The History
with Comets
美しい尾をたなびかせ、一時夜空を彩る彗星。
あるものは人の一生にも似た周期で、またあるものは文明の歴史にも匹敵するほどの周期を経て地球を訪れ、再び遙かな宇宙空間へと飛び去ってゆく。
しかし一方、古来より彗星は凶兆とも言われてきた。
例えばハレー彗星の場合、紀元前466年の前後はペルシア戦争。
西暦66年に現れた4年後には、エルサレム崩壊。
1066年にはノルマンディーのウィリアム1世がイギリスを征服し、また1453年の東ローマ帝国滅亡の頃にも訪れている。
さらに1910年に出現した時は帝国主義が世界を覆い、その4年後に第一次世界大戦が勃発した。
しかし人類の歴史は闘争の歴史であり、彗星以前に世界のどこにも闘争の無かった時期を探す方が難しいであろう。
したがって後世、現実に彗星と歴史的史実が関係したという主張は単なるキワモノ的な扱いになっている。
だが21世紀初頭に現れたリムスキー・オヤマ彗星は、少なからぬ人々にこの言い伝えを思い出させることとなったのである。
国際大気圏外監視網が本格的に動き始めてから初めての成果となったリムスキー・オヤマ彗星は、その軌道を慎重に計算した結果、約1年後に地球の近傍を通過するであろうことが判明した。
しかしせいぜい彗星の尾が地球をかすめる程度で、地球には何の影響もないであろう、むしろこれまでになかったような見事な天体ショーが観られるであろう、ということで、若かりし頃にハレー彗星や百武彗星、ヘール・ボップ彗星なんかを見逃した中高年の人たちは、若かった20世紀への郷愁と共に、期待に胸を膨らませていた。
ところが間もなく、世界は突如緊張状態へと叩き込まれた。
ささやかな事故がきっかけとなり、ある二国同士が核兵器をかざした睨み合いに突入したのだ。
この二国は国境を接していながら近親憎悪にも似た歴史的な対立を繰り返しており、国際世論の非難よりも相手国の核兵器に脅威を感じ、互いに核開発にいそしんできたのだった。
21世紀になっても核兵器は世界中に蓄積されており、公式・非公式の核保有国は増えこそすれ、減ることは滅多になかった。
前世紀の冷戦時代のような全面核戦争は起こり得ないにしても、たとえ数発でもむやみに核を使えばどうなるか、そして近隣諸国の工業地帯、原子力施設、さらには民族問題を抱える不安定地域に飛び火すればどうなるか……。
緊張する世界の空を、見事な彗星が彩りつつあった。
かのハレー彗星は、初めて中国を統一した秦の始皇帝や、カエサル暗殺の後ローマを平定して初代皇帝となったオクタヴィアヌスも眼にしたという。
凶兆とされる彗星を眼にした為政者たちの心中はどうであったろうか。
むしろ、自分たちの覇業を指し示すしるしと映ったのではないだろうか。
対立する二国のいずれかが、彗星の最接近に併せて戦端を開こうとしているという噂が流れ始めた。
こうなるともう両国ともその真偽にかかわらず、その時期に照準を合わせざるを得ない。
かくて、リムスキー・オヤマ彗星は言い伝え通りの凶兆として、次第に輝きを増していった。
世界中の国々が様々な提案や交渉、あるいは牽制や恫喝さえ持ちかけ、有力者や知識人たちも多様なアピールを行った。
リムスキー・オヤマ彗星を発見した国際大気圏外監視網を初め各宇宙開発機関も、積極的な発言を繰り返した。
しかし、事態はなかなか好転しなかった。
彗星の最接近まで後わずかというとき、突如、国際大気圏外監視網が緊急発表を行った。
リムスキー・オヤマ彗星の核の一部が分裂したことが確認され、しかも最接近の頃に地球の引力に引かれて地球へ突入するだろう、と言うのだ。
しかしごく小さいものであり、大気圏内でほとんど燃え尽きるであろう。
ただし……。
国際宇宙ステーションからの衛星中継を見ていた人々は、今度こそ驚愕した。
その小天体の予想落下ポイントは、対立する二国のごくちかくだったのだ。
そのあまりにも出来過ぎた構図は当初関係者さえも疑い、地球上の天文台がそんな小天体は見つけられない、と発表したが、すぐに宇宙望遠鏡衛星が小天体に関する詳細なデータを提出した。
アメリカやロシアが数発の核兵器を国際宇宙ステーションへ送り、ついでに対立する二国へも核兵器の供出を求めたという噂が流れた。
その真偽はともかく、各国の宇宙船の稼働率が急増したことは確かだった。
最接近間近、国際連合も加わって全世界へ警告が発せられた。
小天体落下の際、落下予想ポイントを中心とした地球の半分では、あらゆる電子システムが影響を受ける恐れがあるので、国際的連携で予防策を講じること。
