2.
宇宙暦799年1月29日。 正史によれば、シュパーラ星系の通信基地JL77が帝国軍ミッターマイヤー艦隊の位置を確認、通報した日である。
もっとも、様々な障害によってその情報が宇宙艦隊司令部の最前線にまで伝わったのは2月1日のことであった。
この時、基地司令官代行プレツェリ大佐が増援部隊を断った結果、かえって生き延びることが出来たというのは有名な逸話である。
その一方、第15艦隊に合流すべくランテマリオ方面へ急行していた第9辺境艦隊300隻が、JL77への増援部隊としていったんシュパーラ星系への針路変更を命じられたものの、その後さらに命令が変更されて針路を誤り、集結に大幅に遅れたことはあまり知られていない。
かように事態の急変と度重なる変更は各所に混乱を起こし、歴史には残らないようなささやかなエピソードが拡大再生産されていった。
もっとも、歴史に残る大事件もそうしたささやかなエピソードの集積によって生まれることも多く、そのエピソードが未来に対してどのような影響を残すか、当時者には決してうかがいしることはできないのだが……。
この日、ランテマリオ方面へ向けてオグン星域を通過しつつあったチャロウォンク指揮する第4辺境艦隊は、民間船団の救難信号を受信していた。
各星域の警備部隊さえ召集されてしまっている現在、救難信号を放置するわけにもいかないが、出来るだけ多くの戦力を一刻も早く集結させなければならないことも確かである。
そこでチャロウォンク自身は状況判断のために残り、主だった部隊を空母
《クトゥーゾフ》 のムハマド大佐に任せ、集合宙域へと向かわせることとした。
それから星域中を探索させ、救難信号の発信源が確認されたのは3時間後であった。
信号を発した貨客船を近隣の有人惑星に送りさえすれば、すぐに集合宙域へと向かえるはずだったのだが……
「司令官代理、実は民間船の警備員が、密輸品の存在を通報してきまして」
「なんだそりゃ……そんなことは近隣惑星の警察に任せるわけにはいかんのか」
「それが、その密輸品の所有者とういうのがどこその有力者と関係あるとか何とかごねてるようで……」
チャロウォンクのもっとも嫌うパターンであり、無視して近隣惑星へ送るだけでも良かったのだが、文句の一つでも言ってやろうと民間船の警備員と一緒に事情聴取を行うことにした。
それが失敗だった。
大物政治家の秘書を名乗る男は、その政治家の威を借りて、軍用艦艇でネプティスまで送るように言い立てたのである。
「失礼ながら、あなたも私ども同盟軍のおかれている状況はご存知だと思いますが……」
チャロウォンクはあくまで穏やかさを装って説明した。
「現在わが軍は一隻たりとも無駄にはできない状況なのです。
オグン星域からネプティスまでは定期航路もありますし、そちらをご利用いただけませんか」
「し、しかし、それでは二週間もかかってしまう! この荷を今すぐ先生に届けないと……」
「荷物の中身は何なのです?」
「そ、それは……」
「美術品、とありましたな」 民間船の警備員が口を挟んだ。彼が説明したところでは、その政治家名義のコンテナが急遽追加されたため、オグン方面への救援物資が遅れることになったという。
「相当大事なもののようですなぁ。 救援物資よりも優先されるとは」
警備員の皮肉に、今日は自分の出番もなさそうだ、と思いながら、チャロウォンクはリストをめくってみた。
その中に、聞き覚えのある固有名詞があった。
「レンブラント……?」
「あ、あんた、レンブラントを知ってるか?」
秘書を名乗る男が、すがるように身を乗り出す。
「さあて」
「ホクサイは!? ダリはどうだ!?」
「あいにくそんな名前の友人はいませんな」
チャロウォンクがそう言うと、男は哀れむような表情をひらめかせた。
が、それを見計らって付け加える。
「それは西暦時代の、芸術家とかいう連中の名前じゃありませんか?」
チャロウォンクの言葉に男は一瞬鼻白んだが、すぐに気を取り直して身を乗り出した。
「その通りだ! これが、その作品なんだよ!」
「昔電子ライブラリーで見たかも知れんませんな」
