3.
第11艦隊は実に3万隻に及ぶ帝国軍のただ中に深く打ち込まれた楔と化し、今や敵艦隊を分断しつつあった。
「だが……」 ラスキーは戦域全体をデジタル表示するスクリーンを見上げた。
我々は敵を分断しつつあるが、逆に言えば敵中に孤立しつつあるとも言える。
ここまではホーランド提督の速攻により同盟軍優位に展開してきたが、エネルギーをはじめとする艦隊行動に必要な要素に、黄信号が灯りつつあるのだ。
ナン技術大尉をはじめ幕僚たちは、第11艦隊が単独で直線的攻撃を継続できる時間を、残り30分と算出した。
「デッシュ准将を!」 ラスキーは同じ艦隊の中でも特に信頼する僚将を呼び出した。
ラスキーよりも年少で准将になったばかりであるが、彼も後衛の分艦隊を任せられた一人である。
「こちらでもその試算は行いましたが、あと1時間といったところですね」
計算結果の違いは、決して能力の差ではない。すでに第11艦隊の陣形は前後に伸び、それぞれが乱戦の只中にあっては、全体を正確に把握すること自体が事実上不可能なのだ。
どちらも推測に推測を掛け合わせた試算であり、どちらが正解に近いかは誰にも分からない。
「よって45分以内に決着をつけねばならない、と考えていたところですが……」
「決着ね……」
「だがそちらの計算で30分となれば、急がねばならないですな」
「さて、どうするべきか」
「我々に残された道は二つ。 限界時点までに後退するか、敵陣を突破するか」
「そうだな。 だがデッシュ准将、敵陣の向こうには、無傷の敵が一個艦隊、待ち構えているぞ」
「そうですね。 一見無様にかき回されている帝国軍だが、なかなかどうして、先まで読んだ艦隊布陣をしていやがる」
その一個艦隊がなぜ単独で後背に控えることになったか、帝国軍の内情までは知らない二人の評価はかなり過大なものであった。
だが理由はいかにあれ、その布陣が同盟軍に対してある種の重石となったことは確かであった。
「失礼します、閣下」 副官が背後から報告する。
「敵の後衛一個艦隊が後退していきます!」
ラスキーはメインスクリーンを見上げた。
「何だか我々を誘っているようだな?」
「司令部より入電!」 今度は通信士が叫ぶ。
「さらに前進命令!」
「……聞いた通りだ」 ラスキーはスクリーン上のデッシュ准将に向き直った。
「こちらも受信しました。 では30分以内に敵陣突破、ですな……」
「あの艦隊の眼前に、か! ……デッシュ准将、せめて後衛は、万一の場合に全艦隊の被害が最小になるよう、体制を整えておいてほしい……」
ラスキーの言葉は、一介の分艦隊司令としては明らかに越権行為だったろう。
だが、デッシュもその意図は正確に理解して敬礼した。
「ではラスキー准将、ハイネセンでまた……」
第11艦隊の将兵の中にも、この無謀な突進に疑念や不安を感じる者はかなり大勢いた。
だが、だからこそ、少しでも早く敵陣を突破するため、狂騒的な勢いで突き進んでいった。
また、いかに同盟軍優位とはいえ、第11艦隊の被害が皆無というわけではない。
無理な突進により、艦隊の外縁に位置する機動部隊の消耗率は刻々と上昇している。
そのことも将兵を狂騒に駆り立てていた。
19時20分。
帝国艦隊のただ中を荒れ狂った暴風が、その勢いを減じつつも突破口を見出し、なだれを打つように噴出しようとしたその瞬間
− すさまじい光の矢が降り注いだ。
光の矢は一瞬であったが、たちまちにして第11艦隊の前衛を打ち砕き、本隊にまで深々と突き刺さった。
すでにエネルギーを消費し、防御スクリーンのレベルも低下しつつあった艦艇に、その破壊エネルギーを防ぐ手立てはなかった。
《ヘクトル》 もまた光の矢に貫かれ、事態の急変を認知する間もなく四散していた。
「旗艦 《ヘクトル》 応答なし! 司令部壊滅の模様!」
「被害甚大! 被害甚大!!」
「指示を、指示を乞う!」
破壊エネルギーの余波に揺さぶられながら、《エウロパ》
艦橋でラスキーたちは青ざめた顔をメインスクリーンに向けていた。
敵陣深く侵食していた第11艦隊は、一瞬にして敵中に孤立する烏合の衆と化した。
ただちに離脱しなければならない。
前進か、後退か……!?
