現代幽霊事情


「うらめしや〜……」
 異様な気配にハッと目が覚め、跳ね起きた。 枕元を見やると、青白い顔に白装束、胸元で曲げた手、とあまりに典型的な……
「どわあっ! な、なんでだあっ! 俺は何もしてないぞぉっ!!」
「山田野鈴木上武介、積年の恨み、今こそ……」
「え……? 誰だって?」
「山田野鈴木上武介……」
「……ひょっとして……人違いじゃあ……」
「お主……山田野鈴木上武介ではござらぬか?」
「違う! 全然違う! 人違いだよお!! この顔でわかんない!?」
「そういえばお主……南蛮の方か? さてはあやつ、我が輩の気配を察して……これは失礼つかまつった、ごめん!」
 そこで目が覚めた。 跳ね起きて周りを見渡しても、誰もいない。 いささかの薄気味悪さを感じながらも、時計を見た彼は起き出して食事の準備をしようとした。
 その時……
「たびたびすまぬが……」
 背後でささやくような声を聞き、彼は数センチ飛び上がった。 恐る恐る後ろを見る。
「ゆ……夢じゃなかったのか……」
 だが、その幽霊はいかにも困惑した表情で、佇んでいる。 もっとも足があるのかないのかは、やはりぼやけていてはっきりしないが……。
「この地は一体いずこでござるか? 噂に聞く 『いすぱにあ』 か、それとも 『えげれす』 か……」


 どうもそうではないかと思っていたが、江戸時代あたりの人が亡くなった幽霊らしいということは間もなくはっきりした。
「さようか……今の世はもう将軍様の世ではないのでござるか……」
「化けて出るにしても、なんでまた百何十年も経ってからになったの? あなたの恨みの相手も、もうそっちに行っちゃってるよ」
「向こうの世もいろいろとござってな……我が輩のような下々の者は、なかなか自由にならぬのだ」
「人違いだなんて、恨みの相手の顔も知らなかったの?」
「さよう。 実は現世に残した家族の仇でな。 家の場所と名前を聞いて、この儂がかたきを取りに来たのだが。 そう言うお主は、南蛮あたりから参られた御仁ではないか?」
「まあ……そう、祖先が……うう、帰化人だもんで……」
「やはりのう。 しかしせめて、この世で我が輩がいた土地だけでも見てゆきたいのだが……」
 幽霊の語る情報は、専門家でない彼には、現代ではどこに当たるのか見当もつかなかった。 江戸のどこか、ということらしいのだが……。
「やっぱりこういうことは人に訊きますか」 そう言うと彼はパソコンの電源を入れた。
「それは……なんでござるか?」
 江戸時代の知識しかない人物にパソコンやインターネットなどを説明するのは至難の業だ。 しかしどういう訳か幽霊は異常に興味を示し、画面をしげしげと見やった。
「間もなく丑三つ時だが、今の者どもはこんな時刻にも起きておるのか?」
「それが現代の特徴かな。 このエレキって奴のおかげで夜も昼のように明るいし、大体地球の裏側……というか、さっき言ってた 『えげれす』 なんかは今は昼だしね」
 インターネット上でしばらく調べていると、幽霊が怪訝そうに覗き込んだ。
「このからくりは……あの世とも通じておるのか?」
「え?」
「さっきから感じるのだ。 我が輩にも分かる気配がたくさん行き交っておる」
 そして……そして信じられないことに、幽霊はパソコンの画面に吸い込まれるように入り込んでしまった! 驚いてパソコンの画面を覗き込むと、画面に幽霊の顔がひょいと現れ、彼は椅子ごとひっくり返ってしまった。
「ここは……我が輩のおったあの世と似ておる!」 スピーカーから幽霊の声が聞こえる。 「仲間もようけおるぞ! 我が輩の時代も、この今の世のことも、ここに広がっておる! 我が輩はしばらくこの世界を巡ってみる。 まことに世話になった。 では、失礼つかまつる!」


 ……そう言えばかの発明王エジソンは、頭脳の働きも一種の電気信号と考え、晩年には霊界通信機のようなものを造ろうとしたらしい。 「肉体が死んでも精神が残っていれば、私の装置で取り出せるはずだ」 と日記に記したそうだ。
 もしも幽霊というのが、肉体以外の何らかの担体に支えられた個人情報であり……そしてその担体が電気的に互換性があるとしたら……。 いや、よそう。 あまりに荒唐無稽だ。
 しかし、この世界中に広がった巨大なネットワークの中には様々なものが流れている。 個人情報、国家機密、ウイルス……世界中のあらゆる事象が情報という形で交錯し、しかも感情、好奇心、欲望、あからさまな敵意さえその上に乗っている。 匿名の世界で、昼の世には現れない様々な魑魅魍魎さえも蠢いているのだ。 幽霊のような存在だって充分あり得るのではないか……? ひょっとすると、今夜あなたのパソコン画面に、幽霊がひょいと顔を現すかも知れない。
 それにしても……。 あの幽霊は江戸時代から浦島太郎みたいに登場したのに、すぐ時代の最先端に適応してしまった。 それに比べて自分は……。
 幽霊のことをちょっとうらやましく思いながら、かつて日本へやってきた吸血鬼の末裔である彼は、乾燥血液を取り出すと中断していた食事の準備を始めた。