7.


 宇宙暦798年6月。 ハイネセン国営放送はささやかな政治騒動に盛り上がりを見せていた。
 昨年のクーデターにおける「スタジアムの虐殺」以来、反戦市民連合は広く名を知られるようにはなったものの、主要メンバーの多くを失うという打撃を受けた。 だがその内でも特に軍部や政財界への批判を強めていた一派が故ジェシカ・エドワーズ女史の名を冠した 「エドワーズ委員会」 を名乗り、徴兵の不公平を指摘する公開質問状を政府に対して提出したのである。
 それによると、政財界や官界の重要人物の子弟で、実際に徴兵されていたのはわずか15%、前線に送られていたのはわずか1%に過ぎなかったという。
 むろんトリューニヒト政権は一切取り合わず、首都のマスコミもこれを黙殺した。 その一方、徴兵問題は人的資源に共通する課題であるとしてこれを取り上げたのが人的資源委員会であった。
 ところが、人的資源委員会によって設置された調査会がエドワーズ委員会の出席を拒否したことから、事態はハイネセン議会へと飛び火した。 出席拒否はボッシュ国防委員の「横槍」によるものだという発言が飛び出し、スキャンダル好きのマスコミによって煽られ、事態はトリューニヒト派のアイランズ率いる国防委員会と、非トリューニヒト派のホワン・ルイ率いる人的資源委員会との対決という様相を呈し始めていたのである。
「何ともバカげた話ですなあ」 誰が見るともなく国営放送が映し出されているスクリーンを見上げ、チャロウォンクがつぶやいた。
「そうかね?」 コーヒーをすすりながらホリタが応じる。
「本当に大事なことは徴兵問題でしょうに。 それが言った言わないの応酬に終始している。 この映像はどうせフェザーン経由で帝国にも流れてるんでしょう? 帝国軍はチャンスと思うかもしれませんな」
「まぁ情報公開は民主主義の最低原則だからね。 話題にされないよりははるかにマシさ」
 確かにチャロウォンクの言うとおり、ハイネセンの政治劇は本質からずれた妙なところで盛り上がっている。 主役の一方であるボッシュ国防委員はあやふやな対応に終始しており、その若さに似合わず、深入りせずにすませたいという狡猾さが滲み出していた。 それに対し、小柄なホワン・ルイの言は年齢に似合わずいつになく激しかった。
 昨年3月に会ったホリタの印象としては、ホワン・ルイがここまで激しく応じているのは腑に落ちない気もする。 あるいは、何か計算があるのだろうか。確かに、本質からずれているからこそ、御用マスコミも取り上げたと言えるのかもしれないが……。
 2杯目のコーヒーを入れようと席を立ったチャロウォンクと入れ替わるように、エルナンデス少佐が近づいてきた。
「閣下、汎銀河通信網のザーシムと名乗る方がお見えですが?」
「ああ、面会申し込みが来てたんだ。すぐ行く」


