10.
スクリーンに現れた人物の顔を見たとき、ホリタは懐かしさとともに敬礼した。
「お久しぶりです、閣下」
「2年近くになりますか、ホリタ少将……」
その人物 − チュン・ウー・チェン中将も、穏やかな顔で敬礼する。
彼と初めて会ったのは、宇宙暦797年3月、ハイネセンでの帰還兵歓迎式典であった。
もっともその時の彼は士官学校戦略研究科の教授であり、よもや総参謀長となるとは本人も夢にも思っていなかっただろう……。
チュンは以前より 「パン屋の二代目」 などと綽名されているが、ホリタから見れば、自分と近い世代ではあっても十分に年相応の貫禄をもっているように見える。
「今日通信しましたのは、来るべき帝国軍侵攻に対する準備を整えるため、ホリタ少将にもご協力いただきたいということなのです」
チュンの口調が改まった。 が、その顔はあくまで穏やかな様子でこちらを見つめている。
総参謀長の語った内容は、ここに至ってホリタもある程度予想していたことだった。
第一辺境艦隊創設以来、最大の転機となる辞令であった。
1月6日。 この日、第一辺境艦隊司令部に主だった幹部の多くが集合していた。
遠い星系に派遣されている者も、マルチスクリーンを介して参加している。
「諸君。 今日は第一辺境艦隊の今後について、重大な報告をしなければならない……」
ホリタは全員をゆっくりと見渡した。 多少の変動はあっても、ほとんどがこの地で苦労を共にしてきた仲間たちだった。
「この私が司令となってからは4年近くにもなるが……こんな私の元で、みな本当によく頑張ってきてくれた」
ホリタはことさら意識したわけではなかったが、意味ありげな切り出し方に皆が怪訝な、あるいは不安げな表情を漂わせる。
「1月31日をもって、第一辺境艦隊は解隊される」
多くの者が目を見開き、顔を見合わせたが、数瞬後には何人かがその意味するところを悟った。
「なるほど……」 ンドイ准将がつぶやく。 「で、前線勤務ですな」
「その通りだ。 我々は新設される第14艦隊に配属される」
ラムビスの各軍事施設では様々な人間模様が展開されることとなった。
主力艦隊に加わることの高揚感。
最前線への不安と恐怖。
首都へ戻ることを喜ぶ者もいれば、故郷を離れることで悲嘆にくれる者も大勢いた。
発表以来、兵士たちの中には脱走する者も出始めていた。
ある日、警備担当のデュトワ軍曹がホリタの元へ脱走兵への対応を尋ねてきたが、彼らを非難することはホリタにとって心情的に容易ではなかった。
脱走したと思われる兵士はすでに五十名近くおり、そのうちの数名を逮捕したという。
同盟軍基本法を持ち出すかと思えば、一方で感情論も交えながらまくしたてるデュトワ軍曹に対して、ホリタはほとんど言葉を返さなかった。
それが、軍曹には引っかかったらしい。
「まさか、不問にふされるとでも……?」
ホリタは沈黙を守ったが、彼には肯定と感じられたのかもしれない。
「しかし……しかし閣下、おそらく多くの者が同じ不安を感じているでしょう。
ですが、そのほとんどの者が、その不安や恐怖に耐えて任務を遂行しようとしておるのですぞ! 逃げ出したい者は大勢いるでしょう。
しかし大半はそうせずに努力しております! そんな彼らに対して、あまりに不公平ではありませんか!?」
ホリタはわずかにため息をついた。 そのごく短時間の間に、良心的兵役拒否を訴えてきたジェシカ・エドワーズやベティ・イーランド、元人的資源委員長ホワン・ルイ、一方で聖戦を唱える歴代国防委員長や地球教徒などが次々と脳裏をよぎっていった。
