6.
「すでに概略には目を通してもらったと思うが……」
ホリタは会議室をぐるりと見渡した。 「艦隊司令部じきじきに全艦出動命令が下った」
部下たちは身動き一つせずホリタの方を注視している。
「さきほど第3辺境艦隊のデュドネイ准将とも話したが、近隣の第2、第4両辺境艦隊にはすでに半日前に出動命令が下った。
第8辺境星域のモートン少将、ケリム星域のザーニアル准将もすでに出動している。
情報を総合するに、同盟領内の辺境艦隊、独立警備艦隊、支援艦隊の大半に命令が下ったとみて良いだろう」
ホログラム表示された同盟領の立体図に、各艦隊を示す光点が示されている。
その多くから輝線が延び、いくつかにまとまりながら、最終的に一点を目指して延びていった。
その先には、イゼルローン回廊。
「ほとんどの部隊は合流しつつイゼルローンへ向かうが、わが艦隊はさしあたり、ハイネセン近傍のリオヴェルデ星域まで進出して第二陣として待機することになっている」
それでもラムビスはハイネセンから見てイゼルローンと反対側にあり、ハイネセン方面へ向かうということは、イゼルローン方面でもあることには違いない。
「主力艦隊ならまだしも、辺境艦隊全軍をイゼルローン方向に向かわせるというのは前代未聞ですな」
ンドイ大佐が立体図をにらみながら言った。
「要するにもう主力艦隊が残ってないということでしょう」
これはチャロウォンク准将。
やがて皆が口々に話し始める。
「第1艦隊は?」
「パエッタのおっさんではねえ……」
「いや、その前にイゼルローンにはヤン提督の第13艦隊が健在ではないですか。
それがまるで風前の灯火だとでも言わんばかりに、これほどまで全軍をかき集めるというのは……」
「そこだ」 ホリタが口を挟んだ。 「難攻不落のイゼルローン要塞に不敗の名将ヤン提督がいる限り、少なくとも向こうから侵攻してくることはない、と誰でも思うだろう。
私もそう思う。 しかし何らかの事情で、そうでもないということかも知れん。
漏洩を恐れてのことと思うが、具体的に何があったのかは私にも知らされていない。
したがって、この度の辺境全軍動員は事情が明らかになるまで、さしあたって極秘とする。
そうだな……首都近傍での演習、そんなストーリーを組み立ててほしい」
情報参謀がうなずくと、ホリタはチャロウォンク准将の方へ向き直った。
「さて、我々は4月30日までにリオヴェルデ星域まで進出し、そこで第3辺境艦隊と共に第1艦隊の指揮下に入ることになる」
チャロウォンクが声は出さずに口元を歪める。
「そこでだ。 第1艦隊及び第3辺境艦隊の現状を考慮した上で、我が艦隊の適切な編成案を貴官にお願いしたい」
何か言いたげにチャロウォンクの口が開かれたが、出てきたのは声ではなく短い溜息だった。
溜息の意味を理解した数名が苦笑いを浮かべる。
前線勤務時代、第2艦隊に属したことのあるチャロウォンクとしては、現在の第1艦隊司令はできれば近づきたくはないだろう。
ホリタとしては、最近は後方に控えることの多かったチャロウォンクに、前線勤務の経験を活かして活躍してほしいという意図だったのだが、果たして本人が喜んだかどうかは定かではなかった。
「第1艦隊、及び第3・第1両辺境艦隊は、これまでリオヴェルデ星域へ向けてそれぞれの進路で進んでまいりましたが……」
チャロウォンク准将が立体ホログラフを操作しながら説明している。
「第一次作戦案によれば、三艦隊は合流せずこのまま平行移動で進み、万一イゼルローン回廊を帝国軍が突破した場合には、三艦隊それぞれが独立した第二陣として備える……となっております。
しかしながら、すでに事実上の稼動戦力が千数百隻に過ぎない両辺境艦隊は、単独で強固な防護壁を築くにははなはだ心もとないことはご理解いただけるかと思います」
マルチスクリーンには第1艦隊司令のパエッタ中将、第3辺境艦隊司令代理のデュドネイ准将と、それぞれの幕僚が顔をそろえている。
