10.March 19, 797U.C. .
ホリタは着慣れない礼服にいささかうんざりしながら、階段を降り始めた。
階段の下に、ドレス姿の女性が立っている。女性はホリタの顔を見ると、微笑んだ。
「やあ、タチアナ……」
少々戸惑いながら、ホリタはぎこちない笑みを浮かべた。彼女はちょっと首をかしげながら、ホリタの反応をうかがっている。
「ああ、うん……何だ、その……綺麗だ、とても」
「ありがと。その言葉、10年前に聞きたかったわね」
「………」
ホリタは照れ隠しに横を向きながら言った。
「取り戻せるかな、10年の時間は……」
「ん……憶えてる? 『何度言やぁ分かるんだ、過去は変えられねえ、あきらめな……』」芝居がかった口調で言ったその言葉は、士官学校時代にタチアナから聞いた、ある古典の一節だった。「『だがな、未来ならいくらでも変えられるんだぜ』……」
「未来、か……」
ホリタは立ち止まりかけたが、タチアナがその腕を引っ張った。パーティの開始まであまり時間はない。二人は連れ立って一万人の参加者の中へ紛れていった。
会場の演台には最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトが立ち、バックのスクリーンには彼の顔がでかでかと映し出されている。
「今回諸君らの帰国がかなったのは、わが政府の人道主義と、たゆまぬ外交政策の成果であると自負するところである……」
よく言うよ……。
ホリタは周りに気づかれない程度に肩をすくめた。
「諸君らはここで英気を養い、体を休め、しかる後に再び神聖なる解放戦争へと身を投じていかねばならないことを銘記してほしい。諸君らは生きて故国に帰り着いた。しかし、諸君らに十倍する英霊がアムリッツァで散華した記憶も生々しい。諸君、忘れてはならない。この安逸はかりそめのものなのだ。帝国打倒のその日まで、たとえ名誉の戦死を遂げようとも……」
自己陶酔のきわみだ。だが、この会場にいる一万人の参加者のうち少なくとも何割かもまた、同様に酔っているのだろう。どんな政治家でも、たった一人では何もできない。その政治家を支持する連中がいるからこそ、なのだ……。
議長の演説からすると、帰還兵はまた軍に編入されるのだろうか。人的資源委員長ホワン・ルイはどう思っているだろう。帰還兵の自由意志による進路選択を訴えていたジェシカ・エドワーズ女史は、今ごろ市民集会を行っているのだろうか。
「いい気なものだな」 演説の合間に近づいてきたのは、ライオネル・モートン少将だった。少将も辺境艦隊の再編成とやらで、呼び寄せられていたらしい。ホリタと違って酒に強いのだろう、かなり強めの酒が入ったグラスを手にしている。
「我々軍人はアムリッツァで辛酸を舐めさせられたのに、彼らは傷つきもせず、何の制約も受けずに言いたいことを言っている。うらやましいことだな」
「まったく」 ホリタは苦笑しつつ賛同を表した。
軍人としてはややタイプが異なるし、またモートンの方が年長ではあるのだが、アムリッツァで共に最後まで戦った者としての親しみを互いに抱いている。
ふとモートンが口をつぐみ、軽く手を挙げると歩み去っていった。
視線を感じて頭をめぐらすと、そこでは情報部のブロンズ中将がこちらを見つめていた。隣にいるのは、第4辺境星域のハーベイ准将だ。だが二人の雰囲気に何やら異様なものを感じ、ホリタも移動を開始した。
歓迎式典にせよパーティにせよ、そこはやはりトリューニヒト派、主流派と反主流派、与野党各派のあらゆる派閥がうごめく魑魅魍魎、百鬼夜行の場だった。ホリタはなぜ自分が呼ばれたのか不思議だったのだが、そんな複雑怪奇な派閥力学の網にたまたま引っかかった一人、それ以上でも以下でもなかったのだ。耳元でのささやきという形でその「網」が飛び交っていたが、ホリタは右耳から左耳へとバイパスを開通させ、完全に聞き流していた。
ただし後に、この時ブロンズ中将とハーベイ准将が何を考えていたのかを思うと、ホリタは寒気を覚えることとなる。
近々行われる選挙のためだろうが、何の関係があるのか、二世・三世議員の売り込みまであった。古来より民主主義国家であるにもかかわらず、親や親族が政治家だったというそれだけの理由で当選してしまう輩は多い。本人よりむしろ投票する者の責任ではあるが、いったいこれは貴族の子弟が実績もなく昇進していく帝国と、どれほどの違いがあるのか……?