最接近の前後数日は緊急以外すべての航空機を飛ばさないこと。
すべての軍事活動を凍結し、万一何らかの被害が生じたときには国連主導の行動を開始すること、など多様な内容が盛り込まれていた。
様々な噂が交錯し、緊張が高まる中、リムスキー・オヤマ彗星は夜空を覆い始めていた。
最接近の日……地球の夜空は、太陽風に吹かれた壮大な尾をなびかせるリムスキー・オヤマ彗星に圧倒されていた。
対立する二国でも、人々が緊張に打ち震えながらも夜空を見上げていた。
突如、夜空の一角に閃光が走った。
ついに戦争が始まったと感じた人々は逃げまどい、その頭上を何本もの光の矢が飛び交っていった。
しかし、間もなく人々の足は止まった。
空を飛び交う光の矢はミサイルではなかった。
幾本もの流星が、先ほどの閃光とは反対の方向へと飛び去っていく。
都市の市民も、荒野に展開する兵士たちも、そして基地の奥深くに隠れた指導者たちもスクリーン越しに……足を止め、手を止めて夜空に見入っていた。
巨大な彗星をバックに、幾つもの流星が空を横切っていった。
その他の地域や国々でも、人々は彗星の最接近に加えて突然加わった流星雨に、驚嘆の声を上げていた。
地球の半分の夜空を、ほんの一時の流星雨が彩っていた。
流星雨はあっという間に消え、再び夜空は元の明るさに戻った。
対立する二国では予想外の流星雨に驚かされたものの、すぐ軍隊が作戦行動に移るはずだった。
しかし…両国の軍隊は動けなかった。 幾つかの肝心な通信・管制システムが麻痺してしまったのだ。
動かなくなった兵器システムを放棄し、国境の向こう側で相手国軍も同じ状況になったことに気付いた兵士たちは、いつの間にか手を取り合っていたという。
翌日、両国首脳は一時和平に合意した。 兵器システム麻痺の原因、というよりも、そもそもそういうことがあったということも両国は認めず、さりとて和平の直接的理由が何だったのかも結局明かされず、ならば一体ここしばらくの緊張は何だったのか、と言う歯切れの悪い幕切れではあったが……。
一方、あの流星雨はリムスキー・オヤマ彗星の核から分裂して地球に向かっていた小天体が、特殊部隊によって爆破されたためである、と国際大気圏外監視網が公表した。
それだけならば賞賛されるはずなのだが、直後に各国の宇宙開発機関に奇妙な人事異動があり、「何か」
があったらしいとマスコミは勘ぐったものの、結局何も分からなかった。
最接近の日に国際宇宙ステーションから何かが地球へ向けて発射された、という噂も流れたが、公的機関は最後まで何も語らなかった。
様々な謎を残したものの、結局凶兆とはならずにリムスキー・オヤマ彗星は遠ざかっていった。
壮大な天体ショーの感動と、未だ世界が抱える問題を浮き彫りしにて。
ところで。
国際宇宙ステーション 《ニューフロンティアU》
のヤロスラフ・ミハイロヴィッチ・リムスキー助教授と、宇宙望遠鏡衛星
《ハーシェル》 の尾山美緒博士が、リムスキー・オヤマ彗星をどちらが先に発見したのか言い合っているという話題は、地球上のマスコミが勝手な憶測で流したものにすぎない。
しかし、その後二人が婚約して第一次火星移民計画に志願した時には、地球上はともかく宇宙空間の通信網の半分が、喝采や口笛で満たされたという。
疲弊した地球に比べて、輝かしい宇宙時代への第一歩、そのささやかなエピソードであった。
なお、後にリチャード・オヤマ・リムスキーが火星自治政府の初代代表となった年、再びリムスキー・オヤマ彗星が巡ってきたという逸話はあまりに出来過ぎであり、後世の創作であろうといわれている。
後 記
1998年、国際宇宙ステーションの建設がやっとスタートしました。
また、ハッブル宇宙望遠鏡が活躍中なのはご存じの通り。
でも私が小さい頃は、1990年代というと、もっともっと宇宙開発が進んでいると思ってましたが、現実にはなかなかですね。
そうそう、余談ですが、本作品は獅子座流星群に影響されて、というわけではなく、むしろヘール・ボップの影響ですね。
あの彗星は感動しました。
ここでは21世紀もだいぶ経ってから、国際宇宙ステーションも有人の望遠鏡衛星もいくつも稼働している時代を想定しています。
生きている間にそんな時代が来てほしいものですね。
おそらく未来には出身民族や地上の国家にとらわれない宇宙社会が形成されていくのではないでしょうか。
拙作では、そうなっていく過渡期のような時代を意識しています。