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「私が野心家だったというのか? たしかに私は野心を抱いていた。 だがそれは、かつてないほど偉大で気高い野心だった」

 一説によれば、これは西暦時代のナポレオン・ボナパルトという人物の言葉だそうだ。
 当時の人類世界の中心的エリアであったヨーロッパを統一するという野心を抱き、民衆の支持を集めて皇帝となった人物。 しかしロシアへの大遠征の果てに敗れ、流刑地で孤独な死を迎えたという。
 歴史家たちはおよそ二千年前のナポレオンと五百年前のルドルフをだぶらせるのが好きなようだ。 確かにナポレオンの前半生はルドルフと似ているかもしれないが、結局ルドルフはナポレオンのように倒れることはなかった。
 今、ルドルフの創り上げた銀河帝国をのっとった新たな力が、大遠征を敢行して押し寄せてくる。
 その 「現代のナポレオン」 を、かつてのナポレオン同様、遠征の地で打ち破るのだ……そんな軽薄な論調が、ごく一部のマスコミで流布していた。
「かつてないほど偉大で気高い野心だった」 ……偉大で気高い野心、とはいったい何なのだろう? 西暦時代の戦争はよく知らないが、やはり大勢の兵士や一般市民を犠牲にしたはずだ。 それでもなお、偉大で気高い野心というものが存在するのだろうか? 偉大なる征服者と、抵抗する被征服者……流す血は同じであるはずなのに?


 ホリタがナポレオンという歴史上の人物に思いを馳せたのも、たった今連絡艇をよこしてきた空母の艦名が原因だった。
 第四辺境艦隊から合流したのは、空母 《クトゥーゾフ》 を中心とする機動部隊だ。 この艦名は、遠征してきたナポレオン軍を迎え撃ったロシア側の将軍の名前だそうだ。 もっとも、直接対決したボロディノ会戦では勝利を得られず、焦土戦術によってナポレオン軍を敗退させたという。 焦土作戦といえば、悪名高き帝国領進攻作戦に対してラインハルト軍がとった戦術だ。 結局今も昔も、敵も味方もやることは同じ、というわけか……。
 過去の軍人の名を冠された空母は、第四辺境星域の兵器工廠でおそらくは最後となるであろう新造艦だった。 たぶん近頃のナポレオン・ブームにあやかって命名したのだろう。 だが、最新艦とはいってもテスト航行も不十分で、おまけに艦載機は標準の半数しか積んでいない有様だった。
 士官が 《クトゥーゾフ》 艦長の到着を告げ、ドアが開くと壮年の男が入ってきた。
「《クトゥーゾフ》 艦長、ムハマド大佐であります。 《クトゥーゾフ》 以下218隻、これより第14艦隊指揮下に入ります!」
「ご苦労だった。ところで、チャロウォンク准将から伝言はないか?」
 《クトゥーゾフ》 はじめ第四辺境艦隊は、昨年8月よりチャロウォンク准将の指揮下にある。 本来のスケジュールならば、准将自身を含め第四辺境艦隊の大半が集結しても良い頃だった。
「は、詳細はこちらに……准将閣下は予定通りネプティスの艦隊本部を進発されたのですが、オグン星域の民間船団遭難現場に遭遇しまして……お恥ずかしいことながら、当該星域の警備部隊もすでに機能しておらず……」
 ホリタは軽く頷いてムハマド大佐の差し出すディスクを受け取った。
「もちろんその件の第一報は受けている。 警備部隊の艦艇までかき集めたのは我々の責任だからな。 貴官が恥ずかしがることではないよ」
 第四辺境艦隊だけではない。 今回同盟中の残存艦艇を大急ぎでかき集める過程で、あちこちに弊害が生じていた。 人員不足、補給の遅れ、様々な予想外のトラブルが現場の人間たちを悩ませていた。
「了解した。 一休みしたら、補給や編成についてエルナンデス少佐と話し合ってくれたまえ……」


 ムハマド大佐が退室し、関連部署に端末から連絡を送ると、ホリタはインスタントのコーヒーをカップに注いだ。 以前は食堂まで出かけることも多かったが、最近は艦内を出歩く頻度も減っていた。
 集合宙域に近づくにつれ、デスクに蓄積される書類は加速度的に増えている。 同盟の各方面から様々な部隊が合流し、やむを得ず徴用した民間貨物船や、さらには摘発された非合法組織の武装商船まで最前線に編入する有様で、なりふり構わぬという形容詞がふさわしい状況と化していた。
 艦隊編成や一艦あたりの人員配置までが日々流動化し、 《メムノーン》 艦内ですら初めて見る顔が行き来している。 ……もっとも、アキレウス級一隻あたりの乗員数はおよそ千二百名。 そのすべてを間違いなく完璧に覚えている自信ももともとなかったのだが……。
 伝説によれば、かのラインハルト・フォン・ローエングラムがまだ一艦隊指揮官だった頃、他の艦隊の提督の名前は忘れても自分の艦隊の将兵は忘れない、と豪語して兵士を奮い立たせたそうな。 本人の弁ではなく側近の言葉だとも言われるが、いずれにせよ事実ならばうらやましい限りの記憶力だ。
 食堂では久しぶりに出会った者や初めて出会った者たちが様々な噂話に花を開かせている。 そんな中には自分自身の話題もあることをホリタは承知していた。


「貴官のところの司令官だったホリタ少将というのはどんな方だね?」
「まあ……そうだな、地味な方だね」
「しかし辺境勤務で三十代にして少将閣下だろう? 大したスピードじゃないか」
「若い頃マフィアの摘発とかでだいぶ功績をあげたそうだ」
「初の主力艦隊では副司令か……司令のモートン中将は士官学校卒じゃないだろ? そこらへんは不満もあるだろうに」
「前線勤務歴の差かな。 ま、少将自身はあまり昇進にはこだわっておられないようだが……」


 もともと噂されること自身は気にも止めないたちで、そんな噂話を部下が知らせてくれた時もホリタは軽く聞き流した。 しかし同盟中の様々な箇所、様々な部署、様々な経験の人間がかき集められてくるにつれ、噂のみならずいろいろな不調和や軋轢が生じるかもしれない。
 ホリタは首を振って抽象的な思考を押しやると、チャロウォンクからの報告を再生し始めた。


          

「戦艦メムノーン伝」 INDEX