ラムビスを進発して15日。 リオヴェルデ星域まであと60光年、3艦隊がそれぞれ20光年以内の範囲に近づきつつあった。
ここでパエッタ中将より各艦隊に待機命令が発せられ、超光速通信による会議が開かれた。通常の恒星間戦争では数光年以上離れて通信を交わすことはほとんどないのだが、同盟領の奥深くで傍受の恐れなどもまずないことから、この段階で実施されることとなったのだ。
「言うまでもなく、主力艦隊たる第1艦隊は単独でも十分な陣容を有しております。
よって、この戦力をあらゆるケースで有効に活用するためにも、3艦隊の早急な合流と再編が必要と判断いたします。
具体的な編成案につきましては、サブ回線ですでにデータを送信済みです。
各位のご検討のほど、よろしくお願いいたします」
やがてパエッタ中将がむすっとした表情で口を開いた。
「貴官の提案は理解できるが、そもそも今回は万一敵が同盟領に侵入した場合、どのようなルートをとるか全く不明である。
よって三艦隊が一宙域に集中するよりも、それぞれ異なる方面ににらみを利かせ、状況の変化に応じてもっとも近隣の艦隊を先陣とし、分進合撃で対するのが時間的にもっとも有効と考えられる。
それに基づいた作戦案である」
「分進合撃、ですか」 チャロウォンクはその後の言葉を可聴域以下でつぶやいた。
それでアスターテでは負けたんだよ……。
もしも可聴域以上であれば、核融合炉に大口径中性子ビームを叩き込むことになったかもしれない。
分進合撃という戦法が絶対的に誤りというわけではない。
敵戦力に比して三艦隊それぞれが互角以上の戦力を有していれば、むしろ理想的でさえあっただろう。
だが今回の場合、分散する三艦隊の戦力がはなはだ不均一なのだ。
いや……。 チャロウォンクは着席して一人つぶやいた。アスターテではほぼ互角なのに負けたんだったな。
アスターテでは戦力差以上に、帝国艦隊のすばやい動きが勝敗を決したのだ。
すべては相対性のうちにある。 我々に比べて、突破してくる敵がどれほどの戦力か。
どれほどすばやく動けるのか。 どれほど同盟領内の地勢に通じているのか。……敵の指揮官がどれほどの能力の持ち主か。
意地の悪い連想に自分でも苦笑しつつ、チャロウォンクはスクリーンに映る自分たちの指揮官を見上げた。
パエッタ中将がしゃべっている。 チャロウォンクが思考の淵に沈みこんでいる間に、ホリタ少将が立ち上がってチャロウォンク案を支持する論陣を張っていた。
それに対し、画面上のパエッタ中将の顔は次第に赤みを増しつつある。
それが臨界点に達するまでに、さほど時間はかからなかった。
「今回の作戦の責任者は私だ! 私の作戦案に従っていただく!!」
「出世なさいますな、ホリタ閣下は」
会議終了後、別回線でそう言ってきたのは第3辺境艦隊司令代理のデュドネイ准将だった。
「どういう意味だね、それは……」 ホリタが不機嫌さを演じつつ応じる。
「いえね、かつてアスターテ会戦の前、パエッタ中将の作戦に異を唱えた人がいましてね。それが誰あろう、ヤン・ウェンリー……当時は准将でしたかな」
「光栄だね……いや、それならチャロウォンク准将が有望だろう」
「はぁ?」 唐突な奇襲に、チャロウォンクは思わず間の抜けた声を上げた。
「ご冗談を……まっぴらごめんですね」
その時は単に会議に対する徒労感だけで終わるが、やがて今回の出動そのものが彼らにとっては待機のみで終了することとなる。
イゼルローン回廊で同盟軍が圧勝したことが伝えられ、三艦隊がそれぞれの帰路についたのは5月18日のことであった。
むろん万一に備えて第二陣として控えるのは決して無駄な行為ではなく、同盟軍全体の作戦としてはしごくまっとうな策であった。
第二陣が不要ですんだのは、まことに喜ばしいことと言わねばならない。
それでも、社会の様々な方面に影響を残したことは事実であった。
辺境全軍の動員は様々な憶測を呼び、本来は無関係な箇所へと飛び火し、ほころびを生じさせる。
そのいくつかが姿を現し始めたのは、6月に入ってからであった。