恋の媚薬はフェロモンの…

「こんにちは、K助教授のところの者です。 データをお持ちしました……」
 大学院生のA君はおどおどとインターフォンに話しかけた。 すぐにL博士が顔を出す。
「やあ、ご苦労さん。 まああがってらっしゃい」
 L博士は現在、A君の師であるK助教授と共同研究中だ。
 博士は優秀な学者だというが、一匹狼を通しているので、いろんな意味で今一世間に認知されていない。
「データならメールででももっと速くお送りできますのに」
「何の、あんなもんセキュリティがまだまだだ。 平凡な研究なら構わんが、競争相手がいる内容では気を付けた方がいい」
 と言いつつも、世間で流行しているものは嫌いだという偏屈さのせいかもしれない、とA君はふと考える。
 冷蔵庫から取り出した缶ジュースをA君に勧めておいて、L博士はざっとデータに眼を通した。
「いや、ありがとう。 ところでA君……」 L博士の口調が急に変わり、A君は緊張した。
「K先生から聞いたんだが……何でも恋煩いというじゃないか」
「いえ、えーと、その……」 A君は困り果てたという表情で頭を掻く。 K助教授から聞いていたとおり、今どき珍しいぐらい真面目だが、やや気弱な若者の様子にL博士は微笑んだ。
「まあ照れることはないよ。 私だって経験あるし。 ただ実験も手に着かないほどだってK先生が心配しててね」
「すいません……」
「謝ることはないさ。 ただ私もちょっと一肌脱いでやろうと思ってな」
 L博士はニヤリと笑うと、予め用意していたらしい小瓶を取り出した。
「申し訳ないとは思ったが、K先生にいろいろ訊いてね。 君は女性に対してあまり自信がないそうじゃないか。 そこでこれ。 自信をつける薬、というわけだ」
「そんな都合のいいものってありますか……?」
「フェロモンは知ってるだろう? 昆虫なんかによくある、異性を惹き付ける作用を持つ化学物質だ。 人間にもあるかどうかは意見が分かれているが、それに近い効果のある物質だよ」
「そんな物質が発見されてるって聞いたことありませんけど……」
「そりゃこの発見は某化粧品会社に売却したから、本当はそこの企業秘密ってことになってる。 だからこの話は内緒だよ。
 それにこれは単独の物質じゃなくてね、いろんな天然抽出成分のブレンドなんだ。 副作用の心配もないことは保証する。 南米産のミツカオリダケ、インドシナ半島のブルークメルソウ、ヒマラヤの黒いケシ、アルプスのヨーデルアイス……」
 L博士は興奮して指折り数えたが、A君の視線にはっと気付いて手を振り、 「いやいや、詳しい組成はよろしい。 まあ一種の漢方薬の応用だよ。 このブレンド比こそが肝心なんだ」
「でも、そんな薬って…何だか相手を騙すみたいで……」
 L博士はうんうんと頷き、「勘違いしちゃいけないのは、この薬はあくまで雰囲気というか、魅力を引き出すだけのものだ。 そっから先は、あくまで君の力次第だよ。 第一ステージに上がる勇気のない人に、とりあえず上がる勇気を与えるためのものなんだ。
 さあ、悩んでいたって先には進めない。 まずはこの薬で進んでみないかね?」


 翌月、K助教授は大学の研究室でL博士と打ち合わせをしていた。 話が一段落付いたところで、ふとK助教授が尋ねた。
「そういえばL先生……A君に一体どんな魔法を使ったんです?」
「ほう、効きましたか?」
「効くも何も……実はさ来月結婚式だそうで」
「ほー ……… それはそれは……」
「たぶん先生のところにももうすぐ案内状が届くんじゃないですか。 で、一体何を使ったんです?」
 突然L博士はカラカラと笑いだし、びっくりした学生が覗き込んでいった。
「いや、失礼。 彼に処方したのは、市販のビタミンドリンクですよ。 味は少し変えたが……」
 K助教授は少しだけ探るような目つきをしたが、
「なるほど……ブラセボですな?」 と言うと、つられて笑い出した。
 ブラセボは 「偽薬」 などとも訳されるが、本来効果のないものを効果がある、と信じて飲むと、本当に効果が出てしまうものだ。 ただの小麦粉やビタミン剤を、風邪薬だとか頭痛薬などと言って服用させると本当に効果が現れることはよくあり、「ブラセボ効果」 と呼ばれている。
「私ゃ何もしてませんよ。 それはまさにA君自身の実力の成果ですな」
「いやいや、L博士は大したカウンセラーでいらっしゃる」
「ははは、本当にそんな薬があれば、私も未だに独身ということはなかったでしょうな」
 K助教授が席を離れたとき、見計らったように一人の学生が近寄ってきた。
「どうも、この研究室のBといいます。 L先生の評判はかねてからうかがってます…」
「そりゃどうも」 言いながらL博士は、Bという学生をざっと観察した。 背の高いスポーツマンタイプではあるが、何となく強者にへつらうような、ということは弱者をくじくような、いじめっ子の子分あたりにいそうな雰囲気が感じられる。
「実は……A君を締め上げ、じゃない、A君に頼み込んで聞いたんですが、あのお薬を少しばかりお裾分けいただけないかと……」
 L博士は斜めにBを見据え、「君みたいなタイプは充分もてるだろうが、そんなもん使わずとも」
「いえいえ、最近の女性は理想が高くて……」
「ふーん……しかしあれは本当は企業秘密なんだよ。 私から何かもらったってことは、何があっても絶対秘密にできるかね?」
「そりゃあもちろん!」
「そうか、ならば今度、君にも分けてあげよう。 特別版を……」

        *         *         *

 一週間後、L博士のところにK助教授から電話がかかってきた。
「L先生、うちのB君なんですが……何かしましたか?」
「はて、どうかしましたか?」
「どうも毎晩眠れないとかで…」
「いやあ、どうしてもとせがまれて、先月A君にあげたのと同じやつをあげたんですがね。 ただ彼はもともとプレイボーイだそうだから、ブラセボじゃあ効果ないでしょ。 だから本物のフェロモンを添加したんですよ。 といっても人間のは無いから、とりあえずゴキブリのをね」