6.解 放
アイギーナ星系を目指して進みつつある第1辺境艦隊の元に、先行させた偵察部隊から予想外の報告が入ったのは、行程も半ばを過ぎてのことであった。
「駆逐艦 《エルム175》 より連絡! 《フレミング》
はアイギーナ星系にあらず!」
「何? どういうことだ、それは……」
ホリタは首を傾げたが、1時間後にもたらされた情報は、さらに不可解さに輪をかけた。
「 《フレミング》 が叛乱部隊の制止を振り切って逃走したという情報が入ってきた」
《メムノーン》 艦橋のスクリーンに、《マルドゥク》
のアラルコン准将と 《メナブシュ》 のウィリ大佐の顔がある。ホリタの言葉を聞いたとたん、二人の顔に驚きが浮かんだ。
「まさか!」 ウィリ大佐が声を上げた。 「いくらなんでも、病院船がそんな無茶をするわけが……!」
「こいつは我々を混乱させるための欺瞞情報かも知れませんぞ」
とアラルコン准将。
「うむ……ともかく情報収集に全力を傾ける。すべての偵察母艦を投入し、索敵範囲を拡大せよ。第2辺境艦隊への強行偵察も増強する。動きに変化がないか注意せよ!」
それから数日間は何ら実のある情報は得られなかったが
−
「偵察母艦 《メルクリウス23》、イクシオン星域において小艦隊を発見! 《フレミング》
の可能性大とのことです!」
情報を得たホリタは、アラルコン准将とウィリ大佐を
《メムノーン》 に呼び寄せた。すでに第2辺境星域の奥深くに達し、傍受の危険性を考慮してのことである。
「これは……一体どういう状況だと思うか?」
ホリタは偵察母艦 《メルクリウス23》 から転送されてきた座標図をスクリーンに投影させた。十数隻の船が輝点で示されている。
「7割以上の確率で、先頭に標準戦艦、後衛は巡航艦と思われる。そして中央の大型船だが、こいつは軍艦ではない。つまり、これが
《フレミング》 と思われる」
「 《フレミング》 を包囲しているというわけですか……」
ウィリ大佐が首をかしげた。
「我々がアイギーナ星系へ向かうことを見越し、その前に
《フレミング》 を我々の手の届かぬ別の場所へ連行しているところ、と考えて間違いないのではありませぬか?」
アラルコン准将が言う。
「でしたら、先日傍受した 《フレミング》 が逃走したという通信は……」
「むろん、小官が申し上げたとおり、我々を欺くための欺瞞情報だったのだ」
ウィリ大佐の疑問にも、アラルコンは自信ありげに答えた。
「しかし……」 ホリタは輝点をさし示した指を振った。「だとすれば、一体彼らはどこへ向かおうとしているのだ? このコースは、迂回路ではあるがわが第1辺境星域を目指している」
「そうか!」 ウィリ大佐が顔を輝かせた。 「世論の批判や我々と敵対することを恐れ、
《フレミング》 をヒパチアへ送り届けることにしたのでは?」
「うん、それなら隠しておく必要はないと思うが……批判を避けるためなら、大々的にこのことを公表するんじゃないかな」
「甘いぞ、貴官は!」 アラルコンに怒鳴られて、ウィリ大佐は一瞬だけ口を尖らせたが、表面上おとなしく沈黙した。
確かにアラルコンの意見はもっとも可能性が高い。が、それならばわざわざ欺瞞情報を流す必要はないし、向かっている先も気になるが……。
「いずれにせよ、この星系を通り過ぎれば次のワープに入るだろう。それまでに押さえるぞ」
イクシオン星系を巡航速度で横断しつつある小艦隊に対し、ホリタらの艦隊は約80光秒を隔てて並進している。
「側面を突きますか?」 ウィリ大佐の問いに、ホリタは首を振った。
「いや……我々は向こうを撃滅することが目的ではない。それに病院船の安全が第一だからな。
本艦以下、装甲の厚い艦を中心に150隻で目標の前面にまわり、最初に交渉を試みる。ウィリ大佐は残りの艦艇を率いて、この宙域に待機。目標と併進し、万一目標が攻撃なり逃走にでたら、後背にまわれ。それからアラルコン准将、貴官の艦隊は星系外縁で別働隊がいないか探れ。目の前にいるあの小艦隊が、実は偽物のおとりという可能性もあるからな」
