7.


 《タナトスZ》 との衝突の瞬間、ツァイ艦長はシートから投げ出され、数回転しながら壁に衝突した。 巨大なスクリーンの何枚かが砕け散り、その破片が目の前の空間を貫く。 艦内照明がブラックアウトし、隔壁閉鎖のサイレンが鳴り渡った。
 間もなく非常灯がともり始め、起きあがろうとしたところへエルナンデス少佐の悲鳴が聞こえた。
「か、閣下……!!」
 ツァイ艦長はいやな予感がして、声のした方向を振り返った。
 指揮フロアの一角にホリタ少将が倒れている。 腹部のあたりが赤く染まり、床に出来た赤黒い池が皆の心臓を凍り付かせていた。
「被害状況を確認、報告! 艦医は大至急艦橋へ!」 跳ね起きると同時に叫び、ホリタ少将の方へ駆け寄ろうとするが、異様な浮揚感を感じてよろめいた。
 エルナンデス少佐がホリタの元へと駆け寄り、顔を覗き込む。
「閣下! 閣下!?」
 エルナンデス少佐の呼びかけにホリタはうっすらと目を開け、やがてはっきりと見開いた。
「少佐……無事だったか?」
「は、はい……軍医を早く!」
 少佐が振り返って叫んだが、まだ対応できる者が少ないらしい。
 ホリタは右手をゆっくり持ち上げ、エルナンデス少佐の肩に触れた。
「少佐、肩を貸してくれ……」
「閣下! いけません!」
「いいから、貸せ……」
 少佐は緊急用の止血カプセルを叩き割り、溢れるゼリーをホリタの傷口にあてがった。 それからホリタを起こそうとしたが、異様なめまいに襲われて思わずよろめいた。
「おいおい……貴官も負傷したのか……?」
 ホリタが冗談とも何ともつかない口調で言ったが、エルナンデス少佐はこの異様な感覚の原因について思い至り、血の気がひいていくのを感じていた。
「閣下、これは……」
 そこへ泳ぐような足取りでツァイ艦長が近寄ってくる。
「艦長……本艦は、航行可能か……?」
「は、た、ただ今被害状況を確認中ですが、この感覚は……人工重力の低下が感じられます。まさか、重力制御システムが……」
「……ならば……そんなところに立ってないで……対応を急げ……」
「はっ!」
 エルナンデス少佐に支えられながらシートにたどり着いたホリタは、指揮卓に手をついて上体を支え、艦橋を見渡した。
「通信士…… 《アキレウス》 へ連絡…… 《リオ・グランデ》 はどうなっている……」
 ホリタの声は普段よりも小さく、脇を支えるエルナンデス少佐が大声で復唱する。
「現在通信システム復旧作業中ですが、艦体のアンテナが損傷、長距離の指向性通信は不能の模様です!」
「復旧急げ!」 通信士に命じてから、エルナンデス少佐はホリタの顔を気遣わしげにのぞき込んだ。
 重力制御システムの異常による低重力でかえって立っていられたのかも知れないが、負傷しつつも指揮卓前に立つ指揮官の姿は、混乱し、狼狽する艦橋要員を奮いたたせる効果が確かにあった。 しかし止血ゼリーの下の傷口からは、未だ血が滲み出ている。
「閣下、まずシートへ……」
「いいか、少佐……通信が回復したら、手近の指揮艦へ連絡。 指揮権を……」
「は、しかし優先順位は……」
「順位などかまわん。 連絡の付く艦が第一優先だ。もしも……重力制御システムが修復不可能なら……退艦せねばならん」
「では手近の戦艦に副司令部を」
「時間がかかる……とにかく通信の回復と連絡を……急がせろ……」
 そこまで言ったホリタの身体から力が抜けるのを感じ、エルナンデス少佐は慌ててホリタを支えようとした。
「タチアナ…… 《チュンチャク》 は…… 《ガルーダ》、 《アンドラーシュ》 ……みな、無事か……?」
 ほとんど消え入りそうなつぶやきとともに、ホリタの身体は低重力のためスローモーションのようにゆっくりと、床へくずおれた。
 手近の者が駆けより、ホリタの身体を抱え上げ、指揮シートのリクライニングを倒して横たえる。
「おい、軍医はまだか!?」 ツァイ艦長が叫ぶが、一人が困惑しつつ頭を振った。
「巡航艦との衝突の際、艦橋へのエレベータも損傷した模様で……」
「バカヤロウ!」 怒鳴ってから艦長は彼に何の罪もないことに気付いた。 「すまん、とにかく急がせろ!」


