8.
宇宙暦799年2月9日、12時30分。
「敵の進撃が止まりました!」
帝国軍7個艦隊が殺到してくるのを座して待つも同然であった同盟軍に、驚愕のさざ波が広がっていった。
総司令部は沈黙し、すでに統率を失っている同盟軍艦隊が、殺到してくる帝国軍をいかにかわして退却するか
− 有り体に言えばいかに生き延びるか − を高速通信で慌ただしく協議していた諸将は、事態の急変にむしろ当惑することとなった。
総旗艦とその直属艦隊、支援艦隊を先頭に、恒星ランテマリオからぎりぎりの軌道をとって脱出する、後衛は比較的残存兵力の多い第15艦隊が務め、状況によってはビューフォート分艦隊とデッシュ分艦隊が陽動のためランテマリオの反対側に回り込む……大枠を固めて
《リオ・グランデ》 へ上申しようとしていたその時、脱出コース算出のため帝国軍の進撃速度を追跡していた各指揮艦のオペレータが、予想外の事態を報告したのである。
最初は何らかの奇計を警戒した諸将も、スクリーンに写し出される帝国艦隊の混乱ぶりには目を見張った。
本隊の急停止に対して前衛の対応が間に合わず、吸い出されるように陣形の延びきった艦隊もあれば、逆に前衛が減速したところへ後続の部隊がなだれ込み、無秩序な密集状態に陥った艦隊もある。
そこへ役目を終えて反転しつつあった 《黒色槍騎兵》
艦隊が重なり、一部にさらなる混沌を紡ぎ出していた。
敵の通信を傍受した結果、帝国軍の向こう側に別の艦隊が出現したらしいことが判明する。
帝国軍の混乱ぶりからして、彼らにとっての味方ではないらしい。
沈黙していた総司令部から再び命令が発せられたのは間もなくであった。
「反撃しつつ退却する。 全艦、ありったけのビームとミサイルを敵に叩きつけろ!」
帝国艦隊の背後に現れたという新たな艦隊の正体を確認することはできないが、誰もが
「ヤン艦隊」 であると確信していた。 そしてその確信は力尽きつつあった同盟軍に最後の気力を与え、局所的ながら帝国軍を押し返し、退路を切り開いたのである。
あと1時間戦闘が続いていれば、重力制御システムの故障した
《メムノーン》 は退艦を余儀なくされるところであったが、この急変が
《メムノーン》 を救った。 被害箇所は部分的であり、推進力だけはまだ充分維持していた
《メムノーン》 は全力を振り絞り、退却する同盟軍の艦列に続いた。
《アンドラーシュ》 が戦闘可能な艦艇を糾合し、
《メムノーン》 をはじめ傷ついた艦の周りを固めてこれを守った。
同盟艦隊が包囲網を脱出し、ランテマリオから遠ざかるにつれ、帝国軍も次第に陣形を解き、潮が引くように戦場を離脱していった。
十数万隻からなるおびただしい光の群れが遠ざかって後、その向こうから新たな一群が現れた。
その一群が帝国軍の艦列よりもいっそう強く光り輝いて見えたという証言は、「ヤン艦隊」
へのすがるような思いの反映であったかも知れない。
ともかく、同盟軍にとって膨大な犠牲を強いられたランテマリオ会戦は終わったのであった。
包囲網を突破して後、合流した支援艦隊の工作艦によって
《メムノーン》 の応急修理は順調に進められた。
重力制御システムも7割方回復すると、ようやく負傷者への処置も順調に進み始めた。
だが、これまでの遅れがどれほどの影響を及ぼすかは分からない。
意識の戻らぬホリタ少将をはじめ負傷者たちがロボット担架で医務室へと運ばれた後、艦隊司令部や各部隊との連絡はエルナンデス少佐が行い、艦レベルの指示はツァイ中佐が取り仕切っている。
「何とか……終わりましたね」
エルナンデス少佐の言葉にツァイ艦長はうなずいた。
「ああ。 惨敗だが、とにかく生き残ったな。
ホリタ閣下のことが心配だが……」
だが間もなく、最後まで通信が復旧しなかった空母部隊から、最後の凶報が舞い込むこととなる。
「空母 《ケツァール》 より通信です!」
通信士が叫び、エルナンデス少佐が受け取って目を通した。
かすかな呻きにも似た声が耳に届き、ツァイ艦長は少佐の方をみやった。
少佐の顔から、再び血の気が失せている。
「少佐……?」
エルナンデス少佐は通信文から目を上げ、ツァイ艦長と目があうと、首をゆっくり振った。
「……空母部隊は 《ケツァール》 ほか3隻を残し全滅……そして……そして旗艦
《ガルーダ》 は撃沈を確認……」
ツァイ中佐は思わず息をのみ、上方を振り仰いだ。
あまりの犠牲の多さに心臓が凍り付き、ハイネセンへの帰途にあるという安心感も、その氷を溶かすにはまだ不十分であった。
* * *
後世、ランテマリオ星域会戦の終盤において帝国軍後背を突いたのは、通信基地JL77への増援部隊としていったんシュパーラ星系へ向かうことを命じられ、その後さらに命令が変更されて針路を誤り、大幅に遅れた第9辺境艦隊であったとする異説が唱えられている。
一部の記録によれば第9辺境艦隊のランテマリオ星域到着時間がヤン艦隊のそれに比べてわずかに早いとされることから、予想よりもはるかに早いヤン艦隊到着は、実はヤン艦隊ではなかったのではないか、というものであるが、この異説の支持者はほとんどいない。
単純にヤン・ウェンリー神格化の過程で退けられたというだけでなく、客観的に見て第9辺境艦隊の兵力だけでは効果的な奇襲はできなかったであろう、というのが大勢の見方である。
帝国側の資料でも、巡航艦 《オーバーハウゼン》
をはじめ多くの艦が同盟軍別働隊は数千隻以上であったとの証言を残しており、このことからも否定されている。
おそらく、わずかに早くランテマリオに到着したものの参戦の機会をつかみ損ねていた第9辺境艦隊は、そこへ到着したヤン艦隊と合流し、ヤン艦隊もまた第9辺境艦隊からいっそう広範囲な情報を得ることで、より素早く、かつ効果的に帝国軍への奇襲を成功せしめたのではないか、というのが通説となっている。
ランテマリオ星域会戦では同盟艦隊が壊滅的な打撃を受けたことは紛れもない史実であるが、その犠牲の規模は正確なところが後世に伝えられていない。
やむを得ぬこととはいえあまりにも性急に同盟中からかき集められたこと、この会戦よりわずか半月後には残存兵力の多くが次の作戦へと参加していくこと、そしてその参加は国防委員会の
「正式な」 許可が出ぬうちから進められたことなどが一因とされている。
むろんヤン元帥、ビュコック司令長官、アイランズ国防委員長らの間ではあらゆる運営が整合性を持って進められていたことは確かであるが、組織は充分に機能せず、個人の手腕によっていたという事実は、自由惑星同盟末期の英雄たちを輝かせるとともに、国家組織の没落をより強く印象づけることとなったのである。