9.


 宇宙暦798年8月20日。 この日、同盟市民の大半が、自宅、職場、あるいは街頭のモニターの前に集まっていた。
 慢性的な戦時体制の中で、万一の場合には指定区域のすべてのモニター類を自動的に国営放送の画面に切り替えられるプログラムが存在する。 帝国軍の侵攻などに備えたものだが、昨年のクーデター勃発時には救国軍事会議がこれを通じて布告を行い、またヤン提督がこれに対抗して行った放送も、このプログラムの一部を利用したものだった。
「これより、自由惑星同盟最高評議会より重大発表があります。 全市民の皆さんが視聴されるよう特別の指示が出ておりますので、皆さんのご協力をお願い致します……」
 画面には同盟国旗が映され、女性アナウンサーの声が何度も同じことを繰り返している。
「大体こういう時は、ろくな内容じゃない」
 第一辺境艦隊司令部でも、ホリタはそう口にしながらシートに腰を下ろした。
「そうゆうセリフはチャロウォンク准将の役目だったけど……」 横でタチアナが溜め息とともにつぶやく。 チャロウォンクの軽口が聞けないのはホリタにとって寂しい限りだが、「突っ込み役」 だった彼女もおそらく同じように感じているのではないだろうか。
 と指摘すると何を言い返されるか分かったものではないが……。
 放送予定時間が来ると、流れつづけていた同盟国歌の音量が下がり、画面が切り替わった。
 何十億ものモニターに現れたのは、ヨブ・トリューニヒトのかすかな笑みを浮かべた顔だった。
「自由惑星同盟の全市民諸君。 私、最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトは、全人類の歴史に巨大な転機が訪れたことを、ここに宣言します。 この宣言を行う立場にあることを私は深く喜び、かつ誇りとするものであります……」
 この時、単純に期待を抱いた者と、言い知れぬ不安を感じた者の割合はどのくらいであっただろうか。 無論それは普段の最高評議会議長に対する感情の反映に過ぎず、具体的な根拠をもった者がそれほどいたわけではない。
「先日、一人の亡命者が、身の安全を求めてこの自由の国の客人となりました。 かつて、多くの人々が専制政治の冷酷な手を逃れ、自由の天地を求めてやってきました。
 しかしながら、今回亡命を求めてやってきた人物の名は、特別の意味を持つものと言えるでしょう。
 すなわち……」
 それに続く名を予想できた者はおそらく皆無だったであろう。 次の瞬間、トリューニヒトは同盟全土に向けて想像を絶する衝撃波を発した。
「エルウィン・ヨーゼフ・フォン・ゴールデンバウム!」


 130億人が居住する、数千光年の宇宙空間がこれほどの沈黙に覆われた瞬間はかつてなかったかも知れない。
「……同姓同名がいたのかね?」
 かろうじて軽口を絞り出した者も、後に続ける言葉が見つからず、沈黙に加わった。
 沈黙の中で、トリューニヒトの演説が続いている。 帝国ではラインハルト・フォン・ローエングラムが絶対的権力を手中にしつつあること。 ローエングラムの 「野心」 は我が国にも延びてきており、彼とは共存できないこと……。
「我々はここで過去のいきさつを捨て、ローエングラムに追われた不幸な人々と手を携え、すべての人類に迫る巨大な脅威から、我々自身を守らねばならないのです。
 この脅威を排除して、初めて人類は恒久平和を現実のものとすることが出来るでしょう……!」
 続いてスクリーンに現れたのは、銀髪の亡命貴族だった。 銀河帝国正統政府首相、ヨッフェン・フォン・レムシャイドだという。 閣僚名簿が発表され、またトリューニヒトの扇動的な演説が続いた。
 人々はただ唖然とスクリーンを見やり、顔を見合すだけだった。


