11.急 流


 9月。
 首都ハイネセンで 「憲章秩序の回復・軍国主義勢力に対する民主主義の勝利を記念する」 という、えらくご大層なスローガンの式典が行われた。 いまだに民衆の支持の厚いトリューニヒト最高評議会議長と、同盟軍最大の英雄ヤン・ウェンリー大将が共に 「手を取り合って」 参加するとあって、各マスコミはすべてのプログラムを忘却の河へと押し流し、式典の最初から最後までを生中継で同盟中へと流していた。
 トリューニヒト派幹部エイロン・ドゥメックの司会は、やや演技過剰だったかもしれない。 一方のトリューニヒトの演説は、内容はともかく完璧に計算され、コントロールされたものだった。
 トリューニヒトが大仰な身振りとともにヤン・ウェンリーの肩に手をやる。
 ヤンはやや呆けたような表情で、トリューニヒトと握手を交わした。 トリューニヒトがヤンの耳元に口を近づけ、何かささやいたように見えた。
 握りしめていた手を離すと、トリューニヒトがヤンの肩を押す。 群衆の方を向いたヤンは、ゆっくりと右腕をあげ、機械的に振った。
 群衆の歓呼が爆発した。
 ドゥメックの煽動的な熱弁。
 トリューニヒトの端正な顔にうかぶ笑み。
 それらに比べて、ヤンの顔はロボットのように無表情だった。
 − 懐柔されたわけでもないだろうが……
 何気なくそうつぶやいたホリタの頭の中で、突然、火花が散った。
 クーデターの失敗により、結果的に軍部における反トリューニヒト派の多くが一掃されることとなった。 政治の場においても、トリューニヒトにとっては目の上のこぶであったろうジェシカ・エドワーズ女史を筆頭とする反戦市民連合は、「スタジアムの虐殺」 によって大打撃を受けた。
 そして、残った将官の中ではもっとも人望のあるヤン提督は、今そのトリューニヒトと握手を交わしている! むろん、本人が喜んでいるかどうかは別にして……。
 このクーデターでもっとも得をしたのは……それはトリューニヒトではないのか!?
 実は……今回のクーデターは、査問会をちらつかせることによって、不満分子や反主流派を暴発に追い込んだ結果、ということではないのか!?
 そしてヤン・ウェンリーはクーデターが帝国によってそそのかされたものだと 「見抜き」、バグダッシュという人物の爆弾放送によって、クーデター派の大儀を完膚無きまでに叩きつぶした。
 むろん、ヤン提督が積極的にトリューニヒトに加担したことはありえないだろう。 が、ヤン提督にそう判断させる材料をトリューニヒト派が用意したのだとしたら……!?
 過大評価かも知れない。 いや、きっとそうだろう。そうでなくてはならないのだ。醜悪な内戦による多数の犠牲が、そんな愚かしい政略の結果であったとすれば、あまりにも救いがたいではないか……!


 9月末、最高評議会は国家再建案を可決した。 賛成はトリューニヒト議長、ネグロポンティ国防委員長をはじめ6票。 反対は人的資源委員長ホワン・ルイ、財政委員長ジョアン・レベロ他1名の3票。 棄権2票。
 ジョアン・レベロの提出した対案は、これをほぼひっくり返した票数で否決された。
 ホワン・ルイは昨年とそっくりの光景に、苦々しげにジョアン・レベロと顔を見合わせたのだった。
 また、大勢の将官を対象とした査問会騒動も、対象者の多くが軍を − あるいはこの世を − 去ったことにより、うやむやのうちに忘れ去られていった。ただし査問会というアイデアは、後に対象者を絞った、より醜悪で禍々しい形で姿を現すこととなる。 その時になってホワン・ルイは査問会騒動がうやむやのうちに終わったことを後悔するのだが − 未来を予測しえなかったことを批判することは誰にもできない。


 ネグロポンティ国防委員長が同盟市民に向けた演説を行っている。
 国家の再統合をはかり、「聖戦」 を続行するための人心引き締め。
 良心的兵役拒否への罰則。
 すでに逼迫している国家財政の再建。 その手段として、福祉の切り捨てと増税………
「ばかばかしい!」 ホリタはかすかに首を振りながらささやいた。 「彼らの案は、救国軍事会議と何が違うんだ」
「大きく違うのは……」 隣にいたンドイ大佐が小声で応じる。 「彼らは国民が選んだ政治家だということですよ」
「救国軍事会議は確かに国民に選ばれたわけではなかった。 では、同じ内容であっても国民から選ばれさえすれば、何をしてもいいのかね?」
 ンドイ大佐は悲しげな表情で首を振っただけだった。
 誰にも答えられることではない。 そんなことはホリタにも分かっていた。 民主主義が人類社会に誕生してから数千年、未だに解決されていないことだ。
 それにしても……
 いったいあの内戦は何だったのだ。 我々の戦いは何だったのだ。ジェシカ・エドワーズは何のために死んだのだ。 ヤン・ウェンリーは何のために戦ったのだ。
 間もなく、この度の内戦で延期された選挙が行われる。 ホリタは3月の帰還兵歓迎式典で飛び交っていた政治工作劇を思い出した。 あの時の連中はやはり今回、予定通り出馬するのだろう。 大勢の有権者が彼らに投票するのだろう。
 何を求めて?
 何を期待して?


