第4回 学名の読み方
「学名に使う言葉、ぜんぶ英語ってわけじゃねえな、ありゃあ」
「さいな。 もともとは原則としてラテン語やギリシア語とされとったんや」
「ラテン語って、またどーしてそんな死語を使うのよ」
「よく知らんけど、ヨーロッパでは昔、ラテン語が学術的というか
『高級な』 言葉と思われてたからやないかな。
日本語でいう文語体のようなもんやね」
「はーん、文語体ってやつは普段は使わないのに、堅っくるしい
『高級』 言語のようなイメージが何となくあるねえ」
「ラテン語の読みは、日本人が慣れているローマ字読みに比較的近い。 だから、ローマ字読みすれば大体ええようや」
「読み方も英語とはまた違うのかい」
「 『蝶の入門百科』 (岡田朝雄・松香宏隆,朝日出版社,1986年)
という本には学名について解説した章もあって、こんな例が紹介されてる。
『goliath』 って書いてあったら、どう読む?」
「そうさな、ゴリアス?」
「うーん、それはどっちかっちゅうとローマ字読みかな。
ナミちゃんは?」
「そうねえ、英語読みなら『ゴライアス』ってとこかしら。
ちなみに『th』は舌を軽くかんで出す音、と中学英語で教わるわよね」
「うんうん、実はこれ、『ゴライアストリバネアゲハ』ちゅう名前で知られる、ニューギニアの大きくて翅が緑色に光る綺麗な蝶の、種小名なんや。
だからその名前を知ってる人は、学名を見てもまず『ゴライアス』と言うやろな」
「じゃ、当たり?」
「英語読みならね。 ところが『蝶の入門百科』には、筆者の松香宏隆先生の、こんな体験が載ってるんや」
「ニューギニアへ行ったとき、オランダの蝶研究家であるトラートマン氏に現地を案内してもらったことがある。
彼はトリバネアゲハの生活史解明に努力し、日本にも来たことのある人物だが、私がゴライアストリバネアゲハと発音すると、機関銃のような騒々しさでたしなめた。
『なぜ日本人はゴライアスと発音するのか! ゴリアトが正しい』 確かにラテン語読みすればゴリアトなのである」
和名 | ゴライアストリバネアゲハ |
学名 | Ornithoptera goliath |
「ふーん、ゴリアトねえ。 ゴリアテなら知ってるけどよ」
「ほう?」
「ほれ、 『天空の城ラピュタ』 て映画で登場した飛行戦艦」
「………まあそれも多分同じ由来なんだろうけどさあ、ゴリアテってのは聖書に登場するペリシテの大男の名前だよ。
イスラエルの王ダビデと対決して倒された」
「うん、その大男の名前を、大きな蝶にも飛行戦艦にも付けたんやろな」
「それで、 『ゴリアト』 『ゴリアテ』 『ゴライアス』
どれが正しい発音なんでぇ?」
「いちばん最初に誰が 『ゴライアストリバネアゲハ』
ちゅう和名を付けたのかは知らんけど、和名としては別に 『ゴライアストリバネアゲハ』 で構わないわけや。 その一方、学名としては原則的に 『オルニトプテラ・ゴリアト』 がもっとも正解に近い、ということになるんやろな。
『蝶の入門百科』 には学名の読み方が紹介されてるので、その中からローマ字読みとは異なる部分を引用させていただきまひょか」
c | カキクケコ | 例1,3 | ph | ファフィフフェフォまたはパピプペポ | 例2 |
ch | カキクケコ | 例2 | v | ワまたはヴ | 例5 |
j | ヤイユエヨ | 例3 | x | クス | 例2,4 |
th | タチツテト | 例1,4 | z | ザジズゼゾ | 例2 |
ae, au, ei などの二重母音はそのまま「アエ」「アウ」「エイ」のように読むが、「エー」のように伸ばすことも多い。
例1 Anthocaris scolymus アントカリス・スコリムス (ツマキチョウ) 例2 Chrysozephyrus ataxus クリソゼフィルス・アタクスス (キリシマミドリシジミ) 例3 Hestina japonica ヘスティナ・ヤポニカ (ゴマダラチョウ) 例4 Papilio xuthus パピリオ・クストゥス (アゲハ) 例5 Vanessa indica ヴァネッサ・インディカ (アカタテハ) |