第11艦隊を二度にわたって貫いた光の矢は本隊主力をまともに狙っていたため、前衛艦隊のストークス准将の旗艦はわずかに射線から外れていた。
ストークス准将は辛くも生き延びた前衛艦隊を大至急まとめ上げると、今や帝国軍主力によって塞がれつつある後背を突破するよりも、帝国軍後衛艦隊の眼前で大きく弧を描いて反転し、戦場を離脱するという賭けに出た。
もしもこの時、第11艦隊主力を壊滅せしめた敵後衛艦隊がさらに追撃の手を加えてくれば、ストークス艦隊は宇宙の深遠に完全に消えさっていただろう。
そしてもしもそうなれば − わずか2年後に勃発するドーリア星域会戦にも影響を及ぼしたであろうか……。
本隊が壊滅したと知るや、デッシュ准将はすでに後退を始めていた。
といっても我先に逃げようとしているのではない。
まだ敵中にいる味方を援護するため、艦隊中央部を先に後退させて縦に長い凹形陣をとり、その中に味方を取り込もうとしている。
ラスキーは損傷した艦艇を急速反転させ、デッシュ准将の用意してくれた柵の中へと逃げ込ませた。
そして 《エウロパ》 をはじめとする損傷の軽微な艦は、僚艦が脱出するまで盾となって帝国軍の前に立ちふさがった。
だが、一瞬の形勢逆転で勢いづいた帝国艦隊の反撃はすさまじかった。
「慌てて引くんじゃないぞ! 火力の強い艦で防護壁を築いて、壁ごと後退するんだ!」
ラスキーと幕僚たちは苦心して壁を築き上げたが、艦艇の絶対数が少なすぎた。
帝国軍の戦艦が火力を集中して一点突破を図ってくる。
そのわずかなほころびをこじあけるように、高速巡航艦の突撃が始まった。
ナン大尉は索敵士の元へ駆け寄り、直接モニターをにらみながら状況把握に努めていた。
が、状況はもはや絶望的であった。
「駄目だ、戦線維持不能!」
ナン大尉の叫びに重なって、僚艦の損害報告が次々もたらされる。
「これまでか! 各艦、全力後退!」
敵機動部隊の突出で半包囲された状態となり、それまでよく持ちこたえていた第11艦隊残存兵力もついに潰走状態へと転落した。
降り注ぐ破壊エネルギーに埋め尽くされた空間の狭間で、艦艇は次々と爆発する光球と化していく。
19時35分、《エウロパ》 のエネルギー中和磁場が弱まった瞬間、艦体中央部を2本の荷電粒子ビームが襲った。
ビームはエネルギー供給ラインを切断し、行き場を失ったエネルギーが艦内にぶちまけられた。
その一部は艦橋床面を貫き、艦橋の後ろ半分を破壊していた。
この時破壊されたのが繰艦エリアのある艦橋前部ではなく主に指揮エリアのある後部だったため、《エウロパ》
はかろうじて航行能力を失わずに済んだ。 しかしその代償として、ラスキー分艦隊は司令官と幕僚のほとんどを失ったのである。
第10艦隊の急進によりデッシュ分艦隊の過半とラスキー分艦隊の約3割が包囲網突破に成功したのは、それからほんの数分後であった。
19時40分、偶然の手によって艦橋前方の索敵士の元にいたナン大尉は、ウランフ提督の
《盤古》 を肉視窓に認め、ようやく 《エウロパ》
が敵陣を抜けたことを知ったのである。