9.March 17, 797U.C.
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3月17日。ホリタは朝食の席で苦戦していた。といっても、その相手はろくに噛み切れない合成ベーコンでもなければ、思いがけない時にハイエナのように出現するイエロー・ジャーナリストでもなかった。
「今日は艦隊業務ではないのだから、貴官が無理についてこんでもいい」
「ですが、軍服をお召しですので……」 当惑気味にホリタを見つめ返しているのは、エルナンデス少佐である。
「軍用宇宙港に行くんだ、私服というわけにもいかんだろう」
横ではツァイ・クォク・ヴィン中佐が、そ知らぬ顔でスープをすすっている。
「貴官は私の副官というわけではないのだから、そう杓子定規に考えなくてもいい」
ホリタは苦笑を通り越して嘆息した。
たかが辺境の司令官に、佐官クラスの高級副官が付くことなどありえない。実際、エルナンデス少佐はもともと参謀格であって、ホリタの副官はベティ・イーランドが勤めていたのだ。だが彼女がいなくなった後、その席は埋められず、結局エルナンデス少佐が副官までも代行するような形になっている。これがその不備を言い立てる性格ならともかく、彼自身が進んで副官業務をこなすものだから、ついそのままになってしまっているのだが……。
だがエルナンデス少佐を笑うことは出来ない。ホリタも10年前は似たようなものだったからだ。当時の上官
− タナトス警備管区のマシューソン准将は堅苦しい、と言うより活気に乏しいタイプで、そんな上官の元では、それでちょうど良かったのだが……立場が逆になると、また違った気持ちになるものだ。
「ツァイ中佐!」 ホリタは立ち上がりながら、コーヒーカップを口につけていた中佐を呼んだ。横での出来事など事象の地平線の彼方、と決め込んでいたツァイ中佐は、唐突な奇襲攻撃に数センチ飛び上がった。
「今日は 《メムノーン》 帰途の航行案を策定するんだったな。司令部としてエルナンデス少佐に立ち会ってもらうから、補給物資の積み込みまでハイネセン第一工廠と交渉にあたってくれないか?」
「ええと、ですから、そいつはすでに提出しました計画どおりに……」
二人を交互に見比べた中佐は、ホリタが少佐から見えない方の手を拝むように振っていることに気づいた。
「はあ、そうですか……分かりました。では少佐、朝食後1時間したら出発しよう」
「は、了解しました」 エルナンデス少佐は釈然としない表情のまま敬礼し、席に戻った。
− どちらも不器用なことで……
ツァイ中佐はちらと二人を見やり、わずかに肩をすくめた。
ハイネセン軍事宇宙港前の広場に、二、三十人程の群衆がより集まっていた。
「何だい、あの集団は?」 ホリタは所在なげに立っていた警備兵に訊いてみた。最近は反戦デモも見られるようになってきたが、そうしたエネルギーの感じられない、妙に沈んだ雰囲気の一団だ。
「あれですか? 確か、地球教という宗教の信者だそうです」
「地球教……?」
「人類発祥の地である地球を聖地とみなし、帝国から奪還しようと主張してるそうです。さっきまでシュプレヒコールというか呪文みたいなものを唱えて練り歩いてましたよ。地球をわが手に、とか、人類は地球を中心とした神の国に統合されるべきだとか」
「神の国!? そいつは驚いた。神というのは、いるとしてもあの世にいるものだと思っていたがねえ。神の国とやらでは、神様が最高評議会議長席に座るのかね?」
「そんなことは私も知りませんけど」 ホリタの冗談に、若い兵士は生真面目に口をとがらせた。
「彼らにとっての神は人の姿じゃなくて、地球っていう星なんでしょう?」
「地球が神ねえ……千年前の地球独裁体制を復活させるつもりかね、連中は」
「理由はどうあれ、我々の聖戦に協力しようと言うのですから結構なことではありませんか」
ホリタはまじまじと警備兵の顔を見つめたが、彼は冗談のつもりではなさそうだった。
有史以来、宗教と戦争が結びつき、悲惨な歴史を歩むことになった例は枚挙にいとまがない。権力者が神を口にした時、多くは自己神格化や戦争の正当化につながり、「聖戦」が繰り広げられてきたのだ。
宇宙港ビルへ足を踏み入れる直前、ホリタはハイネセンの青空を見上げた。数千光年彼方の地球は、そんなものに祭り上げられて迷惑しているのではないだろうか。それとも……。
ロビー正面の大画面では、国営放送のニュースが映し出されていた。階段を上がってきたホリタが気付いて顔を向けた瞬間、それまで映っていたエドワーズ女史の顔が切り替わった。立体画像ではないが、昨日の空港でのものに違いない。
続いて画面に現れたウィリアム・オーデッツという男が、何やらまくし立て始めた。国家の威信だの聖戦だの、空疎な単語を散りばめた空漠たる弁舌を繰り広げている。直接表現は避けているが、御用解説者として反戦市民連合を批判しているのだろう。割と有名な解説者で、近々選挙に出馬するらしいが、やたら演技過剰なイメージしかホリタにはなかった。
まあ弁舌だけで出馬しようというのは、現在の最高評議会議長といい勝負かも知れない。
ついさっき着陸したシャトルから降り立った人々が、ゲートから流れ出し始めた。
《チュンチャク》 の乗員たちだ。ホリタは目立たない場所にいたが、ホリタの姿を認めた何人かが次々と敬礼した。
やがて、最後の方になってタチアナ・カドムスキー艦長が出てきた
− が、その横にもう一人スーツ姿の男が現れた。
《チュンチャク》 でやってきた国防族議員だ。たしか、名前は……
敬礼するタチアナに答礼した体を議員に向け、礼儀的かつ形式的に敬礼する。議員氏は笑みを浮かべると、握手を求めてきた。
「ホリタ少将閣下ですな。ウォルター・アイランズです。カドムスキー大佐からいろいろお伺いしましたぞ……」
《チュンチャク》 についてお世辞とも何ともつかぬ誉め言葉を並べ立て、アイランズは出迎えの随員の方へと歩み去っていった。
「おい、いったい何を話したんだよ?」
アイランズの背中を見送りながら、ホリタはタチアナに囁きかけた。
「さあ?」 タチアナは口元に笑みを浮かべながら、とぼけた風に首をかしげる。
「ありゃあ、がちがちのトリューニヒト派だぞ」
「そうよねえ……」 周りにいた乗員たちもすでに散り始め、二人の周りには誰もいなくなりつつあった。最後まで付き従っていた副長に何か指示してから、彼女はホリタに微笑みかけた。
「だけどね、いい話もあるのよ」
「うん?」
「あなたが帰還兵歓迎式典に出席することになってるってのは話したわよ。そしたらね、その後のパーティーに私も出席するといいって。アイランズ議員の招待ってことで」
「………えらく気に入られたようじゃないか」
「なによ、それ。嫌みのつもり? 私がいてはお嫌かしら?」
「い、いや、すまん。そんなつもりじゃないんだ」
先日のホワン・ルイの話を思い出し、ホリタは複雑な思いでトリューニヒト派議員が歩み去った方向を見やった。
アイランズが半世紀の惰眠から半年間の覚醒に至るまでにはまだしばらくの時間を必要とし、この時点で将来の
「脱皮」 を予測し得た者は、一人もいなかったのである。本人も含めて。