「閣下、閣下!」
 エルナンデス少佐が嬉しそうにホリタを手招きした。
 スクリーンにTV放送の一つが映し出されている。
「テルヌーゼンの選挙特番ですがね、ほら」 ンドイ大佐が微笑みながら指差した。
 どうやら反戦市民連合から出馬した候補の応援演説らしい。 中央の演台に、一人の若い女性が立ったところだった。
 かすかなどよめきが起こった。 ほとんどの者が、その女性を知っていたのだ。
 その女性 − ベティ・イーランドの言葉は、最初こそ緊張のためか聞き取りにくかったものの、すぐにしっかりしたものとなっていった。
「……皆さまもご記憶と思います。 昨年2月、故ジェシカ・エドワーズ女史は、アスターテ会戦戦没者追悼集会で初めて立ち上がりました。 エドワーズ女史は、こう問いかけました。 『あなたたちはどこにいますか? 戦争を賛美し、人々を戦場へと送り込んでいるあなたたちは、どこにいますか?』 と。
 『スタジアムの虐殺』 のあの時、私はエドワーズ女史の近くにいました。 ハイネセン記念スタジアムに軍隊がやって来たとき、エドワーズ女史がおっしゃった言葉を、私ははっきりと憶えています。
『あなたたちはどこにいますか?』 そう問い続けたエドワーズ女史は、こうおっしゃったのです。 『私はここにいます』 と。
 今、エドワーズ女史はここにはおられません。 ですが、まだ私たちがいます。 私たちがここにいます。 皆さんがいます。 大勢の人々が、今も、ここにこうしているのです。
 『あなたたちはどこにいますか? 私たちはここにいます』 エドワーズ女史によって初めてなされた、この問いかけを絶やしてはなりません。
 私たち一人一人の問いかけはとても小さなものです。 しかし小さな水の一滴も、集まれば川となり、大きな流れとなって海へと注いでいきます。私たちの理想の海へと至る流れを、少しずつでも大きくしていきましょう。
 たとえ小さな水の一滴であっても、私たちがこうしてここにいる、このことを忘れず、皆さん一人一人の力で、大きな流れへと変えていきましょう……」
 最初はまばらだった拍手が、次第に大きくなっていった。トリューニヒトをはじめとするプロの政治家連中の、扇動的な演説にくっついた熱狂的で無秩序な拍手とは程遠い、どちらかといえば形式的で儀礼的なものだったかもしれない。 しかし、たとえそうであっても、人々の心の中にわずかでも足跡を残すものであったに違いない。
 こうして思いは受け継がれていく。 ジェームス・ソーンダイクが立ち上がり、ジェシカ・エドワーズが引き継ぎ、そして今、その思いはさらに多くの人々へと受け継がれていくことだろう。


 選挙当日。
 投票端末から投票を終えたホリタの元に、チャロウォンクが歩み寄ってきた。
「誰に投票したんです?」 彼はニヤニヤしながら尋ねたが、ホリタは肩をすくめておどけた風に応えた。
「民主選挙の原則の一つは、投票の秘密だよ」
 誰が誰に投票したかは明らかにされてはならないという 「投票の秘密」 は、民衆が権力者に対抗する唯一の手段である選挙権を守るためには必須の条件だ。
 もちろんチャロウォンクもそのことはわきまえた上で、軽口を叩いているのだ。
 ラムビスでは現役の老議員と非主流派の新人とが僅差で争っている。 普段の物言いからして二人とも言わずもがなだろう、とお互いに苦笑を向けあった。
 首都ではやはりトリューニヒト派の圧倒的優勢が報じられている。 一方ジャムシード惑星選挙区では、反戦市民連合から出馬したトアン退役大佐の当確が開票速報で伝えられた。
 歴史という大河の中にあって、一人一人はまさに水の一滴でしかない。 だが大勢の人々が集まれば、個人を押し流そうとする濁流に拮抗し得る新たな流れを生み出せるかもしれない。それこそが新たな歴史となるかもしれない。
 宇宙暦797年。 歴史という急流の狭間で、それでもなお流れに立ち向かおうとする人々の営みは、今も続いている −。

   第三部 完


          

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