河童 (かっぱ)

 全国的に知られた非常に有名な妖怪であるが、地方によって 「がわっぱ」 とか 「川太郎」 など様々な呼び方があり、それにつれて姿もいろいろに伝えられている。 「河童」 というのは河の童(わっぱ)が語源だという。
 もっともよく知られた姿としては、身の丈は人間の児童程度、亀のような甲羅を背負い、頭はいわゆる 「おかっぱ」 で、頭上には皿(くぼみ)がある。 この皿の水がなくなると力を失うとか、あるいは死んでしまうのだとか。 キュウリが好物で、寿司のかっぱ巻きというのも、このことに由来するそうな。人間の尻子玉が好物だとも伝えられる。 「尻子玉」 は肝のことだそうだが、これを河童に抜かれた人間は死んでしまうというから恐ろしい。
 「おかっぱ」 という単語と河童は関係がるのだろうか。 ギリシア文字の 「κ」 や銅を意味する英語 「copper」 は関係ない。たぶん……。
 このフィギュアも、これら一般的な姿をよく現していますね。覆い被さるような葉っぱがとてもグッドなアクセントになってます。 にしても、この河童が引き上げようとしてるのが最初何だか分からなくて、入手して初めて分かった時には思わずひいた……。 尻子玉抜かれたんだろうな……。

 河童は特に北九州と縁が深く、また平家とも関わりがあるらしい。
 その昔、中国の黄河に棲んでいた河童の大群が 「九千坊」 を長として海を渡ってきたという。 その数、実に9000匹。 彼らは熊本県八代市の球磨川に移住し、今も球磨川の支流の前川に架かる橋のたもとには「河童渡来の石碑」があるそうな。
 ところが河童たちが次第に乱暴をはたらくようになったため、加藤清正が猿を使って攻め立てたので、筑後川へと移り住んだという。
 北九州市門司の天疫神社に祀られる 「海御前」 (あまごぜん) は、壇の浦で水死した平教経の妻が神になったものだというが、この海御前が九州の河童の総元帥だとも伝えられる。 また 「海御前」 は 「尼御前」 にも通じ、壇の浦の平家滅亡の折に安徳天皇とともに入水した二位尼御前のことだともいう。
 さらに、平清盛の霊も河童となって、筑後川の支流である巨勢川(こせがわ)に住み、巨勢入道と称したという。

 かように北九州は河童の一大棲息地であり、平家物語との関連も多い。以上の内容は、星野之宣先生の 「宗像教授伝奇考」 第5巻・file 29 「水天の都」 にも詳しく述べられている。
 筆者の星野先生の独創なのかそういう学説があるのかは分からないが、水軍として栄えた平家の「水」のイメージ、禿髪(かぶろ。平清盛が設けた、十代の子供による密偵のような組織)に代表される「子供」のイメージ、そしてこの両者が重なった安徳天皇の入水自殺、これらが民衆のイメージの中で「河童」につながっていったのではないか、としている。

 数ある妖怪の中でも面白い点は、その起源として「人造人間説」の存在がある。 天草地方に伝わる話では、左甚五郎という人物が城(または寺)を造る時、手が足りないので多くの藁人形を作って働かせた。しかし城の完成後その藁人形の始末に困り、川に捨てた。それが河童になったというのである。使うだけ使っといて捨てるなんて……。
 ところで人形を捨てる時、人形がこれから何を食ったらいいのか、と問うたので、ならば尻子玉でも食え、とか答えたので、河童は人間の尻子玉を抜くようになったという。せめてこの時「川魚でも食え」とか言っとけばよかったのに……。

 藤田和日郎「うしおととら」第十二章(第6巻)には 「いたずらが過ぎて人間たちに捕まった時、もう何もしねえって誓って許してもらった」という気弱そうな河童が登場する。この河童は良薬で主人公を治療してやるのだが、実際河童には「ガワッパ膏薬」などと呼ばれる薬の伝説も多い。
 ある山村でいたずらをはたらいていた河童の腕を切り落としたところ、夜に枕もとに河童が現れ、薬で継ぐので腕を返して欲しいとせがむ。そこで腕を返す代わりにその薬の処方を教わり、財産を築いたそうな。
 腕を切り落とすとはまた荒っぽい気もするが、そんな伝説は全国にあり、その切り落とした腕と称されるものも各地のお寺などに伝わっている。「うしおととら」に出てくる河童もまさか……?

 河童の正体は、一説にはカワウソスッポンだともいう。地方によっては妖怪としての獺(かわうそ)と同一視されている。またその姿を見ると、背中の甲羅はカメ、水かきや体全体のイメージはカエルに通じる。さらに九州各地には秋の深夜、河童が鳴きながら移動していくという言い伝えがあるが、その季節や移動経路を調べると、どうやらアオアシシギという渡り鳥と一致するという。普段聞きなれない鳥の渡っていく声が妖怪と結び付けられたのだろうか。

岡山県津山市では、
「ごんご」という名で
親しまれている。

 河童とは、人々が野山や水辺で出くわす様々な動物が混ざり合って生まれた、一種の 「キメラ」 のような存在なのかもしれない。


 もともと河童はいたずら好きとか相撲好きなどといった可愛げのある側面と、人間を溺れさせたり尻子玉を抜いて殺してしまうという恐ろしげな側面を併せ持っている。しかし現代ではいろいろなところで親しみのあるキャラクターとして登場しており、恐ろしい側面は忘れられつつあるようだ。それが現代妖怪の生きる道なのだろうか。
 河童はその起源をたどっていくと、水神になるという。本来は「神」であった存在を妖怪にしてしまい、ついにはキャラクター化してしまう人間こそ、ある意味で本当にコワイ存在なのだろうか……。