3.決 壊


「吉報は一人で来るが、凶報は必ず仲間を連れてくる」 というのは誰の言葉だったろうか。
 ホリタたちが今後の対応について協議しているところへ、通信士から緊急報告が入った。ハイネセンの国営放送がすべてブラックアウトし、重大発表のある旨を繰り返しているという。
 会議室に回された画面に、やがて一人の男が現れた。軍人である。
「エベンス大佐……」 かすかなつぶやきがホリタの耳に届いた。誰かと思って振り返ると、アラルコン准将だった。
 男は手にした数枚の紙を演台に置き、カメラを見据えた。男は息を吸い込むと、「重大発表」を始めた −


「本日、われら自由惑星同盟救国軍事会議は、首都ハイネセンを支配のもとにおいた。同盟憲章はその効力を停止し、我ら救国軍事会議の決定と指示がすべてに優先する……」
 沈黙に支配された室内に、画面から流れる声だけが響いていた。誰かが取り落としたカップの弾む音で、やっと硬直がとけたかのように顔を見合わせる。
 エベンス大佐は、やがていくつもの布告を読み上げ始めた。
 挙国一致体制の確立。最高評議会の無期限閉会。国益の優先、これに反する政治活動、言論の統制……。
「政治家および公務員の汚職には、死刑を適応する」 というところで誰かがかすかに口笛を吹いた。
 だが、その直後の 「必要を超えた弱者救済を廃し、社会の弱体化を防ぐ」 という箇所では、ホリタは絶句せざるを得なかった。
「……こいつはルドルフの劣悪遺伝子排除法と同じ趣旨じゃないのか?」
「これではまるで、ゴールデンバウム王朝によるクーデターですなあ」 ンドイ大佐がうなずく。
「それでは、自由惑星同盟の市民および同盟軍の将兵諸氏に、救国軍事会議の議長を紹介する」 画面上のエベンス大佐はそう言うと、立ち上がって横へどいた。
「お、おい!!」
 一人が悲鳴に近い声をあげた。
 救国軍事会議とやらの議長 − ドワイド・グリーンヒル大将の顔が画面にあった。


 第1辺境星域の司令部、艦隊、各部隊はいずれも、深刻な顔をした将兵たちのささやき声で満たされていた。
 軍部によるクーデター!
 クーデター派は全軍を掌握したのか? グリーンヒル大将は同盟全軍の中でも人望が厚く、その可能性も高い。一方、全軍でないとすれば、誰が参加し、誰がしていないのか? クーデター派と反クーデター派とで内戦になるのか? その場合、我々はどちらにつくのだ……!?
 そして − これは自由惑星同盟の理念、民主主義の精神と矛盾しないか!?
 こうした議論がわき上がる所は、まだましだった。同盟市民、特に軍隊には、150年もの長きにわたって戦争に耐えることを強いられてきたため、自らものを考えることに慣れない者が多かったのも事実である。その点では、国父アーレ・ハイネセンの掲げた 「自由、自主、自立、自尊」 の精神は、長き戦争によってすでに蝕まれていたのかもしれない。
 彼らは上司を、上官を、政府を、軍隊を、こっそりと見やっては不安げに顔を見合わせていた。


 救国軍事会議議長グリーンヒル大将が、軍専用の回線によって同盟全軍に呼びかけを行ったのは、翌14日のことであった。
「自由惑星同盟の将兵諸君……この度のわが救国軍事会議の決起について、諸君は驚き、動揺していることと思う。我々の目指すところを少しでも理解してもらうため、私はこの軍専用回線で諸君に呼びかける決意をしたものである。
 諸君! わが自由惑星同盟が150年もの長きに渡って、銀河帝国との戦争を続けているのは何のためか? 無為に人命を浪費することでは、もちろんない! ましてや、己の利権のみに執着する輩の既得権益を守るためでは、断じてない!
 ならば、昨年の帝国領進攻作戦の目的は何だったのか? なぜ、作戦はかくも悲劇的な結果に終わったのか!?」
 ホリタは周りの部下たちを見やった。誰もが沈黙したままスクリーンを凝視している。
 これまで誰もが感じていた疑問、気づいていても口に出来なかったことが、今ぶちまけられようとしているのだ。
「アムリッツァ会戦に先立って、帝国領に進攻した我が軍はすでに作戦の無謀さを看破し、撤退を具申していた。だがイゼルローン要塞で、それを決定すべき最高幹部は、決定すべき時に決定を怠ったのだ。
 前線から撤退の具申があった時、私はそれをすぐに伝えることが出来なかった。それは、たしかに命令ゆえだった。だが、だから私に責任はないなどと言いたいのではない。私は今でも後悔している。帝国領進攻作戦において、多くの戦友を失った諸君に対し、この私も深く詫びねばならない。この私は、命令を無視してでも撤退の具申を伝えるべきではなかったか? そうしていれば、ほんのわずかでも犠牲を減らすことができたのではないか!?
 諸君! 今一度考えていただきたい。誤った命令に従うことは、是か非か!?」
 これまで軍の中でももっとも良識派と目され、感情をあまり現さない「紳士」たるグリーンヒル大将であったが、画面には決意と苦悩がないまぜになった、これまで見たことのない表情があった。
 ホリタはその表情を見て、グリーンヒル大将になぜか同情の念を覚えた。その理由は分からなかったが……。
「わが自由惑星同盟建国の父アーレ・ハイネセンは、 『自由、自主、自立、自尊』 の精神を掲げた。今こそ、諸君もこの精神を思い出し、自らの頭脳で考え、自らの意志で決断してほしい。
 現在の私は、諸君に何かを命令する権利を持ってはいない。諸君と私は、対等の同志である! 我々の敵は国内にあらず! 共通の敵に対し、共に手を取り合おう!」


