8.
アーレ・ハイネセンに率いられた人々がイゼルローン回廊を抜け、現在のバーラト星系に到達してから、およそ三世紀。
同盟領はハイネセン−イゼルローンを結ぶ宙域を中心に、さしわたし数千光年にまで及びつつあった。
もっとも主要宙域はもっぱら対帝国の軍事的要所としての発展であり、またそれを取り巻く辺境宙域も、軍事的に有意義な新航路の開発、軍需物資の探索、人的資源や避難先のための惑星開発等々、活気あふれた
「フロンティア」 と呼ぶにはいささかかけ離れた事情に支配されていた。
それでも同盟の各辺境星域は、いわゆる 「辺境」
という単語にあるネガティブなイメージよりも、「新たなる世界」
の象徴、膨張する最前線の意味の方が強かったのだ。
ダゴン星域会戦以降、帝国から様々な人々が流入して量的に拡大した同盟は、その圧力を辺境開発へと振り向けた時期もあった。
その結果、いくつかの「辺境宙域」にはそれぞれの特徴が生まれていった。
資源開発で経済的な活気のあふれる宙域。
過去、軍事的英雄や天才学者を輩出した誇りを唯一の拠り所とする宙域。
首都の政治家たちのとパイプをなによりも重視する宙域。
決して表には現れないが、巨大な社会システムの中には不可避的に発生する「裏社会」の力が強い宙域。
それぞれの辺境星域の特徴を反映し、各辺境艦隊もまた、それぞれの特徴を有していた。
もともと辺境開発、治安維持、予備兵力の温存などを目的として設置された辺境艦隊であったが、それぞれの辺境星域の事情に応じて特化していったのも当然といえるかもしれない。
そうした事情もあり、辺境艦隊の人材には、首都から派遣された者以外はその星域の出身者が多い。
ホリタ自身も、791年に第5辺境星域のタナトス警備管区から生まれ故郷のあるこの第1辺境星域へと転属してきた。
それから7年間、首都へ呼び戻されることを熱望する中央出身者以外は、ホリタも多くの部下たちもこの地で軍務を終えるつもりでいたのだった。
だが、組織の人事とはいつの時代も個人の予想を真っ先に裏切るものの一つだ。
各辺境艦隊の間で久しぶりの大規模な人事異動が発令されたのは、宇宙暦798年の7月のことであった。
7月20日。 ラムビス星系の第1辺境司令部でも、人事異動に伴うささやかな別れの儀式が催されていた。
送られる主はチャロウォンク准将である。
第4辺境星域の司令代理として、准将のままではあるが、栄転には違いなかった。
彼と共に、500隻の艦隊も第4辺境星域へと向かう。第4辺境艦隊はここ数年でほとんど失われており、彼の艦隊が事実上の主力となるはずであった。
ホリタが第1辺境星域に赴任してから7年間、全幅の信頼をおいていた幕僚の異動に一抹の寂しさを感じながらも、ホリタは心からの祝辞を述べた。
「貴官はいろいろ私をけしかけてきたが、今度は貴官が采配をふるう番だ」
握手を交わしながらホリタが言うと、チャロウォンクは小声でささやいた。
「そう言われる閣下も、そろそろ主力艦隊を指揮なさってもいい頃ですよ」
「中将には簡単にはなれんて。貴官こそふさわしいのではないか」
「私が中将になるには、二階級特進しなければなりませんな。
ですが、私はまだ死にたくないですよ」
チャロウォンクはニヤリと笑うと、もう一度手を握りしめた。
一歩下がると敬礼し、続いて少し離れて立っていたンドイ大佐と握手を交わす。
ンドイ大佐はチャロウォンクの後を受け、第1辺境艦隊の副司令として准将への昇進が内定している。
一種の順送り人事には違いないが、第2辺境星域におけるクーデター鎮圧の功績をホリタが推薦しておいたものが、今頃になって認められたのかも知れない。
最古参で人望も厚いンドイ大佐の昇進は、誰もが好意的に受け止めていた。
チャロウォンクが彼の旗艦へと乗り組んでいき、やがて出発の合図を示すブザーが鳴り響いた。
戦艦 《アンドラーシュ》 率いる500隻の艦隊は、第1辺境星域司令部を兼ねる軌道ステーションを離れ、最大加速で星系外縁を目指していった。
辺境における急な人事異動は、今年の春に帝国軍との間で発生した、大規模な会戦の余波だった。
今年4月、突如イゼルローン回廊に帝国軍の移動要塞が出現した時、なぜか首都に呼び出されていたイゼルローン要塞司令官ヤン・ウェンリー大将の護衛と戦闘に備え、各地の辺境艦隊や独立警備艦隊がかき集められた。
同盟領の中でもイゼルローン側に位置する各辺境星域の艦隊は、第8辺境星域のモートン少将がまとめ上げて指揮した。
第2、第4、第5辺境星域からかき集められた艦隊は、アラルコン少将が指揮をとった。
これにザーニアル准将、マリネッティ准将の独立警備艦隊を加えた5500隻の混成艦隊が、イゼルローンへと付き従ったのである。
ホリタの第1辺境艦隊、デュドネイ准将の第3辺境艦隊までもが第1艦隊とともに第二陣として出動させられたが、これは待機だけで終わった。
戦いそのものは、同盟軍の − いや、「魔術師ヤン」
の圧倒的なまでの完勝だったのだ。 帝国軍は動員兵力の9割以上と巨大要塞を失って潰走した。
歴史はまた新たなページを繰ったのである。
ただ戦闘終結後、同盟艦隊の一部が敗走する敵を不用意に追撃し、回廊の帝国側から進んできた敵にあっけなく全滅させられるという汚点を残すこととなった。
その全滅した艦隊を指揮していた一人が、サンドル・アラルコン少将だったのだ。
軍国主義的傾向のあったアラルコンとしては、ある意味で本望だったかもしれない。
だが昨年アラルコンと一緒に転属していった部下たちのことを思うと、暗然たる気分になるのだった。
ちなみにこの時、第13艦隊麾下のグエン・バン・ヒュー艦隊も全滅したという。
グエン少将の旗艦は 《メムノーン》 と同じアキレウス級の
《マウリア》 だった。 第13艦隊は最前線だけあって残り少ないアキレウス級を何隻か擁しているが、この損失は物的にも、そして言うまでもなく人的にも、大きなものであったに違いない。
アラルコン少将亡き後の第2辺境星域では、あのビューフォート大佐が准将に昇進して司令代理となっていた。
もっとも、統率すべき艦隊はアラルコン少将と共にほとんど失われていたのだが……。
「第2辺境星域は呪われているのかも知れませんな」
超光速通信の画面上で、ビューフォート准将は深刻気に言った。
「2年前まで司令だったハッサン少将は、アムリッツァで戦死なさいました。
次に司令代理となったガーランド准将は、クーデターのあげく自決。
そしてアラルコン少将は……」
ホリタは 「呪い」 という死語を笑い飛ばす気にはなれなかった。
実際のところ、目に見えぬ「呪い」というものの実在性については、ほとんど西暦時代に決着がついている。
だが、目には見えなくとも厳として存在するのものある。
「陰謀」 というやつである。 目に見えぬ暗部で張り巡らされた陰謀が白日の下に現れた時、それは時に
「呪い」 よりもはるかに辛辣でおぞましい姿をさらすのだ。
チャロウォンクがラムビスを離れてからちょうど一ヵ月後の8月20日、そんな
「陰謀」 の一つが紡ぎだす悪夢が、人々の前に姿を現すこととなる。