1.発 端
ホリタはディスクブックをリーダーから取り出すと、机の上にぽんと放り出した。精読せずざっと目を通しただけだが、そもそも精読するだけの内容もありはしない。
「戦略的発想と戦術的発想 − ヤン・ウェンリー四つの戦い」
という題名で、ハイネセンの書店に立ち寄ったときに見つけ、ヤン・ウェンリーという人物を知りたくて購入したものだ。こういうものを知った店で買うと、そんな意図はなくとも何かと勘ぐられかねないので、出かけた先で買うに限る。しかし他にも
「ヤン・ウェンリーに見るリーダーシップの研究」
だの 「現代人材論Vヤン・ウェンリー」 だの、いかにも軽薄な題名の本が氾濫しているが、どれも似たり寄ったりだ。
それにしても、内容がなかった。例えばイゼルローン要塞奪取を前人未踏の奇跡のごとく書き立てているが、実のところ、古来より似たような例はいくらでも存在する。たとえば、「トロイの木馬」
などその良い例だろう。
伝説によれば、ギリシアとトロイアの戦争において、トロイアの要塞を攻めあぐねたギリシア軍は、巨大な木馬を置き去りにして撤退した。トロイア軍は残された木馬を城内に運び込んだが、夜になって木馬に潜んでいたギリシア兵が中から城門を開けてしまったため、陥落してしまったという。
まあ現実には調べもせずに木馬を運び込むようなことはないだろうから、そこは伝説なのだが、パターンとしてはヤン・ウェンリーのイゼルローン要塞奪取とよく似ている。昨年、当時少将だったヤン・ウェンリーは、同盟軍に追われる帝国艦を装った特殊部隊をまんまとイゼルローン要塞に侵入させ、かの巨大要塞を内側から占拠してしまったのだ。
ちなみに 「トロイの木馬」 というのは、かつて存在したコンピュータ・ウイルスの名前でもあったという。よって古代ギリシアにもコンピュータが存在した、などとわけの分からんことを言う者もいるらしいが……。
そんなものは別にしても、現代においては古代の神話や伝説を知っている者は少数派なのだから、仕方ないことなのかも知れない。ホリタの場合は、自分が乗る
《メムノーン》 の艦名の由来が知りたくて、ギリシア伝説というものを調べる気になったのだが……。
ヤン・ウェンリーの 「魔術」 で真に賞賛されるべきは、決して奇想天外なトリックなどではない。古くより伝わる真理を知り、それをいかに現実に活かすかを的確に判断できる点であろう。
物思いにふけっているところへ、呼び出し音が響いた。デスク脇の端末画面に、エルナンデス少佐の顔が現れる。その顔は、いやに青ざめていた。
「た、ただ今ハイネセンよりの通信を傍受しましたが……クブルスリー本部長が、暗殺されました!!」
その後の第二報でクブルスリー本部長は一命を取りとめたことが分かり、とりあえずの安堵感が漂ったものの、皆の驚きはただならぬものであった。ホリタにとっては先日会ったばかりである。
やがてクブルスリー大将に代わって統合作戦本部長代行にドーソン大将が任命された、との情報がもたらされると、若い士官たちの間に悲嘆のどよめきがはしった。かつて士官学校の教官だった時、よほど評判が悪かったらしい。
その翌日には、首都防衛司令部に属する基地の一つで点検中の惑星間ミサイルが爆発、整備兵14名が即死するという悲惨な事故が発生した。しかも、犠牲者はいずれも10代の少年兵だったのだ。
国防委員長ネグロポンティは記者会見で崇高な犠牲だの聖戦だのと空疎な言葉を並べたてたが、一方で人的資源委員長ホワン・ルイは、システムを支えるべき人材がすでに枯渇しつつあることに警告を発した。そして反戦派の急先鋒であるジェシカ・エドワーズ女史はより直接的に、子供たちまでも犠牲とする戦争の継続そのものを批判した。
「まったくろくなニュースがありませんね」
エルナンデス少佐の感想には、ドーソン大将の件も入っていることは明らかだった。
ホリタは面識がなかったが、以前ドーソンが第1艦隊の後方主任参謀だった時に各艦のダストシュートを調べあげ、じゃがいもがどれだけ捨ててあった、などと発表して同盟全軍をうんざりさせて以来、「じゃがいも士官」
と呼ばれていることは有名だ。
TV画面ではエドワーズ女史の演説が続いている。もはや精神論に頼らざるを得ない主戦派に比べ、人的資源の枯渇や財政の逼迫など、わずかづつではあっても戦争に対する疑問は同盟市民の間に芽生えつつあった。
4月2日。ラムビスに帰り着いたホリタたちに、皆が次々とハイネセン方面の様子を尋ねた。が、ホリタらも事件を知ったのは航行中であるから、さしたる情報は持ち合わせていなかった。
「何たる不名誉な事件だ! 帝国ならば、こんな事件は報道を禁止できるのに!」
クブルスリー大将暗殺未遂事件に対して、サンドル・アラルコン准将は声高にそんなことを言った。
「それは民主主義に反するな」 軍国主義的傾向の強いアラルコンとしては当然のリアクションだったかもしれないが、ここは唯一彼より上位に立つ自分が言わねばならない、とホリタは自覚していた。
「大事なことは、そもそも不名誉な事件が起こらないようにすることだ。そして起こってしまったなら、原因と責任をきちんと明らかにすることだ」
「しかし犯人はあのアンドリュー・フォークですか……」
ンドイ大佐が急いで口を挟んだのは、アラルコンの反論したげな様子を察知したからだろう。それにしても
「あの」 という言葉は必要以上に強調されていた。
「アムリッツァでもとんでもないことをしでかしたのに、懲りもせず……」
ンドイ大佐もアムリッツァで戦った身であり、苦々し気に首を振る。
昨年の帝国領侵攻作戦は、当時総司令部の作戦参謀であったアンドリュー・フォーク准将が発案し、政治家たちの思惑によって強行されたものであった。しかし作戦は完全に失敗に終わり、アムリッツァ星域での会戦終結までに、動員兵力の実に三分の二を失うという惨憺たる結果に終わったのだ。
当のアンドリュー・フォークは、作戦途中でヒステリーの発作を起こし、予備役編入、強制入院となった。そのフォーク予備役准将が、統合作戦本部でクブルスリー本部長に声をかけ、あげくに銃を抜いたのだという。
「フォークは一体全体何のつもりだったんだろうな、こんなことをして……」
「だから、本部長に怒られたから、だそうですぜ」
とチャロウォンク准将。 「あいつはチョコレートを泣いて欲しがる程度のガキだ、と誰かが評したそうですが」
「それだけで撃たれたら、命がいくつあっても足りんよ」
ホリタは肩をすくめて見せ、幕僚たちの苦笑を誘った。
宇宙暦797年4月初頭、同盟中は不穏な空気に包まれていたが、これがさらなる大事件へと発展していくなどと予測しうる者はほとんどいなかった。
が、ホリタたちの後を追ってきたかのように、次の凶報が舞い込むこととなる。