4.


 宇宙歴799年2月7日、12時40分。 帝国艦隊の位置に関する最新情報が、先行偵察艇より同盟軍にもたらされた。 帝国軍は10万隻以上という同盟軍の3倍を超える大艦隊をもって、縦列に展開してランテマリオ星系へ進入しつつあった。
 同盟軍では誰からともなく 「双頭の蛇」 という言葉がささやかれていた。 縦に長く延びた帝国軍の陣容は、まさに同盟領を呑み込もうとする大蛇の様相を呈している。 この大蛇に対抗するには、いかなる戦術があるか?
 実在の蛇ならば − もっとも、 「蛇」 という生物は貴族や大富豪が倒錯的な興味から飼育している以外、現在では動物園惑星か遺伝子バンクに名残をとどめるのみなのだが − 頭を狙うのが定法であろう。 宇宙戦の定法としては、胴体部を狙って「蛇」を分断し、各個撃破をはかるだろう。 だが「頭」 を狙っても 「尾」 に相当する艦隊が、あるいは胴体部を狙ったとしても左右の艦隊がそれぞれ 「頭」 として、襲いかかってくることになる。 そうした例えから、この陣形は 「双頭の蛇」 と呼ばれている。 しかもこの10万隻、5個艦隊からなる大蛇は、5個の頭、10万の牙を有していると考えて差し支えない。 一つの頭を潰しても、他の頭が噛みついてくることは間違いないのだ。
 「双頭の蛇」 に対するもっとも有効な手段 − その一つは、複数の頭を同時に潰すことだ。
 かつて、同盟軍も大蛇を帝国領へ送り込んだことがあった。 実に8個艦隊に及ぶ史上最大の大蛇であった。 だが、この大蛇は8個の頭をほとんど同時に抑えられ、バラバラに切り刻まれ、消え去ってしまったのだ。
 今、同盟軍には敵の5つの頭を同時に抑えるだけの兵力は残されていない。
 同盟軍の前面には、パエッタ中将率いる第1艦隊が展開した。 これにマリネッティ准将、ザーニアル准将の独立警備艦隊が編入され、同盟軍の最前衛に位置した。
 同盟軍右翼には第14艦隊。 司令官、モートン中将。 副司令官、ホリタ少将。 分艦隊指揮官、デュドネイ准将、チャロウォンク准将、ンドイ准将。
 左翼には第15艦隊。 司令官、カールセン中将。 副司令官、ウィジャラトニ少将。 分艦隊指揮官、ハン准将、ビューフォート准将、デッシュ准将。
 布陣を整えつつも、同盟軍将兵は過去の愚行の結果に今さらながら身震いし、あるいは憤慨するのだった。