「そうだな……確かに貴官の言う通りだ。 よろしい、それでは逮捕者はラムビスの地上警備施設にて自治警察の協力を仰ぎたまえ。
現在、艦隊としてはそれ以上の人員は割けない。
よって、その罪を問うのは今回の出兵が終わってからとする」
デュトワ軍曹は口をあけて何か言いかけたが、そのまま押し黙った。
今回の出兵が終わった時……その時、一体何が、そして誰が残っているのか!? 果たして現在の体制は維持されているのか!? そのことを悟った軍曹は、黙ったまま敬礼し、司令官室を後にした。
ホリタは司令室前面に設置された巨大なスクリーンの元へ歩みより、ゆっくりと見上げた。
7年間。
これまで、アムリッツァ会戦や帰還兵歓迎式典などで留守にすることはあっても、いずれは帰る場所、戻るべきところであった。
しかし……今回はもう帰ってはこれまい。
残念ながら、現在の同盟の戦力では勝ち目は少ないだろう。
生き残ったとしても、もう一度この地へ配属されることはないだろう。
たとえ勝ったとしても、莫大な犠牲を伴うのは間違いない。
自分もその中に加わる可能性は決して低くはない。
いや、高いといってよいだろう……。
電源オフで暗い大型スクリーンに、かすかにホリタの姿が映りこんでいる。
薄明の中で一人たたずむ父の姿が思い出された。
それは、ホリタにとって 「静かにたたずんでいる過去」
を象徴するイメージだった。
司令室に一人たたずむ自分の姿が、その父の姿に重なるような気がした。
ためらいつつ近づきつつあるはずだった 「未来」
が、いつの間にか矢のように速く飛び去る 「現在」
と化し、彼自身を静かにたたずむ 「過去」 へと押し流そうとしている。
そんな想像がホリタの心をとらえていた。
いつか、自分自身の姿が、誰かの 「過去」
として思い出されるのだろうか。
その時、自分自身は生きているのだろうか。
そしてこの地は、同盟は、銀河の姿はどのようになっているのだろうか……。
ラムビスの軍事宇宙港には大勢の将兵、家族、市民の姿があった。
ラムビス自治政府の代表までが顔を出し、形式的とはいえホリタが握手を交わすこととなった。
軍楽隊が同盟国家を演奏する中、将兵たちが整然とシャトルへ乗り込んでいく。
最初に進発したシャトルには、タチアナ・カドムスキー大佐が乗り込んでいる。彼女は戦艦
《チュンチャク》 で第一辺境星域の各方面に散らばる支援艦艇をまとめつつハイネセンへと向かう。
ンドイ准将の乗るシャトルは空母 《ガルーダ》
へ。 ウィリ大佐は戦艦 《メナプシュ》 へ乗り込み、それぞれの機動部隊を指揮する。
そして、ホリタも部下たちとともにシャトルへ向かう最後の列に加わった。
マスコミ、政治家、そして市民たちの顔が視界を流れていく。
その中に見知った顔が合った。
ほんの一瞬だったが、視線が合ったとき、ザーシムは複雑な苦笑をひらめかせたようだった。
「やはりこうなりましたな」 とでも言いたかったのかもしれない。
シャトルが誘導波にのって導かれていく先には、
《メムノーン》 が星々の光を浴びつつ濃緑色の艦体を浮かべていた。
ツァイ・クォク・ヴィン艦長が敬礼して向かえる。
「各艦、発進準備完了しております!」 ツァイ艦長の報告にホリタはうなずいた。
「よし……全艦、発進!」
核融合エンジンの震動が艦体をかすかに震わせ、惑星の引力圏を脱する際のGが皆をシートに押し付けた。
やがて、直接操艦に携わらない者たちの多くが手近の肉視窓やスクリーンに集まっていた。敬礼する者。窓に顔を押し付ける者。頭をたれる者。皆それぞれの思いを込めて離れ行く惑星を見やっていた。
宇宙暦799年1月15日。第一辺境艦隊として、最後の出撃であった。
第4部 完