9.
ランテマリオ星域会戦から生還した同盟軍艦隊がハイネセンに帰り着いたのは、宇宙暦799年2月13日のことであった。
同盟軍を全滅の淵から救ったