もう一度 「あずまんが大王」
「あずまんが大王」 終了からすでにそこそこの時間がたつ。 いくつかのあずまんが系同人誌のサークルさんもそろそろあずまんがシリーズを終了し、さすがに作品を見返す回数も減っている。
しかし、ワタクシ的には今もお気に入り作品の不動の地位を保っている。
これまでのところ、こうした分野では 「あずまんが大王」 に匹敵するほどのお気に入りにまだ出会っていない。
まだまだ 「あずまんが大王」 を扱いたいのだけれど、これから先どれほどHPに時間が割けるかも分からない。 「あずまんが大王」 についても今のうちに書きたいことを思いっきり出してしまおう、と書き始めた文章であるが、お付き合いいただければ幸いデス。
* * *
比較的最近もあったが、「あずまんが大王」 について 「何も起こらない」 「日常」を描いた作品、という評を時々見かけた。
「何も起こらない」 のに面白い、というのである。
ちょっと待ってほしい。 「日常」はともかく、はたして
「何も起こらない」 作品だろうか?
「あずまんが大王」 に描かれる様々な場面。 入学。 文化祭や体育祭。
中間テストや期末テスト。 いや、日々の授業でさえ。
クラス替え。 修学旅行。 そして卒業。
これらすべてが学園生活における大きなイベントではなかったか。
「何も起こらない」 などと片付けられてしまうような些細なことだろうか。本人にとっては、その一瞬ごとがかけがえのない、その時点でのすべてだったのではないだろうか。
− その 「本人」 とはもちろん登場人物であり、そしてまた読者の過去あるいは現在でもある。
「あずまんが大王」 の世界は (個々のキャラはぶっ飛んでいるにしても全体としては)「誰でも了解可能な懐かしき学園生活」 であり、読者の持つ学園生活の想い出 (もちろん読者一人一人の現実の想い出は様々、千差万別であろうが)
と共鳴する世界といえよう。
「私はどちらかというと先輩と仲が悪かった記憶の方が強烈で、大乱闘(笑)の学生時代だったんです。だけど、ちゃんとした学生生活をこの仕事でおくらせていただきました」(浅川悠;榊さん役)
「自分のとは違う高校生活を疑似体験したのではないでしょうか?」(石井康嗣;木村先生役)
(「あずまんが大王 The Animation ビジュアルブックA」
メディアワークス,2002年より。 ところでこのビジュアルブック、ちよちゃん、大阪さん、榊さんの三人を優遇しすぎなのがちょっとなぁ)
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さて、「あずまんが大王」 終了以降は 「よつばと!」 が連載されているが、皆さまのご感想はいかがであろうか。
「よつばと」 のキャラの中では、あさぎ姉さんなんか一見 「あずまんが大王」 のよみちゃんに通じるかもしれない。 とすると傍若無人に振舞うよつばは、例えばともちゃんあたりに対応するだろうか?
第9話 「よつばと復讐」 では、よつばが 「いのちをたいせつに」 と言いながら水鉄砲を撃ってみたり、自分で撃って
「だれにころされたー!!」 と叫んでみたり、恵那を撃っといて 「おんなこどもはやらない」 と言ってみたりするトンチンカンさは充分に笑えます
(このあたりでいちばん笑ったのは、恵那に水鉄砲を突きつけて叫んだ 「うごくな! ノンストップ!」
というセリフですが)。
う〜ん、あずまんがキャラで対抗しようとしたら、ちよちゃんの身体に大阪のボケとともの暴走を乗り移らせたらよつばに近いかな?(笑)
傍若無人に振る舞うよつばに対し、何枚か上手のあさぎ姉さんがよつばの水鉄砲をはたき落としたりすると 「やった!」
と思うわけだが……一歩引くと 「子ども相手に
『やった』 もないだろう」 と冷めてしまう面も否めない。
「あずまんが大王」 の場合は、よみもともも、ゆかり先生や黒沢先生までも、良くも悪くも対等である。 そんな中で、やや大人っぽいよみちゃんといささか子供っぽいともちゃんが対等にやり合い、勝ったり負けたり、「仲良くケンカしな」(笑)みたいなやりとりを繰り広げる。
(そう言えばふと思ったんだけど、今の若い人は
「なっか〜よっく〜ケンカしな♪」 って通じるのかな?)
一方 「よつばと!」 の場合、あさぎ姉さんとよつばは、要するに大人と子供であり、最初っから違うのだ
(当たり前といえばあまりに当たり前だが)。 つまりは学園ではなく家庭が舞台であるためで、だから良い悪いということは一切ない。
ただこの点において、「あずまんが大王」 とは基本的に違うのではないだろうか。
もちろん 「あずまんが大王」 も 「よつばと!」 も両方面白いと思う方も、「よつばと!」 の方が面白いと思う方もおられるであろう。
あくまでワタクシ的に、「よつばと!」 と 「あずまんが大王」 との感情移入の温度差がどのあたりに起因するのか、と考えた結果、どうやらこのあたりの違いも一因ではないか、と感じている。
まぁそれだけでなく、「あずまんが大王」 の 「誰でも了解可能な懐かしき学園生活」 に比べると、三人姉妹 (兄弟) とかおっきな一戸建ての家とか、そんな恵まれた環境とは私はまっったく縁がないですからねぇ。
そこらへんもあったりして(笑)
ホラー映画というのは私は好きではないので詳しくないが、聞くところによると、ホラー映画で被害に遭うメンバーは日本映画では友達どうし、アメリカ映画では家族が多いのだそうな。
何となく 「あずまんが大王」 と 「よつばと!」 に対応するような気もする(かなり強引ですが
^^;)。
「よつばと!」 に比べると 「あずまんが大王」はアニオタ向けだと色眼鏡で見ている人もいるようだ。
まぁアニオタにもたぶん懐かしき学園生活の想い出はあるのだろうから、その視点から一致点を見出すこともできよう。
一方で 「よつばと!」 を 「くれよんしんちゃん」 などとだぶらせる人もいるらしい。
家族を軸にすると、ある意味それもあるかも。
家族を軸にするなら、典型例は「サザエさん」かもしれない。 考えてみると 「サザエさん」 は 「何も起こらない」「日常」 を描いた代表作にも思える。
しかし、ああいう一戸建て住宅に住む多世代家族なんてのはワタクシ的には数百光年彼方の話なので、「サザエさん」は私にとって昔から親近感をほとんど感じない作品デシタ。
「あずまんが大王」 終了後に出会ったお気に入りアニメに 「無人惑星サヴァイヴ」 (2004年、NHK教育にて毎週木曜日7:30より放送された)がある。
宇宙開発が盛んな時代、ロケットの遭難で見知らぬ無人惑星にたどり着いた7人の少年少女
(+α) が、様々な困難に立ち向かって生き延びていく物語である。
TV放送では第28話からというかなり後の方からしか見られなかったが、この作品では7人の少年少女が対等であり、よくありがちな人間関係のドロドロした部分のない、気持ちのよい関係を保っていた。
まぁ救いようのないぼんぼんが一人紛れ込んでいるし、他のメンバーも感情的になると結構荒れたりするが
(状況が状況だけにやむを得ないとはいえ、ちょっときつすぎる時もあるな)、それでも毎回良い感じには収まってくれていた。
私の友人に、人間関係のドロドロを描いた作品が好きだという、この点だけはどうしても噛み合わないのがいる。
私からすれば 「そんなのは現実だけで充分」 であり、「そんなものをわざわざフィクションでまで見せつけられてもちっとも面白くない」 と思うのだが……どう面白いのか素朴な疑問としてよく彼に尋ねるのだが、なかなか明瞭な答えを得られていない。
世の中にはいやと言うほどドロドロな作品って確かにあるので、世の中にはこれを面白いと思う人たちが確かにいるようだ。
もちろん何を面白いと思うかは個人の自由なので構わないのだが、やっぱりそういう作品には近づきたくないなぁ……。
脱線が長くなったが、要はそうしたありがちなドロドロとは比較的無関係な点が 「無人惑星サヴァイヴ」、そしてもちろん 「あずまんが大王」 の、お気に入りな理由の一つである。
「サヴァイヴ」 の場合ストーリーの途中 (第40話) でルナとベルという二人がカップリングしかけたが (この組み合わせは意表を突かれたなぁ)、その後も皆の信頼関係や友情は変わらず、そのあたりもとても気に入っている。まぁエンディングまでにはさらにいろいろ微妙なとこもありましたが、まぁそれぐらいは……
いささか極端な例であるが、例えば 「宇宙戦艦ヤマト」
とか 「サイボーグ009」 なんかも複数の仲間が一緒に戦う物語である。
しかしみんな対等のはずなのに、主人公とヒロインがカップリングしてしまうと、その他のメンバーは不可避的に
「(主人公に比べれば)脇役」 の地位へと追いやられているように思えるのである。
現実世界はどうしても不公平なんだから、せめてフィクションではそんな方向に行かず、みんな幸せになってもらいたいものである。