 汎銀河通信網ラムビス支局のザーシムという記者がインタビューを申し込んできたのは、3日前のことである。
 ジャーナリストにしては温和そうな表情をたたえた彼のインタビューは、当初典型的な質疑応答から始まった。 だが話が昨月の会戦に及ぶと、ザーシムの表情はひきしまったものになった。
「昨月のイゼルローン回廊における要塞同士の戦いでは、各辺境星域における部隊の大半が動員され、第2、第4、第5辺境艦隊はほぼ全滅しました。 そうですよね?」
 ホリタは必要最小限に首肯した。 アラルコン少将に率いられた辺境艦隊の犠牲は、すでに公表されていることだ。
「そして、それと同じ時期、閣下の第1辺境艦隊や第3辺境艦隊までも出動。 無関係ではありますまい。 ということは、この4月には辺境に残るほとんどすべての戦力が直接・間接に最前線に投入されたわけですね」
「しかし公表された通り、あれは偶然ヤン・ウェンリー大将が首都に呼び出されていたのだからね。 ヤン大将の護衛という特殊な事例だったわけだ」
「そうですね。呼び出されていた理由は今に至るもまったくあやふやなままですが、ともかくも敵が侵攻してくる時期にあわせたかのように現場を離れさせたネグロポンティ国防委員長は引責辞任。 にしても、本当に国防委員長の責任だったのでしょうか」
 ホリタは肩をすくめるだけにとどめた。 彼の話はもはやインタビューの域を越えており、公人としては答えられる類のものではない。
「昨年の救国軍事会議によるクーデターでは、辺境にまで及んだ帝国スパイの懸念もあったと噂されています。 そのあたりも気にかかるところではありますが……」
 ホリタの肩がわずかに動いた。
 そう……昨年、ホリタが反クーデターを決意した病院船 《フレミング》 拘束事件……あれもスパイ疑惑が背景にあった。
「しかし、今回うかがったのはその辺りではありませんで」 ザーシムはホリタの微かな反応には頓着する様子を見せなかった。
「……とすればどの辺りかね?」
「4月以来、辺境では人々もマスコミも疑心暗鬼に陥っているんですよ。 今回のようにほとんど全ての辺境艦隊が動員されたということは、これから先……栄光の同盟艦隊の主力がほとんど失われた今となっては、最悪の場合、辺境を見捨てるのではないか? という疑念に……」
「まさか……そんなことはない」
 とはいえ、為政者ではない身に断言できるわけもない。 心底では絶対の自信を持ち得ないところに、ホリタ自身複雑な気持ちを抱いている。 ザーシムとしても、「そう答えるしかないでしょうな」とでも言いたげな表情でメモ入力を続けている。
「それに……この間、首都ではなにがあったか。 エドワーズ委員会をご存知ですか?」
「ああ、首都では人的資源委員会の調査会で話題になってるね。 この間も代表が議会に入る入らないでもめていたようだが」
「いや、その後のことですよ」
 ホリタはちょっと首をかしげた。
「むろん、最近はマスコミもなかなか流しにくくなっているので、ご存じないのも無理はないと思います。 エドワーズ委員会の代表が議会に乗り込んだ後、彼らはデモに乗り出しました。 ところがデモは正規の届け出を出したものであるにも関わらず警察の規制を受け、追いやられた裏通りで憂国騎士団に襲われてしまったんです。 そして憂国騎士団が引き上げた後で、警察は被害者であるはずの委員会側のみを 『騒乱罪』 の名目で逮捕、マスコミは警察発表そのままに、メンバーの内紛と発表したのです」
 噂には流れていたものの、ザーシムの話はそれを上回る醜悪な内容だった。
「まるで見てきたような話だが、その話によると、君の属しているマスコミも随分ひどい共犯じゃないか」
 挑発してみたつもりだったが、ザーシムは大きく頷いた。
「まったくおっしゃる通りです。 今や首都では、マスコミもまた政治権力の道具に成り下がっているのですよ」


 ロビーのスクリーンでは、まだハイネセン議会の中継が続けられていた。 ザーシムがスクリーンに顔を向け、つぶやくように言った。
「ホワン・ルイ委員長は辞める気ですよ。 トリューニヒト派の若手ホープ、ボッシュ国防委員を道連れに……」
 ホリタもつられてスクリーンを見上げた。
 ホワン・ルイが退けば、それこそ政権はトリューニヒトの独壇場だ。
「昨年の救国軍事会議は、あくまでも庶民とは無縁の 『上から』 の改革を唱えるものでした。これがもしも、もしも庶民の手になる 『下から』 の改革が実行できるなら……」
「……そんな計画でもあるのかね?」
「いえ、私の知ってる範囲では……」
 無論、好むと好まざるとに関わらず体制側にいるホリタに対しては、あったとしても言うはずもないだろうが……。
「しかし、きっかけさえあれば、きわめて広範囲の支持を得ることができるでしょう」
 ホリタは抜け目のなさそうなザーシムの顔をのぞき込んだ。 彼は唇の端をほんの少しだけ引き上げつつ、静かにホリタの顔を見つめ返した。
「いや、どうもお手間を取らせました」 数瞬してザーシムの表情は訪問当初の温和なものに戻り、軽く一礼した。
「インタビューの下書きはまた送付させていただきますので、ご確認ください。 それでは……」
 ロビーを出て階段を降りていくザーシムの後ろ姿を見ながら、ホリタは久しぶりにアッテンボローのことを思い出して苦笑した。
 ジャーナリストとか革命とかいえば、彼がふさわしいかも知れない。 だがザーシムの話はより深刻で、笑っていれらないものを予感させる。 もはや同盟の状況は、改革だの革命だのが笑いごとでは済まなくなっているのかもしれない……。
 それから数日後、統合作戦本部長に復帰していたクブルスリー中将が、昨年の傷が元で再入院したとの連絡が入った。
 昨年のクーデターの傷は、様々な方面で未だ癒えてはいない。 いや、クブルスリー中将やホワン・ルイ委員長が一線から退くようでは、事態はむしろ悪化しているのではないだろうか。
 ザーシムの送付してきた下書きを見つつ、ホリタは同盟の向かう先に何となくうそ寒いものを感じていた。


          

「戦艦メムノーン伝」 INDEX