「随分と立派なご高説ですが……」 長い沈黙を最初に破ったのはチャロウォンク准将だった。 「しかし、それでは昨日のエベンス大佐とやらの布告……言論の統制とか、弱者切り捨てなんかと矛盾するんじゃないですかい?」
 チャロウォンク准将の言葉に、ホリタは腕を組んで視線を落とした。
「これは……グリーンヒル大将の独断というか、放送そのものはともかく、内容はグリーンヒル大将の個人プレーじゃないのかな……」
「ふむ……案外、救国軍事会議も一枚岩じゃないってことですか」
 だとすると……下手をすると、グリーンヒル大将の身が危なくなるかもしれない。
 だがホリタは目を閉じ、その考えを一人胸にしまい込んだ。
 グリーンヒル大将の演説は、将兵に深刻な動揺を巻き起こしていた。
 − 誤った命令に従うことは、是か非か?
 誰にも答えられるものではない。民主主義国家に限らず、人類が組織というものを発明して以来、解決されていない命題だ。
 同盟軍を代表する将帥の動向もはっきりしていない。例えばアレクサンドル・ビュコック大将は行方知れずであり、ヤン・ウェンリー大将は今のところ明確な態度を表明していない。
 ホリタは第1辺境星域全軍の方針を決断しなければならない立場にある。グリーンヒル大将はともかく、ルドルフと同じ価値観を有するとしか思えない布告を発するクーデターに賛同するつもりはなかった。が、反対するとして、味方はいるのか? クーデター派は政治腐敗を正すために立ったという。とすれば、それに反対するということは腐り切った現政権を認めることになるのか? ならば中立か、第三勢力……いやいや、そんなものは非現実的だ。
 それに、個人的感情は如何にあれ、部下や第1辺境星域全体が不利となるような決断は出来ない。
 ホリタは各辺境の知己、ライオネル・モートン少将やウィジャラトニ准将と連絡をとりたいものだと思ったが、叛乱を起こした4星域以外の動向も定まらぬ現時点では、受け身の情報収集に努めるにとどめていた。


 4月20日。かのヤン・ウェンリー提督が救国軍事会議への参加を拒否し、叛乱鎮圧のためにイゼルローンを発ったことが報じられた。自由惑星同盟の建国以来初めて、ついに同盟軍どうしが戦うことが決定付けられたのである。むろん救国軍事会議はこの報道を禁じようとしたが、首都を経ずに辺境から辺境へと伝わるローカルネットまでは掌握しきれなかった。
「報道によると、ヤン提督はビュコック司令長官から 『叛乱が起こった場合はこれを討ち、法秩序を回復するように』 との命令を受けており、よってこれは私戦ではなく法的根拠を持った戦いである、と宣言している」 ホリタはプリントアウトした最新ニュースを幕僚に示した。
「なるほど。ヤン提督の名声に加えて、ますます支持が集まるでしょうな」 ンドイ大佐が受け取りながら言う。
「それは……ヤン提督は普段からそんな便利な権限を持っているということですか?」 珍しくアラルコン准将が重々しく口を挟んだ。
「まさか。ヤン提督はMPじゃない」
「しかし……だとすると、そんな手回しのいいものを持っていたということは、ヤン提督は以前からクーデターの可能性を認識していたということではないですか?」
 アラルコンの指摘はいささか飛躍の感もあったが、それでもささやかな波紋を生じさせる効果はあった。
「だったら、分かってたなら、どうしてクーデターを防げなかったんです?」 エルナンデス少佐の疑問は、アラルコンの意図とは若干ずれていたかも知れない。
「それはヤン提督にそれだけの権限が無かったから……」 そこでホリタははっとして振り返った。 「だからと言ってヤン提督に強い権限を、なんて言い出さないでくれよ」
 実のところ、ホリタ自身が一瞬そう考えたのだ。だが……
 まさに、そのようにして、銀河帝国の始祖ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは強力な権限を手にし、独裁者へと変貌したのだ!
「独裁者ヤン・ウェンリーか……」 ホリタのつぶやきは低すぎて、回りの者の耳には届かなかった。


          

「戦艦メムノーン伝」 INDEX