無題 −
あるいは一つの実験結果

   (テーマ館第30回テーマ「無題」投稿作品)

 長い長いトンネルをくぐり抜け − 彼はついに、《邪悪なるもの》 を追いつめた。 あと一太刀で、長年追い続けてきたそいつを、倒せるはずだった。 だが −
「とうとう、ここまで来てしまったのですね……」
 《邪悪なるもの》 から発せられた声は、彼を驚愕させた。 それは、彼をこれまで導いてきたはずの 《正義の女神》 と同じ声だったからだ。
「そ、その声は……!」 彼は 《邪悪なるもの》 をまじまじと見つめた。
「なぜ! まさか、まさか同一の存在とでも……!」
 《邪悪なるもの》 がフッと笑った気がした。 そこへ 《正義の女神》 の顔がだぶったように見えた。
「自然の営みは、常に対称になっています。 陰と陽、作用と反作用、常物質と反物質……あなたの考える正邪とは、また次元が異なるのです。 《正義》 《邪悪》 などと呼んだのは、あくまで便宜的に過ぎません。 車の両輪のようなもので、どちらか一方だけを消滅させることは出来ません。 一方が消えれば、一切が無に帰してしまいます」
「では……なぜ、なぜ私をここまでお導きになったのですか!」
「私ではありません。 この世界の外側にあり、我々の一生すら一瞬としてとらえるような、より高次の存在……」
 彼は暗い洞窟のような世界を見渡した。 この世界の、外側……?
「ここまで来てしまったからには、やむを得ません。 さあ、あなたの使命を果たしなさい……」
 だが、混乱した彼は動けなかった。
 突然 《邪悪なるもの》 は立ち上がり、彼に挑みかかってきた。 ほとんど条件反射的に、彼は剣を振りかざした……。


「対消滅確認……反粒子、すべて消滅の模様です」
「やっぱり、対称性は崩れなかったようね。 粒子加速器をオフに」
「先生、今回の観測データ、表計算ソフトにイクスポートしますか?」
「とりあえずテキストに落としといて」
「ファイル名は何と……」
「そうね……すべて無に帰したんだし、ファイル名は《無題》のままでいいわ」


後 記
今回のしのす様HP投稿館のお題は「無題」…… 無題 → 無に帰する → 対消滅、というしごく安易な発想から生まれたものです。 その後で「無題」と言えば Windows でファイルを保存するときのデフォルトの名前だなあ……と思いついて、さらにさぶさが増してしまいました(^^;)
観測データをテキストに落とすというのは、うちの会社の分光光度機で毎日やってるのですが、粒子加速器でもそんな処理するのかなあ?