 その日、全同盟を直撃した衝撃波は一回では終わらなかった。 トリューニヒトの劇的な演説から数時間後、第二波が同盟を襲ったのだ。
 その衝撃波は 「獅子のたてがみ」 と 「蒼氷色の瞳」 を伴い、しかしその華麗さをはるかに上回る苛烈さで、見る者を圧倒した。
 衝撃波の主 − ラインハルト・フォン・ローエングラム公は全銀河へ向けた放送で帝国皇帝が誘拐されたことを正式に認め、誘拐犯である門閥貴族の残党と、それと手を組んだ同盟政府とを徹底的に糾弾したのである。
「誤った選択は、正しい懲罰によってこそ矯正されるべきである。 罪人に必要なのは交渉でも説得でもない。 彼らにはそのテーブルにつく資格もなく、意志もないのだ。 ただ力のみが彼らの暗きを啓かせるだろう。
 今後どれほど多量の血が流されることになろうとも、責任は、あげて愚劣な誘拐犯とその共犯者とにあることを銘記せよ……」


 二度の衝撃波による精神的なショックからくる沈黙の後、自由惑星同盟のほとんど全域は喧騒の渦へと呑み込まれつつあった。
 実に一世紀半にわたって敵対していた敵国皇帝の亡命。
 事実上の敵国支配者による、妥協の余地のない苛烈な宣戦布告。
 かつて、銀河帝国の皇帝候補をはじめとする有力者が亡命してくる例もないではなかった。 また、銀河帝国とはすでに戦争状態であり、実態としてそれが変わるわけではなかった。
 だが、この二つの命題が同時に突きつけられる例はほとんどなかったのだ。 有力者の亡命は帝国の権力闘争を示す。 したがって、同盟にとっては都合の良い時期となるはずだったのだ。 − 要はこの亡命劇が権力闘争などではなく、すでに実権を握ったローエングラム公の手のひらの上で実行された陰謀劇なのだが……亡命政権を外交カードの一つとして期待していた同盟政府の混乱は、醜態というほかなかった。
 評議会はすでにホワン・ルイ、ジョアン・レベロといった非主流派の多くが去り、トリューニヒト派の牙城と化していたのだが、ほとんどの者は互いに顔を見合わせるか、議長の顔を見やるだけだった。 すがられた形になる当のトリューニヒト議長は、マスコミに対して 「何も心配することはない。 我々にはイゼルローン要塞という絶対の防壁があり、ヤン提督という不敗の名将もいる。 帝国のローエングラムがいかなる攻撃をしてこようとも、恐るべき何ものもない」 というコメントのみを出し、多くの市民も単純に賛同の声をあげるのだった。
「いい気なものだな。 その頼みの綱のヤンを、査問にかけていびっていた時から半年も経っておらんのに」
「都合の悪いことは忘れるようにしてるんだろう」
とジョアン・レベロ、ホワン・ルイがあるレストランで交わした会話は、むろん正史のどこにも記録されていない……。


 11月、帝国軍がかのロイエンタール上級大将を総司令官としてイゼルローン回廊における軍事行動に出るとの情報が、フェザーン経由でもたらされる。 それはあらかじめ予測されたものであり、同盟政府はイゼルローンに対して警戒強化命令を出し、後方支援を準備する手はずを整えた。
 後は、難攻不落のイゼルローン要塞にいる不敗の名将ヤン提督がこれを退けてくれる。 誰もがそう期待していた。
 イゼルローン回廊におけるヤン提督とロイエンタール提督の戦いは熾烈なものだったが、なおハイネセンから見れば4000光年彼方での出来事だった。 帝国軍はいったん撤退し、さらに大増援部隊がオーディンを進発した。 だが……
 だが、8月の皇帝亡命など、その後に訪れた真の驚倒に比べればまだまだ甘いものだったと同盟中が思い知る日がやってくる。
 宇宙暦798年12月24日。 ミッターマイヤー上級大将率いる帝国軍大艦隊は、イゼルローン回廊ではなくフェザーン回廊に出現、フェザーンを無血占領したのである。
 自由惑星同盟は今度こそ致命的な衝撃を受けることとなった。 事態の展開は急流からまさに激流へと化し、歴史が巨大な音と共に転回しつつあるのを認識するまもなく、人々を押し流そうとしていた。


          

「戦艦メムノーン伝」 INDEX