……とか何とか書いてたら、第43話でシャアラとハワードという二人が生死不明の行方不明状態になってしまいましたがな。
実はシャアラさんのファン(笑)としては非常に辛かったですね〜。
このアニメ、全員無事に帰還できるタイプだと確信してたんだがなぁ、希望的観測として無事生き延びていて再会するものだと信じたい……と思いながら見てたら、ほぼ希望的観測どおりになってくれました。
この良い意味で期待を裏切らないストーリー展開、そんなあたりも、ワタクシ的に素晴らしいと感じさせてくれる作品デシタ。
(「無人惑星サヴァイヴ」はこちらで詳しく取り上げております)
* * *
ひるがえって、もう一度 「あずまんが大王」 を見てみよう。
「あずまんが大王」 は上でも触れた異性問題をいっさい扱わない点でも特徴的である。
かおりん → 榊さん、木村先生 → かおりんというかなり危なっかしいスパイスはあるが、作中でもこれは
「特殊」 な例として扱われている。 にゃも先生の見合い話 (アニメ第19回) なんてのもあるが、これは異性問題というよりは、学生たちの進路問題と対等の、個人の
「進路」 問題の一つ、ととらえることが出来るであろう。
一つには、メインキャラが女性だけ、男子生徒が奇妙なぐらい登場しないということと関係あるだろう。
しかしこの学校は女子校ではなく共学である。
これがもし女子校であれば、どうだったであろう。
「かおりん → 榊さん」 的な関係が全校的に増えてしまうこともあるのではないだろうか? そうなると、登場人物が女性ばかりでもかえって避けて通れなくなる恐れがある。
最近人気らしいある作品は伝統的な女子校を舞台にしているが、その中では公然の関係として
「かおりん → 榊さん」 的関係 (この作品の場合は
「榊さん → かおりん」 的関係になるのかな?)
が広く結ばれている、らしい。 まぁかなり厚いオブラートにくるんではいるが、何のことはない、異性問題をそのまま同性に置き換えているわけなのだが。
こうした関係って、時に先輩後輩の関係とも絡むのが学園ものの定番だが、そういえば 「あずまんが大王」 にはこの先輩後輩関係というのもあまり登場しない。
こうしてみると、「あずまんが大王」 はたしかに学園ものだが、学園ものとしてはかなり異色の作品なのかも知れない。
あまりにも他の人間関係が登場しないものだから
「他に友達がいないのでは」 なんてぶっ飛んだ感想も見かけたものだが、メインキャラたちは別に孤立しているわけでも寂しがっているわけでもなく、ごくごく普通にクラスの中に溶け込んでいる。彼女たちも普通にクラスの一員であり、コマ内
(画面内) に登場しない他の生徒たちと対等の存在である。
もちろん男子生徒も、コマ内 (画面内) に登場しないだけで
(あるいは登場してもセリフがないだけで ^^;)、自然にそこに一緒にいる。
そして。
そんなクラスメート達と一緒に、自分自身もそこにいて、イヤじゃない世界。
それこそが 「あずまんが大王」 の真価ではないだろうか。(といっても、ともちゃんやゆかり先生やキムリンがいるとやっぱりちょっと何だけど ^^;)
SFの価値の一つは、日常に疲れた読者を未知の世界や夢にいざない、慰めること (あるSFの後書きに書いてあったことで当時深く納得したんだけど、どの本だったか……)
にある。
SFにくらべて、どっちかというと日常を扱った作品は嫉妬、猜疑、欲望、いじめ……そんなものが目白押しの作品がやたら目に付くような気がする。
「そんなのは現実だけで充分」 であり、「そんなものをわざわざフィクションでまで見せつけられてもちっとも面白くない」。
そんな中で、「あずまんが大王」 は日常でも気持ちの良い世界があることを改めて示してくれた。 「みんな、ずっと、一緒。」 というキャッチフレーズ (第4巻) の通り、メインキャラも、無名の脇役も、コマ内
(画面内) に登場しない他の生徒たちも、そして読者も、「みんな一緒」の世界。
「よつばと!」 はすでに書いたように 「あずまんが大王」 とかなり違う構図だが、「ただそこにいるだけの幸せ」
といったキャッチコピーを見ると、これも 「あずまんが大王」 と同じ方向のベクトルにあると言えるだろう。
学園生活というものはいつか終わる。 しかしその想い出は心の中にいつまでも輝きつづけるだろう。
別にそれは高校とは限らないし、また学園生活以外でもいいだろう。
人によってその内容は色々でも、誰にでも色褪せない想い出というものはあるはずだ。
そんな想い出にふさわしい世界、その一つが 「あずまんが大王」 ではなかったか。
「あずまんが大王」 の想い出は、今でもあなたの心の中にいますか?
2004.08.31
2007.02.28一部改稿