引き出しへの招待
「あ、こんなものも入ってる〜」
女性社員の一人が笑いながら何か取り出した。
それを遠巻きに見ている若手男性社員が近づこうとして、古参の女性社員に追い払われていた。
私は自分の席に座ったまま、その様子をながめていた。
うちの部署の若手女子社員が、何の連絡もなしに出社しなくなってから一週間近くになる。
最初のうちは留守番電話に連絡するよう何回も吹き込んでおき、続いて同僚に友人知人をあたらせてみたのだが、彼女の行方はようとして知れなかった。
とうとう昨日、彼女のアパートを訪れてみたが、部屋の中はつい昨日まで生活していたかのように、何もかもほったらかしの状態だった。
これでは警察に連絡するしかない。 その前に、彼女のデスクの引き出しも調べることにしたのだ。
だが私を含めて、男が女性社員の引き出しの中を見るとなると、プライバシーだ何だとうるさい。
そこで、部屋の女性陣に任せることにしたのだ。
本当は彼女らも、他人に関してはプライバシーよりゴシップ好きなのだが。
「室長、いちばん広い引き出しなんですが、鍵がかかってるみたいなんですが……」
そこで私は念のために借りておいた合い鍵を渡した。
しばらくガチャガチャと鍵と悪戦苦闘する音がしている。
何しろ古い事業所だから、いいかげん古くなった机を使い回しているのだ。
やっと鍵が開いたとみえて、ギシギシと引き出しを引き出す音がした。
「ひっ……!」
女子社員の喉を締め上げられるような声がして、全員が何事かと振り返った。
悲鳴を上げた社員は、ものすごい勢いで今あけた引き出しを机に押し戻した。
引き出すときは抵抗したにもかかわらず、戻すときは引き出しはすんなりと収まった。
そのただならぬ様子に、私は席を立って近づいた。
「どうしたんだ、一体!?」
「この中……引き出しの中……」
彼女は引き出しを指さしたまま、それ以上言葉が続かない。
周りを見渡したが、他の者は彼女が何を見たのか知らないようだ。
大勢の視線を感じながら、私はやむなく引き出しに手をかけた。
ろくでもない想像が幾つも頭をよぎる。 本当は私だってこういうことは苦手なのだが、室長としては仕方がない。
意外とすんなり、引き出しが出てきた。 周りの者が体は引きながら、顔だけ突き出して中を見ようとする。
引き出しの中には、平凡なノート、伝票、筆記具があるだけだった。
「これが……どうかしたのかね?」
私はつとめて穏やかな声で、悲鳴を上げた社員に訊いた。
「ゴキブリでもいたんじゃない?」
「ネズミだろう」
「そんなものが入ってられるかよ」
野次馬が無責任に声を上げる。
「だって……だって……」 哀れにも彼女はまだ青ざめたまま、信じられないという表情のまま首を振った。
「まあまあ」 古参の女性社員が彼女の肩をとった。
「疲れてんじゃない? ちょっと休みましょ」
「だって……」 引っ張られながら、彼女はなおも引き出しの方を振り返った。
「だって、中は真っ暗で何か光ってたのよ!」
何のことやら分からず、皆は顔を見合わせた。
「引き出しの中が真っ暗って……ドラエモンのタイムマシンじゃあるまいし」
男性社員の一人が余計なことを言い、何人かが短く笑い声を上げた。
警察が帰り、室員も全員帰宅した部屋の中で、私はぼんやりと紙コップのコーヒーをすすっていた。
もう帰るとしようか、と立ち上がったとき、いなくなった女子社員の机が目に入った。
会社の備品は外され、個人の持ち物は箱にまとめられ、一部は警察が持ち帰った。
引き出しにも、もう鍵はかかっていない。
ふと昼間の騒ぎを思い出し、私は引き出しに手をかけ、ゆっくりと引っぱり出した。
夕闇迫る室内の薄暗さの中でも、引き出しの中は妙に暗かった。
底が見えない。 いや、底がない!
引き出しの中は塗りつぶしたように真っ黒だった。
思わず閉めようとしたが、思いとどまって恐る恐る引き出しに顔を近づけた。
真っ黒い空間に、細かい砂粒のような光点がいくつも見える。
次第に目が慣れてくると、小さな光点は引き出しの中いっぱいに散りばめられているのが分かった。
ひときわ大きな光点がある。 いや、それは点ではない。
平たくつぶれた円盤のようであり、よく見ると渦を巻いていた。
− ぎ …… 銀河系 ……!?
よく見ようとして顔を近づけると、下の方に地面があるのが分かった。
つまりこれは宇宙空間ではなくて、夜空なのだ。
だが、銀河系があんなに大きく見える夜空というのは……。
下に見える地面は、砂浜のようだった。 星明かりの中で、波打ち際がぼんやり見て取れた。
その砂浜に、何か動くものがあった。
人影? 誰か、人間がいる!?
驚いた私は顔を上げ、叩きつけるように引き出しを閉じた。
何かが飛び出してきそうな感じに襲われたのだ。
しばらく呆然と、閉じた引き出しを見つめる。
やがて恐る恐る、そっと引き出しをひっぱりだした。
ごくありふれた、スチールの底が目に入った。
その後も彼女の行方は知れず、半年後に机は事業所の備品庫にしまわれることとなった。
引き出しの鍵はかけたまま合い鍵を返してしまったので、あれから引き出しを開けた者はいない。
翌年には会社の合併で事業所が閉鎖され、私は本社に転属となった。
備品庫にあった品々は、一部は処分され、また本社や他の事業所に分配されていった。
あの机がどこに行ったのか、私に知る術はなかった。
ただそれ以後、社内で初めての場所に顔を出すと、必ず机の引き出しが気になるのだ。
そっと開けてみたい誘惑に駆られる。
ありふれた大量生産の事務机。 多くの会社に同じものがあるだろう。
おそらく、あなたの会社にも。 ある日、その机が突然新しい回路を開くかも知れない。
あなたをどこか新しい世界へ招待するために……?
いなくなった彼女は、どこか新天地へ行ったのだろうか。
もしかすると、あの人影は……? そしてあの日、私にも見えたということは、私も招待されたのだろうか。
それに応じなかったことが正しかったのかどうか、私には分からない。
その同じ机の上で、私は相も変わらず同じ仕事を続けているのだった。