参考:「蝶の入門百科」 85ページ
「このゴライアストリバネアゲハのように、和名を学名からとったものの、その読みは英語読みになってる例は結構多い。
例えば、植物でも園芸植物や観葉植物では、属名をそのまま和名として使うものが多いな」
「恐竜と同じね」
「そう、恐竜と同じく日本に古くからあったわけやないから、外国から入ってきた時に学名をそのままつけたんやろね。
例えば、ハイビスカスの学名は Hibiscus rosa-sinensis。 属名 Hibiscus はラテン語読みするとヒビスクスって感じになるから、和名のハイビスカスってのは英語読みなわけや。
ただし恐竜と違って、植物の場合はいろんな品種とか変種まで区別せないかんから、すべて属名だけですます訳にはいかんのやけどな。
例えば、オクラの学名は Hibiscus esculentus。 ハイビスカスと同じ属なんや」
「それで学名じゃなくて日本語で呼んでるってぇわけかい」
「残念でした! オクラは英語でも Okra。 もともと英語名なんよ」
「ちっ……」
「しかしオクラはともかく、ハイビスカスは学名だってぇのに、何でラテン語読みじゃなくて英語読みにしたんでぇ?」
「たぶん、最初にアメリカ人あたりが学名を英語読みして、それを聞いたまま名前にしたんやないかな」
「じゃあそのアメリカ人は、何でラテン語読みしなかったんだい」
「うん、実はな……一応は原則的な読み方っちゅうもんがあるわけやが、困ったことに、現実には国によって読み方が違うそうや。
『蝶の入門百科』 にもこうある」
「ラテン語を母国語として使っている国はなく、すでに死語となっている。
そのため、ラテン語の正しい読み方を色々な人に聞いてみても、それぞれ少しずつ違う。
ラテン語の読みはローマ字に近く、日本人にとって読みやすい言葉に入るが、正しい発音をしたからといって必ずしも世界で通用するわけではない。
エゾスジグロシロチョウの種小名 napi は誰でもナピと読みそうに思えるが、イギリスでは英語読みのネイピーとなってしまう。
アゲハの種小名 xuthus はクストゥスと発音しにくい。 これがフランス語読みではクスュテュス、英語読みだとなんとズーサスとなってしまう。 このように学名のつづりは重要だが、読み方は各国違うのが現状である」
「な、なに、クスクス……?」
「それは動物の名前。 ともかく、原則的な読み方というのがあるにも関わらず、現実には各国語でそれぞれ好き勝手に読んでるようやね」
「いい加減なものねえ。 どうして統一しないのかしら?」
「うーん、欧米の人々にとっては、こうした違いは日本人の標準語と方言みたいな違いであって我々ほど気にならんのかもなあ」
「さて、学名の読み方は各国で不統一なわけやが、さらに困ったことに日本人の間でも違うことがあるんや。
第1回でも例に挙げたヘリコバクター・ピロリ Helicobacter pylori。 これな、学会なんかで専門家の先生がしゃべるのを聞いてると、先生によっては時々
pylori を『パイロリ』と言ってる」
「英語読みね。 英語でしゃべるとき?」
「そやなくて、もちろん日本語なんやけどな」
「しかし『ピロリ』が正解なんだろう?」
「うん……まあ英語読みが間違い、という訳ではないんやろうけどなあ。
ともかく、英語読みの発音を好む先生も多いようやね。
大腸菌っちゅうのは実験材料としてはとってもメジャーや。
この大腸菌の学名はエスケリチァ・コリ Escherichia coli。 属名を短く書くと、E. coli。 そやから、大腸菌のことをよく『イ-コリ』と言うんや。 バイオの話題ではお馴染みやから、覚えておくとええかもな。
ところが、人によってはこれを英語読みで『イコライ』と読むんや」
「なんでわざわざ英語読みするのかねえ」
「英語かぶれってやつかもよ」
「まあな。 英語が世界でいちばん使われてるのは確かやから、英語に通じてる人にとっては英語読みで当然、と思うのかもな。
