天狗(てんぐ)

 天狗といえば赤い顔に長い鼻、山伏の姿で一枚歯の高下駄を履き、羽うちわを持って自在に空を飛ぶ姿が連想される。 こうした天狗の姿は、室町時代末期の画家、狩野元信が最初に描いたといわれる。 この姿をした天狗は、大天狗とか鼻高天狗などと呼ばれるらしい。
 このフィギュアは、その配下とされる烏天狗を表しているようですね。 足元の鳥の巣がイイ味です。
 ただ、背中に大天狗のお面を背負ってるところを見ると、単に大天狗の配下というわけでもなさそうです。 室町時代に今のような大天狗の姿が描かれるまでは、大天狗も烏天狗と同じ姿だったそうで、その意味ではこのフィギュアも天狗本来の姿を現していると言えるのかもしれないですな。
 しかしこのフィギュア、ちゃんと立たない! このスタイルで撮影するのにかなり苦労しました。
 ところがですな。先日立ち読みした本に載っていた原型師のコメントによると、天狗は高いところにいるイメージが強いのでこういうスタイルにしたそうだが、「製品になると……立たない! スミマセン!」と書いてあった。 おいおいおい……。


 天狗もまた有名な逸話が多く、古くより馴染み深い妖怪であったことをうかがわせる。
 静岡県伊東市の仏現寺には「天狗の詫び状」なるものが伝わっている。 1658年(万冶元年)、柏峠に天狗が現われては、旅人を脅かしていたという。そこで当時の仏現寺住職、日安上人がその天狗を懲らしめたところ、奇妙な巻物を残して姿を消した。 面白いのはその「詫び状」で、長さ3メートル以上、178行に渡って2900余りの文字がつづってあるのだが、これが何語ともつかない謎の文字で、未だに解読されていないという。
 その他にも、「太平記」に記されたところによると南北朝時代の1348年(貞和四年)、歴史上の人物が烏天狗の姿になって足利一族を滅ぼそうと相談し、これが後の史実である観応の擾乱につながったという「天狗評定」の伝説や、国学者の平田篤胤が記した「仙境異聞」には、1820年(文政三年)、寅吉という少年が天狗にさらわれ、茨城県の岩間山でしばらく天狗と一緒に生活したという話も載っている。


 一般的な言い伝えによると、天狗は尊大で高慢な性格で、 「天狗になる」 なんていう言葉は誰でもよく使うだろう。 「鼻が高い」 というのも天狗のイメージから生まれたのかな?
 もともと自信過剰で驕り高ぶった人間の生まれ変わりとも言われ、そのため無知な人間を見ると学問や剣術などを教えてやりたくなってしまうのだという。 かの牛若に剣術を教えたのも、鬼一法眼という鞍馬の天狗である。 なお、鞍馬天狗ったって、幕末に頭巾をかぶって馬で走ってくるアレとはもちろん違います(爆)
 周知のように牛若は後に平家を滅ぼすこととなる歴史上の人物、源義経であり、この鞍馬山の天狗もやはり歴史を動かした妖怪の一人と言えるかもしれない。
 この牛若と鞍馬山の天狗のくだりは、そのものずばり「鞍馬天狗」という題の能でも、ほぼそのまま描かれている。
 また手塚治虫の「火の鳥・乱世編」にもこのくだりが取り込まれているが、ここに登場する天狗は尊大さなど微塵もなく、悟りきったもの静かな様子を見せている。
 実はこの天狗は「火の鳥・鳳凰編」で悪人として登場した我王が作中で悟った後の姿であり、天狗のように大きな鼻を持つ我王が天狗として 「鳳凰編」 から 「乱世編」 へみごとに橋渡しする構図は見事としかいいようがない。


「火の鳥・太陽編」では、権力者が仏教を道具にして勢力を拡大しようとする権力闘争にだぶって、その仏族の侵攻に対し、亥族、狗族、鬼族、ありとあらゆる土地の神々 (あるいは精霊、あるいは妖怪) が結束して闘う壮大な展開が描かれている。
 狗族という一族が仏族の尖兵と戦うシーンでは、石をばらばらと降り注がせることを「天狗の石降り」と呼んでいる。 狗族はキツネの化身と思われるが、長老ルベツが楓のような大きなうちわを手に樹から樹へ飛ぶ様は、たしかに天狗にも通じるものがある。
 また「伊吹山に住まいいたす天狗(あまきつね)の長、痛風」も登場し、こちらは姿からして烏天狗と思われる。 一般に烏天狗はいわゆる大天狗よりも格下のような感じがあるが、この痛風は神々の最高指揮官の一人として、いい味のキャラクターになっている。
 神々(妖怪)のランクや分類などというのは、後世になって後からつけられたものなのかもしれない。いろんな種族が一体となって闘う様は、感動的ですらある。


 上記のように「火の鳥・太陽編」ではキツネの化身と思われる狗族といわゆる天狗の境界がはっきりなされていないが、「九尾の狐」でも触れたように、中国の歴史書や「日本書紀」などには、音をたてて空を翔ける流星のことを「天狗」(あまきつね)と呼んだ記述がある。 「てんぐ」 と 「キツネ」 は本来何らかの接点があったのかもしれない。
 また同作品にもある 「天狗の石降り」 と似たような言葉で、山中で石がどこからともなくバラバラと飛んでくる現象を「天狗つぶて」、木が突然倒れることを「天狗倒し」、どこからともなく聞こえてくる笑い声を「天狗笑い」、山小屋がゆさゆさ揺れる現象を「天狗ゆすり」などと言うそうな。 何でもありやね(笑)。 山で出会う姿の見えない怪奇現象がすべて入っている。
 案外、これこそが天狗の本来の姿ではないだろうか。 すなわち、実体のない(見えない)超越的な存在。 とすると、あのいかにもお面のような赤ら顔も、本来の姿ではない文字通りのお面なのかもしれない。