6.
2月9日11時、帝国軍の一個艦隊が宇宙潮流へと突入しつつあることが、対岸の同盟軍探知網に確認された。
「来るぞ……」
探索士たちが恐怖のうめき声をあげる背後から、チュン・ウー・チェン総参謀長の冷静な指示が飛んだ。
「計算しろ! 帝国軍の進撃速度と、エネルギーの流れの速度をだ! やつらは流されている。計算すればこちらに渡ってくるポイントが特定できるはずだ」
間もなく 《リオ・グランデ》 のオペレータがはじき出した数値は、直ちに全艦へ伝達された。
「全艦隊、敵の渡河ポイントに向けて照準を固定! 敵が潮流を渡りきってきたところに、ピンポイント攻撃をかける!」
総参謀長の命令が艦隊を駆け抜け、射程距離内の全艦が渡河ポイントへ艦首を向けた。
《黒色槍騎兵》 艦隊が宇宙潮流を渡りきったその瞬間
− 数千本の光の矢が先頭の戦艦群に襲いかかった。
直撃を受けた数十隻は一瞬に消し飛び、その背後の艦も衝撃で再び激流へと叩き込まれた。
だが、さらにその背後から圧倒的な力を持って
《黒色槍騎兵》 艦隊の本隊がはい上がってきた。
はい上がると同時に放たれた破壊エネルギーは、たちまちマリネッティ艦隊を粉砕していた。
「いかん、前衛が崩れる!」
「後退! 全力応射しつつ後退!!」
マリネッティ艦隊は 《黒色槍騎兵》 艦隊の強大な力を真正面から叩きつけられ、後ろへ退いてもその力から逃れることは出来なかった。
後退しようとする艦が直撃弾を受けてはじけ飛び、後ろの艦を巻き込んで爆発飛散した。
二つにへし折れた戦艦の艦尾部分が、回転しながら旗艦
《ロスタム》 の眼前へと踊り出る。迫り来る黒い艦隊への恐怖から乱射し続けていた
《ロスタム》 艦首主砲制御室は、照準スクリーンを塞いだものが何かを確認する間もなく、機能を停止した。
なぜなら、艦首主砲から放たれた中性子ビームが戦艦の艦尾を貫いた瞬間、戦艦の核融合炉は核爆弾と化し、艦首主砲制御室をも破壊してしまったのだ。
マリネッティ、ザーニアル両艦隊は潰走する間も与えられず、艦艇は爆発する光球と化して空間を埋め尽くした。
その光の海の中を、禍々しい殺戮者の群れが突き進んでいく。
同盟軍右翼を占めていた第14艦隊は 《黒色槍騎兵》
艦隊を横から狙う位置にいたため、敵前衛による真正面からの直撃を免れていた。
それでも恐るべき破壊エネルギーは第14艦隊にも襲いかかり、さらには
《黒色槍騎兵》 艦隊の本隊がはい上がってきた。
「いかん! 今度はこちらが側面を突かれるぞ!!」
潮流を渡りきった敵前衛の左側面を狙っていた第14艦隊は、前衛よりもやや流されつつ新たにはい上がってきた敵本隊に対しては、右側面をさらしていた。
「急速後退しつつ2時方向へ回頭! 急げ!!」
しかし次の瞬間、第14艦隊前衛は右舷からの一斉砲撃をまともに浴びせられていた。
すさまじい光の渦が艦隊を切り刻み、それに触れる艦艇は小石のごとく弾き飛ばされ、あるいはガラス細工のごとく砕け散った。
「防御壁を築け! 巡航艦は散開! 後ろへ退くな、上下へ散れ!!」
チャロウォンクの怒号が伝わる前に、すでに麾下艦艇のほとんどが被弾し、次々と引き裂かれていった。
第14艦隊前衛の瓦解ももはや時間の問題であった。
「全空母防御態勢、スパルタニアン全機離艦!!」
ンドイ准将が叫ぶとほとんど同時に、破壊エネルギーは空母部隊にも襲いかかっていた。
旗艦 《ガルーダ》 にも瞬時に直撃弾が浴びせられる。
空母 《タペジャラ》 が数発のビームに同時に貫かれ、真っ二つにへし折れて爆発飛散した。
「2時方向へ全速前進するよう自動操縦にセット!」
《クトゥーゾフ》 艦長ムハマド大佐の指示に、艦橋要員は驚いて振り返った。
現在の 《クトゥーゾフ》 のポジションから2時方向に進めば、編隊の外縁へ出て敵に側面をさらすこととなる。
「本艦はスパルタニアンの搭載数が半分以下だったから、このくらいは役に立たんとな。
セット作業と平行して退艦だ! 総員退艦せよ!!」
自動操縦にした艦体を 「盾」 にしようという艦長の意図を理解したオペレータたちは、頷きあうと大急ぎで作業を開始した。
《ホウオウ》 は一瞬の差で艦の上面を敵に向け、下面に抱えるスパルタニアン群を守る体勢をとっていた。
ドルジンツェ少佐は通路を疾走して自機に駆け寄ろうとしていた。すでに照明がちらつき、艦体が激しく振動する中でも、整備兵たちが一機でもスパルタニアンを脱出させようとしている。
激しい上下動がほとんど全員をなぎ倒した。
直撃弾に違いない、もうこの艦も長くない、とドルジンツェは直感した。
「総員退艦! 総員退艦せよ!」 マイクが騒ぎ出したが、整備兵たちはスパルタニアンの発進作業を続けている。
すぐそばの搭乗リフトに、一人のパイロットがしがみついている。
