2.January 26, 797 U.C.


 宇宙暦797年1月26日。
 エルナンデス少佐が、ハイネセンからの通信文を持ってホリタの元へやってきた。この間までならベティ・イーランド中尉が持ってくるところであり、ホリタはまた彼女のことを思い出した。
 そう、今月の初め、イーランド中尉はホリタの元を訪れ、除隊を申し出たのだ。昨年のアムリッツァ会戦でフィアンセを失い、父は数年前に戦死し、故郷に一人残る母は病が重く……彼女の生まれ故郷は、テルヌーゼンだった。テルヌーゼン選出の反戦政治家、ジェシカ・エドワーズ女史の演説を背後に聞きながら、二人はいろいろなことを語り合った。
 フィアンセを失ったイーランド中尉は、どうやらエドワーズ女史にひかれるものがあるらしかった。同盟の雰囲気はますますおかしくなりつつある。そんな社会的状況も、彼女に決意を促したのだろう。案の定と言うべきか、昨日はかの憂国騎士団が、ハイネセンのグエン・キム・ホア広場で3万8000冊にのぼる書籍を「焚書」するという蛮行を繰り広げたという。
 今、司令部に彼女はいない。今頃はバーラト星系へ向かう船の中のはずだ。
 ホリタは感情を押しやり、通信文を読み始めた。
− 来月、イゼルローン要塞で捕虜交換式が行われる。恐らくそのことだろう……。
 第一辺境星域にも捕虜収容所が存在し、今回そこからも5万人ほどの捕虜が送り返される予定だ。5万人というと辺境では一都市の人口にも匹敵するが、何しろ今回は200万人もの捕虜を交換するのだ。辺境経済の慢性的不振、辺境守備兵力の不足から、いくつかの収容所を統合して数を減らすのだろう。
 捕虜交換の申し入れが20日に帝国側からあってから、まだ一週間も経っていない。それをわずか1ヶ月後に実施するのだから、どこも準備で大わらわである。すでに帰還捕虜の選抜、輸送船団の手配などの根回しを進めていたが、ぎりぎりのスケジュールだった。
 ホリタの大きなため息を聞きつけて、ンドイ大佐が近寄ってきた。
「どうなさいました?」
「捕虜輸送のことだがね。こちらから護衛艦隊を提供しろ、といってきた」
「護衛艦隊? いったい何から何を護衛するんです。こんな所に敵がいるわけもなし、帰れる捕虜が反乱を起こすわけもなし」
「いやあ……早い話、雑用係だな」
 同盟の各辺境にばらばらに設置された捕虜収容所から、それぞれ帰還捕虜を乗せた船団が出発してイゼルローンを目指すことになる。一ヶ所に集結する時間的余裕はないから、それぞれが目的地を目指しながら合流していく。第1辺境星域はイゼルローンからもっとも遠い星域の一つであり、その道すがら、他の星域からやってくる船団を拾っていく「まとめ役」を供出せよ、というのだ。
 おまけに捕虜輸送後も、捕虜交換式から帰還兵輸送までの一連の大イベントが終わるまで、その護衛艦隊をハイネセン−イゼルローン間の警備に回してほしい、と付け加えられていた。
 ハイネセンとイゼルローンの中間に位置する、シャンプールに本拠をおく第7辺境艦隊は、昨年の帝国領進攻作戦でその大半が失われた。よって、辺境星域の中では比較的余裕のある第1辺境艦隊の部隊を、一時的にせよそちらに回せ、というわけだ。
「こき使うつもりですなあ……」 ンドイ大佐が首を振って言った。
 第1辺境星域からまっすぐにイゼルローンを目指すにしても、安全を見越して3週間程度はみた方がよい。つまり、今日明日にも出発せねばならないのだ。輸送船団の方はもともとその予定だったが、護衛艦隊は計算外だった。
 だが通信文の2枚目は、打って変わってホリタの眼を輝かせるに足る内容だった。
 昨年の帝国領進攻作戦でホリタの旗艦 《メムノーン》 は中破し、ハイネセン衛星軌道上の第一工廠で数ヶ月に及ぶ修理と改装を施すこととなった。それがやっと、完了の目処が付いたというのだ。
「もうあいつには会えない、と思ってたがね……」
「は?」
 ンドイ大佐に文面を差し示すと、大佐はすぐに笑みを浮かべて頷いた。
「ほう、やっと 《メムノーン》 も帰ってきますか。 《メムノーン》 がなくては、メムノーン伝になりませんからな」
「え、何だって?」
「いえいえ、何でもありません。楽屋落ちはおいときまして……おや?」
 ふと、末尾に付け加えられた一文が大佐の目に留まった。
「帰還兵歓迎式典に出席せよ、と付け加えてありますな」
 今回の捕虜交換式は、2月下旬頃と予定されている。それが無事に済めば、帝国からの帰還兵は3月上旬にハイネセンに戻るだろう。
 ついては、ホリタ自身もハイネセンに赴いて帰還兵歓迎式典に出席し、その帰りに修理の完了した 《メムノーン》 を持って帰れ、というのだ。
「いったいまた何で私が式典なんかに……」 ホリタは文面を見ながら首をかしげたが、ンドイ大佐は肩をすくめただけで、その件にはそれ以上触れなかった。
「で、護衛艦隊はどのように編成なさいますか?」
「そこが迷うところでね」 ホリタは大げさに腕を組んで見せた。
 階級的に副司令となるチャロウォンク准将は、分艦隊指揮能力で一目置かれている。どちらかというと猛将タイプだが、昨年の帝国領進攻作戦には従事せず、ホリタがいない間にこの第1辺境星域を任されていた。だが准将は今、第1辺境星域の反対側で未探査宙域を調査中である。呼び寄せる時間はない。
 もう一人の准将、アムリッツァ以後に転属してきたサンドル・アラルコン准将は、悪い意味で堅物であり、コチコチの軍国主義者として有名な人物だ。この間まで主力艦隊の分艦隊をまかされていたが、捕虜虐待の疑い(それも初めてではない)で回されてきたのだ。かねてより捕虜に対して抑圧的な彼では、捕虜に対してよからぬ心理的影響を与える恐れが強い。
 古参ゆえに事実上のナンバー2といえるンドイ大佐は、空母 《ガルーダ》 を中心とする機動部隊を統率する身でもある。空母というのは艦隊戦ではとかく「撃たれやすい」が、本来は近接戦や制圧などに威力を発揮する艦種だ。今回のような輸送や護衛にふさわしい艦種ではない。
 あと、すぐに出発できそうな、小艦隊指揮のできる幕僚は……
「 《チュンチャク》 がよろしいでしょう」 ンドイ大佐が言った。「 《チュンチャク》 なら今ラムビスにいますから」
「そ、そうだな……」
「 《チュンチャク》 はもともと分艦隊旗艦クラスですから、指揮能力、速度など申し分ないでしょう」
 ンドイ大佐の顔には、まるで悪戯っ子のような笑みがあった。ホリタは頭をかきながら困惑の表情を浮かべていたが、やがてンドイ大佐の顔を見ると、渋々うなずいた。
 ンドイ大佐の笑みやホリタの困惑は、 《チュンチャク》 のせいではない。その艦長が原因だった。


          

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