黒いダイヤ


 歴史上、世の中が退廃したり停滞すると、食通とかグルメとかいうものが歪んだ形で流行るらしい。
 どれもキタナイ話で本当に申し訳ないのだけれど、「食に関する世界史の三大浪費」 というのをご存じだろうか。
 古代ローマ帝国では、貴族が満腹になるまで食べた後、特殊な薬で胃の中のものを吐き出して胃を空っぽにし、また食べ続けたという。 でも、古代ローマ帝国はフン族の侵入をきっかけに滅亡した。
 清帝国でも、王宮ではトイレに行く間も惜しんで、何と便座の上に座って食べ続けたという。 だがやがて、清帝国は諸外国からの侵入を受けて衰退していく。
 そして二十世紀末の日本という国では、毎日膨大な量の食料が、食べもせずにゴミとして捨てられていたという。 同じ時代、世界の半分では何億もの人々が飢えていたというのに。 でもその後、日本という国は……。
 そこで私の思考は中断された。 給仕係が私の目の前に、一枚の皿を置いたのだ。
 黒い粒々が小さな塊になって盛られている。
「これが、その……」
 皿を持ち上げてしげしげと眺める私に、惑星ヒュソの外交官は大きく頷いた。
「さよう、キャビアというものです」


 キャビア。 その昔、地球のカスピ盆地がまだ水をたたえていた頃、そこに棲んでいたチョウザメという魚の卵を塩漬けにしたものだ。 どういう訳かこれが高価な珍味としてもてはやされ、古来より高い値段で取り引きされていたという。 今でも 「黒いダイヤ」 などと称されるらしいが、見た目美しいものでもないと思うのだが。
 だが人類の環境破壊に端を発する気候変動は、もともと希少だったチョウザメの生息地にも打撃を与え、ほとんど絶滅させてしまった。 かろうじていくつかの遺伝子バンクに、その痕跡を残して。
 惑星ヒュソには天然の大湿地帯があり、数世紀にわたる惑星改造で、かなり地球と似た環境を再現することに成功していた。 そこで惑星ヒュソの自治政府は、かつて地球上に棲息し、もはや姿を見ることの出来なくなった生き物を次々と復活させるプロジェクトを開始した。
 その中に、チョウザメもいた。
 やがて、幻の珍味キャビアは惑星ヒュソに莫大な外貨をもたらした。 今やキャビアは、ヒュソの最重要輸出産物となっていたのだ。
 ヒュソの外交官がお忍びで私の所にやってきたのは、そのキャビア生産に何らかの問題が生じたためらしい。
 私は生まれて初めて見るキャビアというしろものを、そっと口に含んでみた。
 ……驚くほど美味しい、というほどのものでもない。 私自身が食道楽というものに縁も興味もないせいもあるが、さしたる感激を呼び起こすものではなかった。 何故またこれが、古来よりもてはやされているのだろう?
 次に、私は匙で固まりの一部をすくいとり、万能固定液を満たした標本ビンに落とし込んだ。
 外交官の顔に、哀れむような軽蔑するような表情がよぎったような気がした。 キャビアといえば食べるものとしか思っていないのだろう。 そういう人々は得てして、食べ物も元を正せば生き物だったという点を忘れ、また自分の価値観が絶対だと思っているものだ。
「では、これをご覧ください」
 外交官が差し出した小さなビンには、キャビアと同じサイズの粒々が封入されている。 ただし、その色は灰白色をしていた。
「これは……?」
「それもチョウザメの卵です。 ただし、石灰質の殻をかぶっておるのです!」
 外交官が泣かんばかりに語ったところによると……ここ十年ほどの間に、ヒュソのチョウザメが突然、堅い殻に包まれた卵を産むようになったのだという。 殻を割ると中身はすぐに潰れてしまうので、加工することは不可能だった。 ヒュソ全域で、そんな 「堅い」 卵を産むチョウザメがどんどん増えているそうだ。
「これで、先生のところにお伺いした理由はご理解いただけるかと存じます。 是非、このチョウザメの急激な変異をくい止め、元に戻す方法を何とかご教示いただけないでしょうか?」


 その依頼は、あくまで内密のものだった。 ヒュソ・キャビア生産に関して不穏な噂でも流れれば、ヒュソ関連の株は暴落し、政府の信用は失墜し、政権交代まで起こるだろうと言うのだ。 別にキャビア以外に食べ物や輸出品が無いわけでもなかろうに、そこまで執着する世界は、私の想像の範囲外にあった。
 いくら内密と言われても私一人の手には余るので、気のおけない友人たちとコンタクトし、ちょっとしたシミュレーションやディスカッションを繰り返した。 だが、導かれる結論は一つしかなかった。
「進化、ですと?」
 一ヶ月後、外交官はぎょろっと目をむいて私を見やった。
「ええ、進化です。 かつて地球上に棲息していたチョウザメという生物が、ヒュソという新たな環境に適応して独自の進化を遂げつつある、その貴重な実例なんです」
「そんなことは分かってます! 我が星の学者も、そう言っとった! だから、その進化をくい止める方法を何とか……!」
 そう言うだろうことは分かっていた。 でも……。
「いいですか、これが自然の姿なんです。 生物の正しい有りようなんですよ。 スピードはちょっと速すぎる気もしますが……。 これはチョウザメがヒュソに棲息するために必要な形質であり、だからこそ、こういう形に進化しようとしてるんです。 それを押しとどめることは、チョウザメにとって生きるすべを奪われることなんですよ。
 ご希望に沿えず、本当に申し訳有りません。 それでは……」
 なおも引き留めようとする外交官に背を向け、私は部屋を退出した。
 後には、湿地帯に覆われた惑星で半魚人のような姿に進化しつつあるヒュソ人の外交官だけが、ぽつんと立ちすくんでいた。


後 記
 お待たせいたしました。 「巨鯨」以来、約3ヶ月ぶりの「生き物宇宙紀行」(笑)です。
 実はキャビアって食べた記憶はないですね。 そのひがみってわけではなくて、本作の主人公のように私自身が軽薄なグルメブームみたいなものが嫌いだったので、その一例として登場してもらいました。 お好きな方がいらしたら、ごめんなさいね。
 なお 「食に関する世界史の三大浪費」 というのは私の創作ですが、その中の3つの逸話は(出典はお恥ずかしながらいささか不明瞭ですが)史実の筈です、ハイ。