3.January 27, 797U.C.


 戦艦 《チュンチャク》 ― その艦名は、漢代中国の横暴に対抗したベトナムの女傑チュンチャク・チュンニ姉妹に由来するという。 《ムフウエセ》 級と呼ばれる、艦首主砲部が横へ拡張された最新クラスの戦艦だ。近年の著しい戦力喪失に対応すべく、個艦としての戦闘能力と分艦隊指揮能力の双方を高めようとしたクラスである。
 そして 《チュンチャク》 艦長も、大佐とはいえ、小規模ながら部隊指揮の経験も豊富である。だいたい普段から人材不足気味で昇進も遅い辺境では、大佐でも状況に応じて小艦隊をも指揮することがある。よって先天的能力はともかく、経験的には中央の将官に引けを取らない大佐が辺境には多い。ンドイ大佐などその好例だ。もっともそのために引き抜かれやすく、その結果アムリッツァでは辺境艦隊からも膨大な犠牲が出たのであるが……。
 ともかく 《チュンチャク》 とその艦長は、確かに今回の任務に適した人材であった。
「シュモクザメへようこそ!」
 《チュンチャク》 艦長は屈託のない笑みで、ホリタを自室に迎えた。
「シュモクザメ……?」 ホリタが首を傾げると、艦長は 「また後で」 とだけつぶやいた。
「新造戦艦の乗り心地はどうだい?」
「最高ですね。とりあえず打ち合わせと参りましょう」


「シュモクザメっていうのはね」 《チュンチャク》 艦長 ― タチアナ・カドムスキー大佐は、いつもの笑みを浮かべながら一枚の写真を取りだした。 「これよ。ずーっと昔、地球の海にはこんな魚がいたらしいわ。ほら、 《ムフウエセ》 級の艦首と似てるじゃない」
 二人っきりの時だけ、タチアナは昔のようにくだけた口調でホリタに語りかけてくれた。
 同世代にも関わらず、年齢以上に老け込んだようなホリタと、未だに若々しい快活さを失わないタチアナとの間には、大佐と少将以上に遠く隔たったものを感じてしまう。彼女が階級を意識しない口調で話してくれるときだけ、ホリタは昔に無くしてしまったものを取り戻せるような気持ちになるのだった。
 タチアナは同盟全軍の中でも数えるほどしかいない女性艦長だ。宇宙開拓時代や銀河連邦時代には、女性艦長や女性提督もたくさんいたと聞く。だが、銀河帝国は盲目的に古い社会因習を復活させ、それに抗する自由惑星同盟もまた、結局同じ様な体制で対抗し続けているのだった。さすがに貴族制度まで真似るほどとち狂ってはいなかったが、戦時体制というのは、いつの世もろくなことはない。
 タチアナがコーヒーカップをホリタの前に置いた。
「ロバス星系のスウォン・コーヒー。結構珍しいのよ」
 彼女は昔からコーヒーをいれる名人だった。実はホリタの方は豆の違いが分かるほどの舌は持っていないのだが、すなおにその味を楽しんだ。
「突然のことで本当に申し訳ないんだが……」 タチアナが座るのを待って、ホリタは言葉を続けた。「今、ラムビスにいる分艦隊旗艦クラスがこの 《チュンチャク》 しかなくてね」
「ええ、慎んで拝命いたします」 半分おどけながらタチアナが応える。 「ただ乗員の一部がすぐには都合つかないから、その補充はお願いしますね」
「ああ、それは何とかするよ」
「それにしても随分とせわしないスケジュールねぇ」
「選挙が近いからな。毎度のことだ」
 ホリタは手元の端末をオンにして、同盟の星図を映しだした。
「輸送船団は、途中で第2、第9辺境宙域からの船と合流しながら、二週間弱でシャンプールへ向かう予定だ。船団はそこからさらに一週間ほどかけてイゼルローンへと向かう。イゼルローン到着は17日頃、ぎりぎりになるだろうね。そこで、ここからシャンプールまでの護衛をお願いするというわけだ」
「シャンプールから先も、イゼルローンまで誰かついていくってことはない?」
「いや、そこからは第7辺境艦隊に任せろとさ。しかし何故?」
「え? いや……うん、イゼルローンに行きたがってるのがいるからさ」
「何だ、そりゃ。転属希望か?」
「そうじゃなくって、第13艦隊に会いたい人がいるらしいのよね」
「そうか……」
 ホリタはふとベティ・イーランドのことを思い出した。帝国領進攻作戦で、彼女のフィアンセは別の艦隊にいたが、その艦隊は一隻も戻らなかった……。
「よかったら教えてくれないか。別に秘密は守るし、将来チャンスがあったら考慮するよ」
「ふうん? あなたは部下の私事には立ち入らないクチじゃなかった?」
「ん……まあ、いろいろとな……」
「絶対内緒だよ」 ホリタが頷くのを確認すると、タチアナは芝居がかった素振りで声を潜めた。 「まあ、つきあってるとかじゃなくて、恩人がいるらしいのよ。 《ガルーダ》 のパク・ミンファ中尉。知ってる? 恩人ってのはたしかコーネフとか言ってたわね。どういう恩なのかは、私も聞いてないけど」


 1月28日。戦艦 《チュンチャク》 率いるささやかな護衛艦隊は、輸送船団と邂逅すべくラムビス星系を進発した。
 捕虜交換式が2月19日イゼルローンにて、と公式に発表されたのは、2月1日のことであった。


          

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