2.


 宇宙暦795年。
 この年、ホリタは前任のゴドノフ少将退役に伴い、第1辺境星域の司令官として辺境の地にいた。 そしてホリタの士官学校の同期であるビンセント・ラスキーは、准将ながらもすでに主力艦隊の分艦隊を任せられ、最前線で武勲を重ねていた。
 帝国軍大挙侵攻との報がフェザーン経由で自由惑星同盟に伝えられたのは、この年の1月である。 そこで急遽迎撃の体制が整えられ、ラスキー准将の属する第11艦隊も出撃が決まっていた。
 2月に入り、第一陣としてティアマト星域にはビュコック提督率いる第5艦隊、ウランフ提督の第10艦隊、そしてホーランド提督の第11艦隊の三個艦隊が布陣した。 この陣容は当時の同盟軍としては理想的なものの一つであり、老練なビュコック、重厚なウランフ、速攻のホーランド……と言えばいかにも聞こえは良いが、その実、提督陣の中には無視できぬ不安材料も存在していた。
 最近、第11艦隊を率いるホーランド中将の独断専行が目立ち、提督陣の中に不協和音が生じていたのである。 だからこそ、シトレ元帥の意向もあって今回はビュコック、ウランフという提督陣の中でも特に重鎮たる二人が、第一陣に加わったという面もある。 だが、確かにホーランドは会戦ごとに戦果を上げてきたため、彼の非を唱えるものは少数であった。
 さらに今回は第二陣としてパストーレ提督の第4艦隊、アップルトン提督の第8艦隊も動員される計画だったが、直前になって第8艦隊からムーア提督の第6艦隊へと変更された。 第8艦隊は前年の第六次イゼルローン攻防戦による被害の再編が済んでいないため、とされたが、実のところその点は他の艦隊も似たようなものである。 つまりは国防委員の主流派が手柄を立てさせたいメンバーに下命したのだ、というのがもっぱらの噂であった。
 さらには国防委員会の予算措置が遅れていたため、第一陣の3個艦隊が前線で帝国艦隊と対峙する段になっても、第二陣はケリム星域で待機を命じられるという不手際な有様であった。


 ウィレム・ホーランド提督の旗艦、アキレウス級第11番艦 《ヘクトル》 をはじめ1万1500隻は、引き絞られた矢のように艦列を並べて待機していた。
− もっとも、全将兵が自ら望んで引き絞られているわけではない。分艦隊の一つを指揮するラスキー准将もその一人だった。
「閣下、艦隊行動シミュレーションの続報です」
 分艦隊旗艦 《エウロパ》 艦橋で戦闘態勢の整備に忙殺されているラスキーの元に、技術参謀のナン技術大尉がファイルを差し出した。 ナン大尉は通信士の資格も持っており、艦隊行動全体の把握に秀でている。 そのため、旗艦 《ヘクトル》 の幕僚に引っこ抜かれかかっているのだが……。
「知ってるか、ナン大尉」 ファイルをめくりながら、ラスキーはふと背後に控える参謀を顧みた。 「帝国軍の今度の出兵は、皇帝の在位30周年記念式典に華を添えるためなんだと」
「……やはり悪逆非道な専制国家のやることは理解に苦しみますな!」
「もっともフェザーン経由の情報だから、どこまで正確だかは知らんがね。 ご苦労だった、大尉」 ラスキーはファイルを閉じると、紙コップのコーヒーをすすった。
 民主主義を奉じる同盟にだって、選挙や出世のためだけに兵士を死地に立たせようとする輩が大勢いることを、まだ若いナン大尉にことさら強調する必要もあるまい……。
 その時、司令部から通信がもたらされた。
「今回は打ち合わせどおり、ストークス准将に前衛艦隊を任せる」 《エウロパ》 のスクリーンに映ったホーランド提督の顔は、妙に興奮気味だった。 − その前にビュコック提督やウランフ提督と如何なる話があったのか知らない部下たちには、その興奮の理由は分からない。
「そこでラスキー准将、貴官の麾下から高速戦艦と巡航艦を1500隻、ストークス准将の麾下に回してほしい」
「……それでは艦隊中央部の陣形が薄くなりませんか?」
 ホーランドの顔にかすかに朱がさした。マルチスクリーンに映る僚将たちは、ある者はわずかに肩をすくめ、またある者は無表情のまま、ホーランドの次の言葉を待っている。
「わが艦隊に分厚い胴体などは不要である! 速攻のわが艦隊に必要なものは、鋭い槍の先端と、敵の喉下に届くに足る充分な柄。よろしいな!」
 − 柄の長い槍ってのは、すぐ折れるもんだよ……。
 そう思いつつも、ラスキーはストークス准将の旗艦の戦術コンピュータへ、指揮コードの転送を行った。確認を終えたストークス准将は、いつもの通り寡黙なまま敬礼して通信を終えた。


 16時、両軍の前衛同士が10.8光秒の距離に達し、ほぼ同時に砲火の応酬が開始された。戦いは当初、典型的な陣形による古典的な砲戦で推移しつつあったが、16時40分に至って急変がもたらされる。
「司令部より、全艦突撃命令です!」
 ラスキーと幕僚たちは、驚いてメインスクリーンを見やった。すでに第11艦隊の前衛と主力部隊は前進を始めている。
「よし、各艦続け!」そう叫びつつ、ラスキーは探索士を顧みた。「第5、第10艦隊は!?」
「両艦隊、動かず!」
 その答えを聞いてラスキーは歯がみした。やはりホーランド提督の独断専行か!?
 司令部の戦術コンピュータより送られてくるデータは、帝国艦隊の左翼をその斜め前方から叩き、そのまま敵本隊にまで食い込んで帝国軍を分断する方針を示していた。
 この戦法の場合、他艦隊との連携が重要となるが、はたして……?
 しかし分艦隊司令官にはそこまで問い合わせる権限はない。ただいずれの場合にも即応できるよう、麾下の部隊の陣形を整えるのが精一杯だった。
 不安を感じる者は決して少なくなかったが、個人の気持ちや思惑とは関係なく、始まったばかりの会戦は急激に激しさを増しつつあった。


          

「戦艦メムノーン伝」 INDEX