砂浜の幽霊

「ねえねえ、知ってる? T市の海岸……」
「何を?」
「出るんだって……」
「出るって何が」
「砂浜の幽霊……」

 どこにでも転がっている噂話だが、それを小耳に挟んだ私は、その海岸に行ってみることにした。 興味本位、というだけじゃない。 売れないフリージャーナリストとしては、この地元に密着した話題が何か欲しかったのだ。
 若者たちの話からだいたいの場所の見当を付け、夕方、車を飛ばす。 だが、予想外の帰宅ラッシュで道路が混み、目的地に着いた頃には、日がとっぷりと暮れていた。
 大した明かりもなく、海岸は暗闇の中に沈んでいた。 砂浜を歩いていくと、やがて波が打ち返す音が聞こえてきた。
 波打ち際に立つと、海は塗りつぶしたように真っ暗だった。 吸い込まれそうなほどの暗闇は、古くからの妖怪伝説を思い出させる。 船幽霊、海坊主、河童……そんな連中が現れても、不思議ないような気持ちにさせる。
 だが、海は黒々と横たわるだけで、そこに異形なるものの姿は見あたらなかった。
 私は海岸に座り込み、いちおう持ってきたカメラやレコーダーも脇に置いて、寄せては返す波の音に聞き入っていた。
 そういえば……幼い頃、海岸でよく遊んだっけ。 あれから何年経っただろう。
 後ろの砂防林から、虫の鳴き声がかすかに聞こえてくる。
 私は幽霊のことなどどうでもよくなり、頭の後ろで両手を組んで、砂浜に仰向けになった。
 無数の星々が目に入ってくる。 もちろん昔に比べればずっと減っているのだろうが、それでも町の中心部に比べれば、たくさんの星が瞬いていた。
 どれほどそうしていただろうか。 何となく満たされた気持ちになって、私は車へと戻っていった。


 翌日、幽霊の噂話をしていた顔見知りの若者をつかまえた。 もう少し具体的に話を聞かなきゃならない。
「幽霊なんて全然出なかったぜ。 いい砂浜だった。 星がきれいで……」
「え……砂浜?」
 若者は仲間と顔を見合わせた。
「やっぱり出たんですね…」
 そして若者は、とにかくもう一度海岸へ行って見ろ、としきりに言った。
 若者の言うことは信じ難かったが、とにかく昨夜の場所へと車を走らせた。
 車を停め、再び海岸に降り立つ。
 岸はコンクリートで固められ、沖合の仕切り板で外海から仕切られ、もと波打ち際だったところは完全に干上がっていた。 波の音など、聞こえるはずもなかった。
 砂浜の幽霊……砂浜に出る幽霊、ではなくて、砂浜そのものの幽霊!!
 海が干上がった跡は無数にひび割れ、あちこちにゴミが散乱していた。 排水路からは腐臭すら漂ってくる。
 私はジャーナリストとして、興味本位ではなく、真剣に取り上げるべきテーマを見つけたのだった。