そこでホリタは部下たちを見渡した。
「心配するな。この戦力差では、向こうもまず戦闘に踏み切ろうという気にはならんだろう」
「なるほど」 ウィリ大佐が頷きながら、 「閣下はその点も予測なさって、わざわざ大艦隊を……」
「そいつは過大評価だがね。しかし、用兵の基本は常に大兵力をもってあたることに尽きるのさ」
部下たちを安心させようと、ホリタは珍しく
「大きな口」 を叩いてみせた。実際のところ、もしも第2辺境艦隊全軍が集結すれば、ほぼこちらと同数となり
「大兵力」 とはいえないのだ。それに、この言葉は先日読んだいわゆる
「ヤン・ウェンリー本」 に紹介されていたものを引用しただけだったのだが……。
常識的に考えれば、10倍もの兵力を目の当たりにすれば、戦闘になる可能性は皆無である。だが、信念だけは誰にも負けないであろうクーデター派のことである。無理を承知で戦闘を挑んでくる可能性も捨てきれない。
目標の正面に展開した150隻では、緊張という名の風船が今にも破裂しそうなほどに膨らみつつあった。
「本艦以下、前衛50隻は非交戦態勢。後衛100隻は1光秒下がり、臨戦態勢で待機。万一攻撃のあった場合は、前衛が左右に展開して凹陣形をとる。ただし命令あるまで応戦は禁止、全艦で急進して包囲を試みる!」
ホリタの指示が伝達され、緊張をみなぎらせた各艦が隊列を整えていく。
「こちら第1辺境艦隊旗艦 《メムノーン》。
交渉を請う、停船されたし!」 通信士が各種回線で通信を繰り返している。
「間もなく射程距離に入ります!」 索敵士が叫ぶ。
恐らく向こうも、すでにこちらの艦隊規模を探知しているだろう。これだけでも10倍以上の兵力差であり、勝算なしとみて止まるなり減速してくれればよいのだが……
「目標、減速しつつあります!」
艦橋に驚きとも安堵ともつかぬざわめきが広がった。が、索敵士の怪訝そうな声が続いた。
「……おや? こ、これは……」
「何事か!」 ツァイ艦長が叱咤する。
「これをご覧下さい! 目標の一部が突出しつつあります!」
皆が見上げるスクリーンで、十数個の輝点が減速する中、うち一個だけが減速せずに接近してくる。
「艦籍識別コード探れ! 停船信号を続けろ!」
「コード確認、接近中の船、 《フレミング》
に間違いありません!」
彼らは 《フレミング》 を解放するつもりか? 何かの罠か!?
予想外の展開に緊張する間にも、 《フレミング》
は急速に接近しつつあった。
「司令! 通信が入ってます!」
「 《フレミング》 か?」
「いえ……これは、その向こうの戦艦からです!」
「何? スクリーンに出せ!」
スクリーンには戦艦の艦長が現れた。大佐の階級章と、腕には黄色い腕章をしている。その艦長は名乗りもせず、敬礼すると事務的な口調で言った。
「本艦は停船命令を無視して脱走した病院船
《フレミング》 を追ってイクシオン星域まで追跡してきたが、所属不明の艦隊に威嚇攻撃を受けたため、追跡を断念するに到った。
《フレミング》 はその艦隊に保護されたものと思われる。以上……」
それだけ言うと、向こうの艦長はさっさと通信を切ってしまった。間もなく小艦隊が反転して去っていくとの連絡が入る。
今度こそ本物の安堵が艦橋に広がっていった。中には、拍子抜けしたようにスクリーンを見つめる者もいる。
「彼ら……命令違反を承知で密かに 《フレミング》
をここまで……」 エルナンデス少佐が唖然とした表情で言った。
「そういうことだね。ま、我々もうまく取り繕ってやろう」
ホリタは少し考えてからマイクを取った。
「デュトワ軍曹! まず私が 《フレミング》
に赴くから、その後から工作部隊を指揮して移乗し、危険物の有無を調査すると共に、全ての乗員・乗客を確認せよ。船の隅から隅まで調査して、どんな些細なことも見逃すな!」
「閣下……」 エルナンデス少佐がホリタにささやきかけた。
「まず工作部隊に安全を確認させるのがよろしいのではありませんか?」
「いや、駄目だ。最初に戦闘装備の兵士が乗り込むだけでは、
《フレミング》 の乗員・乗客から見れば、また別の軍隊に拘束されたかと不安がらせるだろうからな。アラルコン艦隊との連絡は?」
「恒星活動の影響と思われますが、未だ……」
通信士が答える。
「引き続きコンタクトを続けてくれ。それまでに万一何かあれば、指揮はウィリ大佐に一任する。さて、行くぞ」
《フレミング》 船長は諸手をあげてホリタらを迎え、
《フレミング》 が解放されたこと、および工作部隊による船内調査への協力要請が、船内放送で伝えられた。
船長の証言によれば、やはり推察通り、叛乱部隊の一部が
《フレミング》 脱走を装う形でここまで送ってきたのだという。
動かせない病人を除く全乗員・乗客がホールに集められた。不満が出るだろうと思っていたら、逆に有力者の係累とやらがやたら握手を求めてきて、ホリタを閉口させた。
一区切りついた時、乗客の中でも明らかに雰囲気の違う一団がホリタの目に留まった。その中心にいる自走車椅子に座った初老の男は、帝国人らしい服装をしている。まさか……。
ホリタと目が合うと、老人の車椅子がかすかな音を発しながら浮上し、ついですうっとホリタ達の方へ滑ってきた。
「ええ……」 エルナンデス少佐が手元の名簿をのぞき込んだ。
「ミスタ・ユージンでらっしゃいますね?」
男はじろりと少佐を見やった。
「ヘル・オイゲンと読んでいただこう」 ついでホリタを見上げ、
「レオナルド・フォン・オイゲン伯爵と申す者です。このたび私どもをお助け頂き、まこと感謝に耐えませんぞ。大神オーディンのご加護のあらんことを……」
空々しい言葉が右耳から左耳へと通り抜けていく。
− 別にあなたのためにやったことじゃない……。そう言ってやりたい気持ちが、ホリタの頭をよぎった。
オイゲンというその亡命貴族が通り過ぎるのを待って、ホリタはそっとため息をついた。
何ら根拠はないが、突然ひらめいたのだ。
《フレミング》 拘束は − あの亡命貴族と関係あるのではないか?
「悪く思わないでね、少佐さん」
ホリタが振り返ると、車椅子に付き添っていた女性が、エルナンデス少佐に向かって話し掛けていた。書類を見ていた少佐は、柄にもなくどぎまぎしている。
「あたし、エリザベート・フォン・オイゲン。同盟公用語ではたしかエリザベス・ヴァン・ユージンになるのよね」
「いえ、その、気にはしておりません……」
彼女の隣には大人しそうな若い男がたたずんでいる。
「あ、こっちは弟のオットーね」
男は気弱そうに会釈した。弟、と聞いてエルナンデス少佐の表情がわずかに変化した。
「うちの伯父には郷にいれば郷に従えっていつも言ってるんだけど。故郷にいたときの癖は抜けないわね」
オイゲンという姓が、ホリタの記憶の底を引っかいた。
どぎまぎするエルナンデス少佐が満足に反応できないでいるので、助け船も兼ねて話しかけた。
「フロイライン・オイゲン……たしか帝国軍のビッテンフェルト提督でしたか、その麾下に同姓の幕僚がおられたと記憶していますが……」
「ああ、血はつながってないはずよ」 エリザベートは肩をすくめ、屈託のない笑顔を見せた。
「でもそのことを伯父に言うと怒るわよぉ。あちらは平民出身で、こっちは貴族で、なんでこっちが亡命の憂き目にあうんだって……」
オイゲン伯爵の呼ぶ声がして、オットーがエリザベートの袖を引いた。彼女は頷くとホリタらに軽く手を振り、弟と共に歩み去っていった。
「ほら、何いつまでもボケッとしてんですか!」
彼女の後ろ姿をぽかんと見送っていたエルナンデス少佐を、年長のデュトワ軍曹がからかっていた。
その時、携帯通信機から呼び出し音が響いた。
「司令! ホリタ司令……!」
「どうした?」
「アラルコン准将の艦隊より連絡、現在、第2辺境艦隊と交戦中!」