてのはご容赦願いたい。
だがビールはほとんど全てのメニューにあうし、例えば刺身があったらビールも美味いし、温かいご飯も欲しい! と思うんだよね
(単にビール好きなだけじゃろが、と言われそうだけど
^^;)。 ところがその友人は、刺身があったとしてビールかご飯、どちらか一方しか絶対とらないのである。
彼の言う 「あわない」 というのは結局先入観ではないかと睨んではいるが、好みは人ぞれぞれ違っていて一向に構わないし、とやかく言うべきことではない。
しかしお酒飲みから見ると、なぜかご飯は最後という掟があるらしい。
飲み会で最初の方にご飯ものを頼んだら驚いた同僚がいたが、こっちは腹が減ってるんだ! と押し通したことがある。
最近仲良くしてもらっているコスプレイヤーさんの一人は最初から白いご飯を頼むので、彼女の後に続いて
「もう一つ!」 と便乗できるため、とてもありがたい(^^)
SF作家、新井素子氏の 「あたしは御飯が好きなんだ!」 というエッセイ (「話の特集」 '82年10月号掲載、 「別冊SFイズム1 まるまる新井素子」 (みき書房、1983年) 収録) にも似たような話が載っている。大体こんな感じの内容だ。
温泉地などでの宴会で。
美味しい料理とビールがお膳に並んでいる。
もちろんビールも好き。だけど、野沢菜やお刺身や天ぷらは……やはり暖かい御飯と一緒に食べたい! もちろんお酒がなくなれば御飯が出てくる。
でも、せっかくの美味しいおかずを、暖かい御飯と一緒に食べたい!
で、仲居さんに御飯を頼むけど……
「目、まん丸にして、エイリアンでも見つけたような目つきで、言われたもんね。
『御飯……もう御飯食べるんですかあ? まだおビール、沢山あるんですよお』 」
といった内容である。 これを読んだ時、 「ああ、同じように思う人がやっぱりいる!」
と狂喜したものである。
このエッセイ、最後はこんな文章で締めくくられている。
お酒がつく時には、お酒が終わるまで御飯出さないっていうのが日本料理のエチケットなんだそうですが、このエチケット、何とかならないものかなあ。
お酒のつよさなんて人によりけりなんだし、あたしみたいな人も他にいるかも知れないし、全員に最初から御飯だせ、なんて言わないけれど、御飯欲しいって言った人には、すぐ御飯がでるといいなって思うんですよね。
うん、あたしはおかずが暖かいうちに御飯食べたい。
ぜひ食べたい。
あたし、御飯が好きなんです。
全面的に賛成である。
それにしてもエチケットですか。 しかしエチケットを言うんなら、大口あけてムシャムシャやるおじさんや、人が食べてるそばでビチャビチャ音を立てながら歯をせせるおじさん達を何とかしてほしいものである。
会社の食堂にはこういうのが跳梁跋扈しているので、食欲を削ぐことおびただしい。
てな愚痴はおいといて。
ご飯が後って、要はお酒飲みの嗜好に合わせたものじゃないのだろうか。
あるいは誰が最初に決めたのか知らないけど、そんな決まり事が
「先入観」 となって、お酒飲みが知らず知らずのうちにそうするようになってしまったのではないだろうか。
お酒とご飯を切り離して、それで美味しいと思う人は、もちろんそれで良い。
それと同等に、お酒とご飯を一緒に食べても美味しいと思う人はそうしても良いではないか。
どちらか一方の食べ方を強要される必要はまったくないと思うが、いかがなものであろうか。
小さい頃、自宅ではカレーライスの時、誰が頼んだわけでもないが必ずソースの瓶がテーブル上にあった。
だから、カレーというものはソースをかけて食べるものだ、と思いこんでいた。
小学校の合宿か何かでカレーライスが出た時のこと。
かけたい人はどうぞ、といった感じでソースの瓶が回ってきて、私も何気なく自分のカレーにソースをかけた。
すると、向かいの女の子がとんでもないものを見た、とでも言わんばかりに目ん玉を丸くしたのを憶えている。
その時、 「ああ、カレーにソースをかけないで食べることもできるんだ」
と思ったものである。成長して後、いつのまにやらカレーには一切ソースをかけないようになった。
しかし小さい頃は、環境のせいで 「そうするものだ」
と思い込んでいたのである。
一方、大学の食堂では昼定食に必ず味噌汁がついていて、たとえメインがカレーライスの時でも必ずついてきた。しかしカレーと味噌汁は合わないと感じている私は、セルフでお皿を取る時に味噌汁だけは取らなかった。
卒業して後、「うちの学食でもカレーに味噌汁がついてたけど、平気で一緒に食べてた」
という人に会ったことがある。 だからといって、その人がそれで美味しいなら何ら問題があるわけではない。
お互い好きなようにすればいいのだ。
お酒とご飯も、思いこみや先入観にとらわれず、もっと自由に、各人が美味しいと思うそれぞれの楽しみ方をすれば良いのではないだろうか。
日本人の酒の飲み方は、接待だのお付き合いだのとやっかいなものに心を磨り減らしたり、上位者が下位者に何やかやと強要したり、楽しむ雰囲気にほど遠いケースがあまりにも多い。
せめて個人レベルではつまらない 「掟」 や
「先入観」 や 「思い込み」 にとらわれず、自由にやりたいものである。
2004.12.1