国民栄誉賞は手塚治虫の夢を見たか


 2月9日。
 かの手塚治虫先生が亡くなって、今年(2004年)で15年が経つ。 たしか同じ頃に昭和天皇が亡くなったように思うが、一個人の死ということに対する追悼の気持ち以上のものはなかった。 だが手塚治虫逝去の報は、一時代の終わりを感じさせる、とてつもなく大きな事件であった。

 すでに大勢の人々が指摘し、私自身も折に触れてあちこちで書いているが、なぜか手塚治虫は国民栄誉賞を受賞していない。 むろん受賞しなかったからといって、手塚治虫の成し遂げた偉業、後世に残された数多くの作品が色褪せることは、まったくない。
 その一方、国民栄誉賞にとっては……

「手塚治虫が受賞しなかったことにより、国民栄誉賞の権威は地に墜ちた」

 誰が最初に言ったことかは分からないが、同様の文章、発言はあちこちで見かけられる。 手塚治虫が受賞しなかったという事実が、国民栄誉賞の基準のあいまいさ、いい加減さを露呈させるきっかけのひとつとなったのではないだろうか。
 国民栄誉賞を受けようが受けまいが、人々の立派さは何ら影響を受けるものではない。 だが国民栄誉賞にとっては、受賞者がいて初めてその意義が認められる。
 国民栄誉賞の栄誉のためには、手塚治虫こそ受賞すべきであった。
 はたして、国民栄誉賞は手塚治虫の夢を見たか?

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「日本人は、なぜこんなにも漫画が好きなのか。(中略) なぜ、外国の人はこれまで漫画を読まずにいたのだろうか。
 答えの一つは、彼らの国に手塚治虫がいなかったからだ」


 逝去の翌日、1989年2月10日朝日新聞に掲載された社説の一節。 数多くのマスメディアに掲載された様々な文の中で、これほど有名で、こうした話題には必ず引用される文章も少ないであろう。 この社説を書かれた方は、この一文によって日本の文化史に名を残しても良かったのではないだろうか。
 2000年毎日新聞が行ったアンケート 「20世紀に活躍した好きなマンガ家」 では、手塚治虫が2位の長谷川町子の倍の得票でトップになったという。
 1999年末TV朝日が行った1万人アンケートで、「日本を代表する人物」の第1位に選ばれたのは手塚治虫だった。
 2002年1月NHKの 「その時歴史が動いた」 スペシャルでは 「日本の歴史を動かした15人」 が紹介された。 織田信長や坂本竜馬、聖徳太子、はたまた徳川慶喜やマッカーサー、ペリーなど歴史上の人物が挙げられる中で、手塚治虫が15位にランクインした。 投票で400人ほどが挙げられた中での15位。そして文化人では唯一のランクインであった。

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 そもそも国民栄誉賞というのは、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者について、その栄誉を讃える」ことを目的とするのだそうな。 この文章を素直に解釈するなら、手塚治虫がふさわしくないと言える人はそれほど多くはあるまい。
 黒澤明、田所康雄 (渥美清) といった映画関係者も受賞しているので、2003年にアカデミー賞をとった宮崎駿監督ももしかして取り沙汰されるんじゃないか、と思ってたら、どうもなかったようだ (まぁアカデミー賞をとったかの史上最強のお説教映画はワタクシ的には「?」だったので、その点では別にいいんだけれど)。 なぜ取り沙汰されなかったのかというと、やはりアニメ映画が実写映画よりも低く見られているからなのだろう。単に絵と写真の違いだけなのに。
 手塚治虫が受賞しなかったのも、やはりアニメや漫画が不当に低く見られているためだろうか。 理由の一つではあるかも知れないが、同じ漫画家の長谷川町子は1992年に受賞している。 だが 「サザエさん」 はTVアニメで広く親しまれていても、原作は永らく絶版となっていたそうで、少々首をかしげてしまう。
 ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎氏も選出されたが、氏は賞を辞退した。 ノーベル賞受賞によって 「広く国民に敬愛され」 ることになったのは間違いないが、氏の作品を読んだことのある人はどのくらいいただろうか。 選出した人はちゃんと読んだ上でのことだったのだろうか。
 「社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった」 人なら、2002年にノーベル化学賞を受賞したサラリーマン技術者、田中耕一氏だって充分ふさわしいではないか。 もちろん氏が世間のほとんどのサラリーマン技術者に比べればまだ恵まれた大企業にいた、ということは差し引いたとしても。


 いくつかのHPなどでは、1963〜64年、赤旗日曜版「タツマキ号航海記」を連載していたことが、手塚治虫が受賞しなかった理由だとされている。 それがどんな作品なのかは分からないが、手元の資料 (二階堂黎人・編集「未発掘の玉手箱・手塚治虫」 立風書房,1998年) を見ると、その赤旗の1962年1月1日の日曜版に掲載された「火星開拓村のお正月」と題された作品がある。 特に目くじらをたてるようなものでもない、平和で子供向けらしい良品に思える。