「早く乗りこまんか! 急げ!」
ドルジンツェは若いパイロットの腰をつかみ、上へと押し上げた。パイロットがコクピットに潜り込むのを確認すると、飛び降りながら整備兵へ合図を送る。
そして自機の方へ駆け出そうとした瞬間、その方向で隔壁が砕け、火柱が吹き上がった。
顔見知りの技術大尉がおどけた風に敬礼してみせたのが、振り返ったドルジンツェの見た最後の光景だった。
「空母部隊壊滅! 《ホウオウ》 撃沈、旗艦
《ガルーダ》 通信途絶!」
「何だと!?」
その情報をホリタが得た時には、《黒色槍騎兵》
艦隊は眼前に迫っていた。
「敵艦隊、来ます!!」
「密集しつつ全速で後退! 機動部隊は右舷回頭して迎撃せよ!!」
ホリタは叫んだが、すでに黒色の戦艦が 《メムノーン》
にのしかかるように突出してきていた。
「回避! 回避しつつ舷側砲塔で応射!!」
ツァイ艦長が絶叫し、 《メムノーン》 は艦体を大きく傾けて至近を通過する敵艦を回避した。
互いの砲塔が放つ光条が空間を切り裂き、艦体表面のアンテナや突起物を粉砕する。
艦体が傾いても、重力制御システムが床面に対して働く方向は同じなので、肉体が傾きを感じるわけではない。
しかし加速度の変化と肉視窓を斜めに通過していく敵艦の姿は、乗組員の感覚が変調を訴えるには充分であった。
体勢を直した 《メムノーン》 の右手より、さらに多くの敵艦が破壊と死を振りまきながら急迫する様が確認された。
周りを固める巡航艦が、次々と直撃弾で消し飛ぶ。
《メムノーン》 の右にいた巡航艦 《タナトスZ》
が被弾し、弾かれたように軌道を変えた。
ホリタはメインスクリーン一杯に、濃緑色の艦体が覆い被さるのを見た。
タナトス − ギリシア神話における死の化身。
死! 何だってそんな艦名を付けたんだ!!
凄まじい衝撃が 《メムノーン》 を襲い、すべてがブラックアウトした。
「被害甚大! 艦は航行不能!」
「人的、物的損害著し! 戦線維持不可能! 退却を許可ありたし!」
「来援を請う、来援を請う!」
《黒色槍騎兵》 艦隊の一撃により、前衛艦隊と第1艦隊、そして第14、第15艦隊の過半も、通信は一瞬にして悲鳴と絶叫に満たされた。
それに対し、司令部直属艦隊や支援艦隊の通信は、悲痛な沈黙に満たされていた。
すでに大半の大型艦は前線に投入され、後衛にはもはや救援に向かうべき戦力は残されていなかったのである。
同盟軍全艦隊は総崩れとなり、 《チュンチャク》
の指揮する支援艦隊もまた、黒色の艦隊が放つ凶暴な破壊エネルギーの余波に翻弄されていた。
そこへチャロウォンク准将からの通信がもたらされた。
「やられた、壊滅だ! 《メムノーン》 も 《ガルーダ》
も通信途絶! 救援急げ!」
「ええっ!?」
タチアナ・カドムスキー大佐は通信士の元に駆け寄ったが、
《アンドラーシュ》 からの通信は混乱に満たされた同盟軍通信網と荒れ狂う破壊エネルギーの中でかき消されてしまった。
その時、数万キロ離れた 《リオ・グランデ》
艦内では、ビュコック司令長官とチュン・ウー・チェン総参謀長が
「未来」 について語り合っていた。 その内容ははるか後にスーン・スールという名の退役軍人が自伝に記し、チュン総参謀長の同盟の未来に対する見識が高く評価されることとなる。
だがその瞬間、前線の艦艇は未来どころではなかったのである。
二人の最高幹部が 「現在」 から遠ざかっている間にも、目の前に敵が立ちふさがる最前線では、一瞬たりとも
「現在」 から心を遠ざけることはかなわなかった。
そして一瞬ごとに、無数の同盟軍将兵が 「未来」
を永遠に奪われていったのである。 総司令部が沈黙している間にも、犠牲は刻一刻と拡大再生産されていた。
「総司令部は何をやってやがる!」 チャロウォンク准将は悪態をつきながら、矢継ぎ早に麾下の艦艇への指示を叫びつづけた。
命令がこない限り、現場で対応しなければならない。
もっとも、今や反撃しつつ全力で後退させるしかない。
禍々しい黒色の殺戮者の群れはすでに壊滅した第14艦隊前衛の前を通り過ぎ、同盟軍本隊へと迫りつつあった。
だがチャロウォンクはそれを追おうとはせず、混乱の続く麾下艦艇の把握に努めた。
続いて突入してくる次の敵艦隊に備えなければならないからだ。
「 《メムノーン》 確認! しかし……依然応答ありません!」
スクリーン上に 《メムノーン》 を視認したとき、チャロウォンクは息をのんだ。
単に直撃弾を受けたというだけでなく、艦首から艦橋付近にかけて大きくえぐれている。
「周りを固めろ! 脱出シャトルがいないか注意しろよ!」
《メムノーン》 の周りにかろうじて生き残った艦艇が集まり始める。
それは傷ついた王を支えようとする敗残兵の群れのようだった。