リアル・ゲーム

 敵の首都は占領された。 「You win」 の文字。そしてエンドタイトル。
 とうとう彼お気に入りのゲームは最終レベルまでクリアされた。 数瞬間の余韻が引いていくと、これまで画面だけに集中していた視野が少しづつ広がってくる。 ちゃちなテーブルに乗った旧式のパソコン。 床に散らかった本や衣類。 薄汚れたせまっくるしい部屋。 逃げようもない彼自身の現実。

 − ならば我と共に来るか!?

 どこからともなく、そんな声が聞こえた。

 − 真の戦いへ、さらなる動乱の世界へ、我と共に来るか!?

 へえ! 続編か新手の広告かい!? ちょっとクサイが凝ってるじゃないか。
 画面には何か人影のようなものがちらついていた。

 − 来るならば、強く念じれば良い。 そして決定の意思表示をせよ!

 いきますよ。 次はどんなゲームを楽しませてくれるんだい?
 彼は念じるということは苦手だったが、決定の意思表示はごく気楽にすることになった。 少なくともゲーム中の彼にとり、 「決定」 とはマウスをクリックすることだった。 マウスをクリックし、次にどんな画面が現れるのかと、顔を画面へと近付けた……。


 突然足元に鋭い音が響き、砂煙が立ち昇った。
 驚いて辺りを見渡す。
 青空の下、どことも知れない荒野。 そのただ中に彼は立っていた。
「 おい! 早く武器を取れ!」
 背後から声がし、振り向くと人影が細長いものを放ってよこした。 驚いた彼はそれを取り損ない、足元に落としてしまった。
「 敵は至近だ! 健闘を祈る!」
 その声はどこかで聞いたような気がしたが、また足元に何かが跳ね、ゆっくり考える暇もなかった。 足元に落ちたものを拾い上げると、どうやら銃の一種だった。
「 ちょっと待ってくれよ! これは……ゲームなのか!? ここはどこなんだよぅ!」
 だがもう声は聞こえなかった。
 またも地面に何かが弾ける。 これは……丘の向こうから誰かが銃を撃ってきているのだ! ということは……この自分を標的にして!
 それに気付いたとたん、彼は丘と反対の方向へ走りだした。 耳元を鋭い音が通り過ぎていく。 だがすぐに駆ける速度は落ち始めた。 ゲームのようにキーやマウスで移動するようにはいかない。彼の脚は、すぐに疲労を訴え始めた。
「 急げ、こっちだ!」
 横手の丘からまた別の声がした。 見ると、一人の少年が同じように銃を持って伏せている。
「 きみは!? どうしてここに!?」 少年の横に滑り込みながら、彼は訊いた。
 少年は丘からそっと顔を出し、何かをうかがってから彼の方を向いた。
「 同じチームじゃないの?」 その声は、彼より幼かった。 「 リアルバトルゲームの……」
「 な、何だ? それ……」
「 リアルバトルゲーム。 僕はサバイバルゲームのファンでさ、それで申し込んで来たんだけど……」
「 どうやってここに!?」
「 バスで 」
「 じゃあここはそんなに遠くない……」
「 あ、でも途中なぜか寝入っちゃって……時計もなくなってるしなあ。 夕方だった筈なんだけど、あれからどれくらい経ったんだろう?」
 彼は自分の経緯を話し、とにかくゲームだと分かって安堵の息をもらした。
「 でもこの銃、初めて見るけどまるで本物でさ、ぞくぞくするよ!」
 興奮する少年の様子を見て、彼はゲームに熱中している彼自身や仲間の様子を思い出していた。
「 あ、やばい! 迫撃砲だ!!」 言うなり少年は丘を離れ、走り出した。
「 おい、待ってくれよ!」
 少年を追おうとして飛び出した彼の眼前で、轟音と共に火柱が立ち昇った。 火柱は立て続けにいくつも立ち、轟音で鼓膜が麻痺する。 恐怖に駆られた彼は丘の斜面にへばりつき、頭を抱えてうずくまっていた。
 轟音は唐突に止み、あたりを静寂が包んだ。 彼はゆっくり頭を起こすと、辺りを見渡した。
 迫撃砲、というのだろうか? 火柱が立った後には、浅いクレーターが開いている。
 クレーターの近くに少年が横たわっている。 ボロ切れのようになって、ぴくりとも動かず。 彼には少年に近づく勇気はなかった。
 − 楽しかったかい? このゲームは……。
 彼は心の中で呟き、途方にくれて座り込んだ。 もはや何が現実か、今こうしている自分自身が現実なのか、分からなくなっていた。
 背後で歓声が沸き上がり、丘を越えて幾つもの人影が飛び出してきた。 そして座り込んだ彼を見つけると、銃を構えて彼を取り囲んだ。
 高級軍人らしい制服の男が近づいてくる。 男は何か喋ったが、それは彼の知らない言葉だった。
「 あんた達、いったい誰なんだよ。 これは戦争なのか? ここはどこなんだ?」
 男は首をかしげ、さらに何か喋った。 どうやら彼に何かを尋ねているらしいが、彼には答えようもなかった。
 男はごく自然な動作でホルスターから拳銃を抜き、銃口を彼に向けた。 その両眼には、かすかな狂気の光があるような気がした。
 彼にとって、戦争とはゲームやフィクションの中での出来事だった。 ゲームの中で倒れていくキャラクターなど、電子が生み出す記号の集積に過ぎなかった。
 まして、ニュースで報道される遠い異国での出来事など、一瞬だけ現れては消えていく文字や映像でしかなかった。
 だが今、さっきまで話していた少年は向こうでボロ切れのようになって横たわり、見知らぬ男が自分に向かって銃を突きつけている。
 いったい何の理由があって!?
 これが戦争というものか!? これまでゲームの中で弄んできた、戦争というものの姿なのか……!
「 待ってくれ!」 彼は必死の思いで叫んだ。 「俺はゲームをしてただけなんだ! 戦争をしにきたんじゃないんだよぅ! やめてくれ、戦争反対!」
 泣きわめきながら身を翻そうとした瞬間、男は無造作に引き金を引いていた。
 衝撃と共に、視界が闇に閉ざされた。 ゲームオーバーの表示すらない、唐突な幕切れであった。

*            *            *

 薄汚れた天井が目に付いた。
 恐る恐る、ゆっくりと上半身を起こす。
 彼の体はベッドのすぐ脇にあった。 どうやら、頭から床に転げ落ちたようだった。
 − 夢……?
 見慣れた、彼自身の小さな部屋だった。 普段と違うところは何もない。
 起き上がって大きく伸びをし、窓辺へと歩み寄った。 カーテンをすこしずらすと、家々の屋根を照らす朝の陽が目にしみた。 とりあえずは平穏な、変化の少ない日常。
 新聞受けから朝刊が落ち、一面が開いている。
 醜悪な政治劇。 汚職事件。 そして、どこか遠い国での内戦の記事。
 − もしかしたら……もしかしたら、これからはちょっと見方を変えられるかも知れない……。
 今日もまた始まる日常の中で忘れないという自信はなかったが、そんな思いを胸に、彼は新聞を拾い上げた。