 一方、これは私見であるが、手塚治虫の作品には「反権力」ととれる作品もあることも一因ではないか、と感じている。
 かの鉄腕アトムが原子力を利用しているからであろう、推進派からはアトムが原子力のシンボルに使われ、反対派からはいかにも手塚治虫自身が原子力に賛成であるととったような批判があったという。
 しかし、1988年4月の漫画家協会賞パーティで、手塚治虫は才谷遼氏にこう語ったそうである。

「ぼくは当然反対だよ。きちんと書いてくれよ、原子力発電には反対だって」
(才谷遼「ぼくとアトムと原子力」COMIC BOX vol.61収録)

 1985年7月19日から8月3日まで新宿NSビルで開催された「手塚治虫漫画40年展」の中に、「第5福竜丸」 と題された作品がある(「未発掘の玉手箱・手塚治虫」収録)。 そこでは、空を飛ぶアトムに向かって人々が 「この原子力ロボットめ、死の灰を降らせるな!」 と叫び、アトムは 「ボクは正義の味方だと思っていたのになぁ」 とつぶやいている。 よくみると実際にアトムの身体から何かがぱらぱらと落ちており、自身の作品をも 「ネタ」 にする逞しさと取れなくもないが、現実の難しさに悩む、「神」 ならぬ一人の人間の姿が見えるようでもある。
 原子力を利用する鉄腕アトムを描きながら原子力に反対することは、おかしいだろうか?
 否、鉄腕アトムを描いた当時は、いつか原子力を安全平和に利用できる時代がくる、その時代の物語として描いたのではないだろうか。 しかし、現実の20世紀はそんな時代とはほど遠い、危険な時代であった。「今はまだ危ない」という思いから反対したとすれば、ごく自然なことではないだろうか。
 いずれにせよ、(それが良いか悪いかは別にして)原子力を推進したい「お上」にとっては気に入らなかっただろう。

「手塚治虫マガジン」2004年2月号にも再録された「山の彼方の空紅く」(初出:「ジャストコミック」1982年5月号)という短編は、軍事基地にするため土地を接収されることを拒んだ家族が自衛隊と戦う、というものすごい話である。
「ライオンブックス2」第1話「白縫」(初出:少年ジャンプ昭和46年4月26日号、手塚治虫漫画全集62収録)では、沖中市空港建設に伴う環境破壊が描かれる。
 空港建設に邁進する主人公の兄が 「世の中は変わるんだ!! 俺が変えてやるんだ!! それが文明ってもんだ!!」 と海鳥の化身を前に必死で叫ぶ姿は、哀れですらある。 しかし結局、地盤沈下で埋立地は没してしまう。
 さらには、有名な 「ブラック・ジャック」 「きりひと賛歌」 ではお医者さんの組織もこき下ろされている。 実在の「お医者さんの組織」は与党の最大圧力団体の一つだし、この点も 「お上」 のお気に召さないことは想像に難くない (現実の一人一人のお医者さんには頑張ってる立派な方も大勢いることは強調しておくべきだろう。 しかし 「組織」 となるとねえ)。 もっともそれ以前に、医学関係の学生だか研修生だかの教材に 「ブラック・ジャック」 を使おうとしたら、「ブラック・ジャックは無免許医なんだからけしからん」 などとピントのずれた、というか数百光年ほど的を外した反対意見があったという話も聞きかじったことがあるので、まぁそんな程度なのかも知れない。

 いずれにせよ、要するにお上の気に入らない人にはあげないよ、という極めて了見の狭い理由もあったというのは考えすぎであろうか……?
 もし、かりに……まずないであろうが、もし仮に、今からでも手塚治虫さんに国民栄誉賞を差し上げましょう、と政府が言い出したとしたら……
 残念だが 「何を今さら」 「どうせまた人気取りのパフォーマンスだろ」 などと感じてしまうだろう。 せめて、1989年当時に差し上げなかったのは間違いでした、と公式に認めるなら、それも良いかもしれないのだが……。
 はて、1989年当時の内閣総理大臣って誰でしたっけ? もちろんちょっと調べれば分かることだけど、そこまでする気にもなれない。
 大臣の名前はいずれ歴史の教科書に残るぐらいだろうし、国民栄誉賞という制度もいつまで持つものやらよく分からない。だが、手塚治虫の残した作品は現代文明の続く限り残っていくだろう。
 実は国民栄誉賞の話題は、以前より大変お世話になっている書庫の彷徨人様HPの掲示板で5年も前にお話させていただいたことがある。 1999年3月14日、書庫の彷徨人様のご意見を最後に紹介して、このとりとめのない文章を終えたい。

(国民栄誉賞があろうとなかろうと)今コミックスを読んでいる子供たちの瞳の輝きのひとつひとつこそが、彼(手塚治虫)と彼を継ぐ者たちの勲章だと思います」

2004.02.09