 2月8日、13時。 同盟軍は、帝国艦隊の中央部に対して5.2光秒まで接近していた。 敵軍を肉眼で端から端まで見渡すのは困難であるが、10万隻から成る大蛇をセンサー上で捉えた艦艇では、緊張は全身を包み込む水圧のように将兵の心を締め付けていた。
 その緊張の水位が極限近くまで達した瞬間 −
「前衛の一部が砲撃を開始しました!」
「おいおい、砲撃命令はあったのか!?」
「いえ、まだ……!」通信士が叫ぶ。
 ホリタはメインスクリーンを見上げた。幾本もの光条が敵へ向かって放たれるのが認められたが、それはスクリーン一杯に広がる同盟艦隊のごく一部に過ぎなかった。
「あれは第7辺境星域の部隊です」 エルナンデス少佐がささやきかけた。
「まずいな……初の実戦の緊張に耐えかねたか……」
 総司令部より砲撃開始の命令が発せられたのは、それから間もなくであった。 かくて13時45分、両軍は全面的な砲撃戦に突入する。 前衛から放たれた光の矢は、5秒後には相手の前衛へと深く突き刺さっていった。
 30分に及ぶ全力砲撃の応酬の後、帝国軍中央部が前進を開始したことが確認された。 「前」 といっても 「蛇」 の頭方向ではなく、胴体部を突こうとした同盟軍に相対する方向である。 すなわち、 「蛇」 の胴体部が同盟軍の方へ大きく膨らんだ形になる。
 帝国軍中央部に 「疾風ウォルフ」 ことウォルフガング・ミッターマイヤー上級大将の旗艦を確認した時、その勇名に恐怖した同盟軍前衛の反撃は、狂騒的なまでのものとなった。 反撃しなければ己が殺されるという過酷な宇宙戦にあって、敵の名将とは死に神の使いにも等しい存在であった。
 同盟軍前衛の死に物狂いの全力砲撃は、命中率こそ低かったもののミッターマイヤー艦隊前衛を撹乱し、そこへザーニアル、マリネッティ両艦隊が踊り込む形となった。
 互いに離れた砲撃戦であれば帝国軍も充分迎撃できたところであるが、なまじ前進中であったミッターマイヤー艦隊にとり、見境なく飛び込んできた同盟軍艦艇は、走行中の車の窓から飛び込んできた狂鳥のようなものであった。 「鳥」 は己の羽や嘴が傷つくのも構わずあたりかまわず突きまわし、突付かれた側は大慌てで回避せざるを得なかった。
 その結果、ミッターマイヤー艦隊の陣容に大きな亀裂が走ることとなった。
「前衛艦隊、帝国軍を分断しつつあります!」
 前衛どうしの衝突と混乱による予想外の成果は第14艦隊からも確認することが出来、《メムノーン》 でも驚きの声があがっていた。
「うむ、しかしこれは総司令部の指示か? 陣形が乱れているし、敵を分断するなら、今すぐあの後に続かねばならん! ぐずぐずしてると、こっちの前衛が各個撃破されるぞ。 モートン司令を!」
 《アキレウス》 のモートン中将も、前衛艦隊の動きには首をかしげた。
「たしかに第一次作戦案では敵艦隊中央部を突破することになっていたが……これでは前衛との連携がはかれん。かといって放置すれば、前衛艦隊だけではすぐに包囲殲滅される」
「前衛艦隊に続いて突入する場合と、前衛艦隊が後退を命じられればそれを援護する場合と、双方の可能性があります。 それぞれの準備が必要ですな」
「よし、ホリタ少将、全軍突入の場合はこちらの戦術コンピュータに任せてほしい。 あの前衛艦隊を後退させる場合は、本艦隊前衛を貴官に任せる!」
 第14艦隊の前衛にはチャロウォンク准将の分艦隊が布陣している。 ホリタはチャロウォンクを呼び出すと、前衛艦隊を援護する場合の態勢を指示した。
「すぐ後に続かないんですかい? 帝国軍分断が当初からの作戦だったでしょうに」
「しかし今突っ込んでいってる艦隊は、陣形も何もあったもんじゃない。分断するにしても、もう少し秩序だってやらないと逆撃をくらうぞ」
「前衛艦隊の掌握は、パエッタのおっさんの仕事でしょうに……」
「聞こえるぞ……」 建前上かるくたしなめたものの、ホリタも同じ気持ちがしないでもない。
 15時、総司令部から前進を止めて後退するよう、あらゆる回線を通じて指示が飛んだ。 いったん乱戦に陥った戦線を把握するのは容易なことではない。 同盟軍前衛艦隊は苦心の末、敵陣に突っ込んだ部隊を後退させ始めた。 が、それは敵の猛反攻を招じることとなったのである。
「長距離砲撃て! 後退してくる前衛艦隊を援護せよ!!」
 チャロウォンクは叫んだが、その間にも急反転した帝国艦隊が僚軍の背後から襲いかかってくるのが見て取れた。 第1艦隊主力が急進し、これに呼応してチャロウォンク艦隊も右方向から援護して迫り来る帝国軍を押しとどめたものの、マリネッティ・ザーニアル両艦隊の払った犠牲は無視できるものではなかった。


「前衛艦隊、後退しました! チャロウォンク艦隊も戻ります」
 うなずくとホリタはシートに腰を落とした。
「分断のチャンスを逸したな……」
 最初の前衛艦隊の狂騒が計画通りのものではなかったにせよ、状況の変化に応じて計画を修正し、一気に帝国軍を分断することも可能だったのではないか。 もっとも、どちらが正しかったかは終わってみなければ分からない。 そして、失われたチャンスに思いをはせる暇などないのだ。
 実のところ、ビュコック司令長官は帝国軍胴体部が予想以上に厚いため、敵の攻撃を受け流しつつ左右いずれかに回り込もうと考え直していた。 だが思考経路は逐一前線まで伝達されるわけではなく、中級指揮官がそのギャップに悩まされるのは、およそすべての組織に共通する難題であった。
 同盟軍前衛はかろうじて陣形を再編したが、その間に帝国軍は胴体部のみならず左右両翼までも動き始めていた。 5個艦隊、10万隻による半包囲体勢である。
「密集しつつ第1惑星の軌道まで後退せよ!」
 総司令部からの指示は、戦術の大幅な変更を意味していた。 防御を主軸とした編成に組み替えつつ、3万隻の艦隊が急速後退していく。
 圧倒的に不利な戦いは、まだ始まったばかりであった。


          

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