鵺(ぬえ)


 「ぬえ」 は漢字で 「鵺」 または、空片に鳥という字をあてる(後者は表示されない……)。 この鵺の正体はトラツグミという鳥だとよくいわれる。 この鳥は夜に 「ヒョー、ヒョー」と不気味な声で鳴くので、その声が妖怪と結びつけられたのだろう。
「鵺の鳴く夜は恐ろしい」 とか何とか、どこかの映画にあったような記憶もあるが、「鵺が鳴くと誰かが死ぬ」 「春先に鵺が鳴くと死人が出る」 「屋敷の中で鳴くとその家の人が必ず死ぬ」 などという言葉が各地に伝わっている。
 声はトラツグミとしても、伝えられるその姿はまったく異なっている。
「平家物語」 によると頭が猿、胴が狸、手足が虎、尾は蛇という姿で、「源平盛衰記」 では頭が猿、背は虎で、足が狸となっているそうな。 しかし資料によっては「胴が虎」とか「手足は牛」とか微妙に違うものもある。 ええと、あの時代、日本人は虎って知ってたのかな……? 本来は大元の 「平家物語」 「源平盛衰記」 まで参照しなければならないところなのだが、その点ご容赦ください。詳しい方がおられましたら、ぜひ……。しかし、いずれにせよとんでもない姿である。
 このフィギュアは色と模様からして、手足が虎の感じですね。ということは「平家物語」タイプか。ちゃんと黒雲に乗っているところがとってもナイス。


 近衛天皇(または堀河天皇)の仁平年間(1151〜1154)、黒雲に乗った怪物が不気味な声をあげながら、夜な夜な京都御所の上空を飛び回ったという。
 この鵺が毎晩天皇や宮中の人々を悩ませつづけたため、源頼政(1104〜1180)という武将が弓で射落として退治した。 さらには二条天皇の応保年間 (1161〜1163;資料によっては永暦元年、1160年) にも鵺が出現し、やはり源頼政が呼ばれて退治したという。
 2回も登場したということは、2度目は恨みから「リベンジ」(笑)をかけてきたともとれるが、あるいは妖怪や化け物によくある 「一個体だけで終わり」 ではなくて、ちゃんと仲間や肉親がいたということではなかろうか。 妖怪も何らかの生き物に類するものだとすれば、その方が自然な気もする。
 あれっ……? この頃の時代ってちょうど九尾の狐も登場した時代じゃんか! 大変な時代だったんだな〜。(ちょっとマジメに考えると、実は同じ一つの事件が伝説の中で別の妖怪に分化していった可能性もあるかも……)


 退治された鵺の身体は桂川に流されたという。 昔のこととはいえ、何だか無茶というかいい加減というか……だって下流にも人が住んでるのに。 で、案の定というか、上流からこんなものが流れてきてはたまったもんじゃない、というわけで(?)大阪の都島や神戸の芦屋には流れ着いた鵺を葬ったと伝えられる鵺塚がある。 しかし2ヶ所にあるということは、2回登場して1回は都島、もう1回は芦屋まで流れていったということか……?
 さらに京都の東山区岡崎にも「鵺塚」と呼ばれるものがあり、鵺が棲んでいたとも、退治した鵺を葬ったとも伝えられたという。 しかし発掘調査の結果、実は古墳時代の古墳であることが分かったという。


 さて鵺を見事退治した源頼政が褒美として賜ったのが、宮中でも才色兼備の誉が高かったというあやめ御前だった。 褒美として奥さんをってのも抵抗があるが、これもまあ時代が違うのでひとまず置いといて……。
 このあやめ御前が伊豆長岡町古奈の出身だったということで、静岡県田方郡 伊豆長岡町の伊豆長岡温泉では、毎年1月28日に「鵺ばらい祭」が行われている。
 静岡県観光協会の「Hello Navi静岡」鵺ばらい祭を紹介したページによると 「あらゆる災難を鵺に託して退治する新春の行事」 であり、大鵺1匹、中鵺1匹、小鵺4匹の合計6匹もが登場するそうな。 なお、同ページにはこの6匹の鵺の写真が掲載されている。 ん〜、結構おちゃめ(^^)


 昔の人々を鵺として恐れさせたトラツグミの声であるが、実は比較的最近でも騒動の元になったようだ。 1973年、静岡県御殿場市で自衛隊の夜警隊員が、この声に恐ろしくなって警察に通報、パトカーまで出動したという。 1976年にも神奈川県西丹沢でトラツグミの声が正体不明の怪しい音として録音され、UFOの発する音だとか亡霊の声ではないかと大騒ぎになったそうである。

参考:国松俊英・谷口高司「鳥のことわざうそほんと」山と渓谷社,1990年