 チャロウォンク准将の奮闘でやっと艦隊が秩序を取り戻し始めた頃、 《メムノーン》 から 《アンドラーシュ》 への通信が回復した。
「こちら 《メムノーン》 のツァイ艦長です! チャロウォンク准将?」
「チャロウォンクだ! そちらの被害は!?」
「准将! ホリタ副司令が負傷されました! 《アキレウス》 とは連絡がつきません! 指揮を、指揮をお願いします!!」
「な、何だって……!?」 チャロウォンクは愕然としたが、数瞬後には理性を取り戻した。 今は驚きに浸っている暇はない。 「それで、お命に別状は?」
「破片が腹部に……出血が激しく、現在診療中なのですが……」
「わかった、それと 《メムノーン》 の被害は!?」
「重力制御システムが故障し、現在操艦が困難な状況です。 修理中なれど、修理不能の場合は退艦せざるをえない恐れがあります!」
「了解した! 逐一報告を続けられたし!」
 通信を切ったチャロウォンクは、戦況全体を映すメインスクリーンへと顔を向けた。 帝国軍全軍が全面攻勢を開始し、すでに総崩れとなった同盟軍の艦列をみるみるうちに侵食していく。
 同盟軍左翼にいたため 《黒色槍騎兵》 艦隊の直撃をかろうじてかわすことの出来た第15艦隊はもっとも早く秩序を回復し、ラルフ・カールセン提督の力強い指示が駆け抜けた。
「全艦、密集隊形をとれ! 損傷した艦を内側へ! 総司令部を守れ!」
 しかし直撃をかわしたとはいえ、第15艦隊もすでに著しい被害を受けている。 そこへ帝国艦隊の猛攻が集中し、第15艦隊の陣容を次第に削り取っていった。
 やがて第14艦隊の通信網も様々な障害を乗り越えて回復しつつあった。
「 《アキレウス》 より第14艦隊各部隊へ、被害を報告せよ! 本艦隊は前衛艦隊の残存部隊を取り込みつつ、前面に防御壁を築く!」
 チャロウォンクは即座に 《アキレウス》 と連絡をとったが、 《アキレウス》 から得られた情報は、第14艦隊は半数近くが今のところ通信途絶という惨憺たるものであった。 無論そのすべてが沈んだわけではないが、もはや一個艦隊としての機能を維持し得なくなっていることは明らかだった。 モートン提督は第1艦隊や各小部隊をも含めた全体の掌握に忙殺されている。 ホリタ副司令が負傷し、ンドイ准将、デュドネイ准将の両艦隊も壊滅した現状では、第14艦隊の残された機動部隊の掌握はチャロウォンクに重くのしかかる形となっていた。
「《パトロクロス》 通信回復しました! 小破せるも、第1艦隊司令部は健在のようです」
「ふーん……」 チャロウォンクは無表情に応じた。
 麾下の戦闘可能な艦は残り少なく、苦心して築きつつある防御壁も、殺到してくる帝国軍の前には紙にも等しい。
「くそ、最悪だ……」
 チャロウォンクは唇を噛み、スクリーンの一枚に映る 《メムノーン》 に視線を移した。


          

「戦艦メムノーン伝」 INDEX