その後ホリタは、たまたま隣に来た士官学校の教授と妙に意気投合し、気分転換に共同作戦で料理の征服に取り掛かっていた。もっともその戦友はナプキンをひどく汚すのが難点ではあったが。
しかしその教授が2年後には宇宙艦隊総参謀長となることをもし知っていたら、今少し違った作戦を取っていたかも知れない……。
20時を過ぎた頃。
ホリタはロビーに出て 「撤退」 の機会をうかがっていた。タチアナはというと、結構楽しげに参加者の間を行き来している。一万人もの参加者の中にいると、一度はぐれるとどこに行ったやらなかなか分からなくなってしまう。
ロビーのあちこちに台に乗ったモニターがあり、会場の中を映し出している。奥にまで入れない人や、報道陣のためだ。ところがそこには、今日何度目かの演説の最中であるトリューニヒトの顔が大写しになっていて、再びホリタをうんざりさせた。
「浮かない顔してるわね」
背後からタチアナの声がした。
「そりゃ、まあね」 そう言ってモニターに視線を向けると、彼女は単純に得心したようだった。
「ま、これで機嫌なおしたら?」
タチアナがグラスを渡し、ホリタは謝意をこめて軽くグラスを掲げた。
「あらあ?」
タチアナが意外そうな声をあげたので、ホリタも彼女の視線を追った。
トイレから、この会場にあまり似つかわしくない私服姿の青年があたふたと出てくる。
「え、あれ、もしかして………」 タチアナがいったん指差しかけた腕を、慌てて引っ込める。
「まさか……」
だが……その青年は、どう見てもヤン・ウェンリー大将に瓜二つだった。いや、間違いない……?
青年はロビーの隅にいた亜麻色の髪の少年に駆け寄ると、二人して早足で出口へと向かっていく。
青年の視線がホリタをかすめ、ホリタはリアクションに迷った。
ヤン大将に間違いない。間違いはないが、要するに彼は人に気づかれないように
「撤退」 しようとしているのだ。ここは気づかぬ振りがいいか?
と考えているうちに、二人連れはホリタとタチアナの前を通り過ぎていった。通りがかりに、トリューニヒトを写すモニターをくるりと回転させて。タチアナが思わず吹き出す。
「うちてしやまん、鬼畜帝国、共和制万歳、共和政府万歳……!」
モニターと一緒に、トリューニヒトの顔と声がくるくると間抜けに回りつづけていた。
3月21日。ホリタらは 《メムノーン》 に乗り組み、ハイネセンを進発した。
《チュンチャク》 および支援艦艇や第1辺境星域へ向かう民間船も加わった、意外と大きな一団となる。
ここまで乗ってきた巡航艦 《アリアドネY》
は主力艦隊の補充にまわされたが、ツァイ・クォク・ヴィン中佐以下乗組員たちの多くは
《メムノーン》 で共に戻る。そして、ツァイ中佐にとっては初めての
《メムノーン》 艦長席だった。
帰還兵歓迎式典に参加したお偉方、各方面へ散っていく帰還兵たちなどのために、ハイネセン宙域は結構混雑していた。かのイゼルローン組もこの中にいるのだろうか。ホリタはパーティーで抜け出した青年を思い出し、頬が緩むのを抑えるのに苦労した。
《メムノーン》 はバーラト星系外縁のワープイン宙域へ加速を続け、ホリタは一人指揮シートに身を沈めた。予想外に長引いたハイネセン滞在で出会った人々の顔が浮かんでは消えていく。これから先、自分も含めて一人一人に待ち受ける運命はどのようなものだろうか……。
宇宙暦797年3月30日。同盟全土を突き飛ばして昏倒させる大事件の幕が上がる。
第二部 完 ― 第三部へ続くっ!!