「本物なんだ!」 男はとうとう机にこぶしを打ちつけ、大声でわめき始めた。「本物のレンブラントなんだよ!」
「それが何か?」 思わず男を抑えようとした副官を手で制し、チャロウォンクは冷ややかに言った。
「…………あんたももちろん知ってると思うが、地球は西暦2704年、シリウス戦役末期に焦土と化した。
人類のおびただしい歴史的、文化的遺産とともに。
同盟にしろ帝国にしろ、現存している西暦時代の文化遺産というのは、シリウス戦役以前にかろうじて地球外へ持ち出された、ほんのわずかの分なんだ! そのうちの一部なんだよ!」
「それが貴重なものだということは分かる。
しかし、人命と比べてどっちが貴重なんでしょうな?」
「そんな……そんな比較は無意味だ!」
「無意味なら私自身の判断でやらせてもらいますか」
「このままハイネセンに放置していたら、戦災で永遠に失われるかもしれんのだぞ!」
なるほど、要するにハイネセンから疎開させようというわけか……で、そのどさくさで政治屋が懐にしまいこむ、と……。
チャロウォンクは男が落ち着くまで黙っていたが、おもむろに口を開いた。
「あなた、ベートーヴェンをご存知ですかな?」
「え?」 男は予想外の言葉にとまどいながら、不器用にうなずいた。
「ベートーヴェンの楽譜というものは、恐らくこの世に現存していない。
地球の地層を掘り返せば見つかるかもしれんが……。
だが、それでもベートーヴェンがどんな音楽を創り上げたかは誰もが知っている。
様々な再生技術や、あるいは実際に演奏することで、ベートーヴェンの音楽に触れることができる。
それではいけませんか?」
「音楽と絵画は別だ……!」
「あなた方の手元に本物、あるいは本物と思われる作品が残されている芸術家はともかく、歴史上に名を残しながら本物が現存していない芸術家は無数にいる。
だが、彼らが創り上げた芸術は伝わっているではありませんか。それではいけませんか?」
「本物の価値には比べ物にならん!」
「本物、本物と言うがね……」 チャロウォンクはそろそろ紳士の仮面を外しにかかった。
「ハイネセン記念美術館の作品が本物かどうか、同盟中の専門家が集まっても結論が出ない作品だって沢山あるだろ? だけど、そんな作品だって見る人を感動させることはできる。
本物というレッテルは、金持ちの投機対象になるかどうか、ということじゃないか」
「暴論だ! あんたは芸術の価値を分かってない!」
「何年前だったか……最初は作者不詳ということで1万ディナールからオークションされるはずだった絵画が、作者が西暦時代の芸術家だと分かって、たしか6600万ディナールで落札されることになったってことがありましたな」
「よく知ってるな……だったら」
「作者が誰だろうが、同じ絵なんだぞ? その同じ絵が、本物かどうか、誰が描いたかで値段が変わる……結局は芸術の価値を金で換算して見てるだけじゃないのかね?
いや、まあそういう見方だって個人の自由ですな。話がそれた。
大変申し訳ないが、我々としてもこれ以上の時間は割けません。
定期航路を使うか、オグン警察に連絡させていただくか、どちらがよろしいですかな?」
結局、警備員の所属会社から連絡を受けていた定期路線会社が荷受を拒否、チャロウォンクが動かずとも警察がやってきて、美術品の
「疎開」 は失敗に終わった。 美術品は積まれていた民間船とともにハイネセンに戻ることとなる。
その決着に不満はないが、チャロウォンクたちは丸一日を無駄にすることとなったのだ。
「あの男の肩を持つつもりはさらさらありませんが、ハイネセンが戦場になった場合の懸念というのは分からなくもないですがね……」
副官の言葉に、チャロウォンクは肩をすくめた。
「いや……今の帝国軍はむやみな絨毯爆撃はしないだろう。
聞くところによると、門閥貴族との戦いに勝った時、貴族が抱えていた芸術品の保全に努めた何とかって提督がいるそうだしな。
ま、いちばん大事なことは、例え負けてもハイネセンを戦場にしないこと、だが……」
それからわずか2年後、帝国軍ではない第三の勢力によってハイネセンポリスが灰燼と帰す事態が生じようとは、その時点で予測できる者は誰もいなかったのである。