あるいは将来的には、本当に英語読みが主流になるかもしれん」
「俺ぁ小さい頃に疑問だったことがあるんだがね。
前回話題になった、恐竜の名前。 同じ名前が何で本によって少しずつ違うのか、不思議だったことがあるんだ」
「ああ、ブロントサウルスとアパトサウルスとか?」
「は? 全然違うじゃねえか。 そうじゃなくって、トリケラトプスとトリセラトプスとか……」
「何や、そっちか。 アパトサウルスの話はまた今度やな。
それやったら、例えば○○ザウルスか○○サウルスか、どっちだ? なんて思ったことないか?」
「おお、あるある」
「 『恐竜博画館』 (ヒサクニヒコ,新潮文庫・1984) にはこんな一文がある」
「日本でもかつてザウルスとドイツ語風の発音表記だったのが、今はローマ字読みでサウルスというのが主流になったり……」
「ザウルスはドイツ語読みってぇわけか」
「戦前、古生物学がドイツ学派によって導入されたからなんやそうや。
昔は憲法でも何でもドイツがお手本やったからな。
というのは『原色化石図鑑』(u富壽之助・浜田隆士,保育社・1966年)に書いてあったことやが、この解説を書かれた先生も、今は英語の力が強いので英語読みが多くなってる、と書いてはる。
あとは慣習とか、その本の著者の好み、なんてのもあるかもしれん。
前回も紹介した Tyrannosaurus、普通はティラノサウルスと読まれるが、ティランノサウルスと書いてある本も時々あるね。 それからカミナリ竜の一種、Mamenchisaurus は、本によってマメンチサウルスとかマメンキサウルスとか……」
「Mamenchisaurus ってぇのは、上の方の表でいくと、マメンキサウルスが正解にちけえってことじゃねえか?」
「うん……そやけど、マメンチサウルスと書いた本の方が多いようや。 各国で好き勝手に読んでるのと同じで、日本では日本人がいちばん慣れているローマ字読みした結果、ということかな。
まあ何語読みにせよ、その学名の由来となった言葉にもっとも近い読み方をするのがベストなんやろうけどなあ。
例えば恐竜やないけど、蝶の一種、ルソンカラスアゲハの学名はPapilio chikae。 種小名 chikae は原則でいくとキカエになるが、実は日本人女性のちかに由来するんで、チカエと読まれるそうや」
「じゃあその Mamenchisaurus の由来は?」
「いや、それがな……『世界大恐竜博オフィシャルガイドブック』(読売テレビ,1997)によると、由来は中国の四川省イービン県馬門渓(マメンシ)で発見されたからなんやそうやが……」
「なに、マメンシ? マメンチでもマメンキでもないじゃねえか! どっちやねん!」
「すまん、俺にも分からん。 中国語の読み方と関係あるんかもなあ。
どなたか分かる方はおられんやろか?」
「中国語読みねえ。 由来となった言葉にもっとも近い読み方といってもさあ、学名だけを見ても、それが何語のどんな言葉に由来するのかは分かんないわよねえ」
「そうなんや。 結局、今のところ読み方は現実にはバラバラと思っておくしかないようやな」
「そういえば人名でも、同じスペルで国によって読み方が違うのがあるわね。
Michael なんてマイケル、ミッチェル、ミカエル、ミハイル………」
「ははあ、そういや俺も小さい頃は、カエサルとシーザーが何で同じなんだって不思議だったな」
「そうそう、欧米の言葉って、そこら辺が妙にバラバラで日本人としては戸惑うんやが……けどまあ、よその国の人から見たら、日本の漢字も『同じ文字に何で読み方が幾つもあるんだ』って思うんやろな」
「人名とか地名なんて、同じ日本人でも分からん例だって多いからな」
ハイビスカス属の情報は nomion さんから頂きました。
有り難うございました。
参考文献
1.岡田朝雄・松香宏隆 「蝶の入門百科」 朝日出版社,1986年
2.ヒサクニヒコ 「恐竜博画館」 新潮文庫,1984年
3.u富壽之助・浜田隆士 「原色化石図鑑」 保育社,1966年
4.「世界大恐竜博オフィシャルガイドブック」 読売テレビ,1997年
2000.10.23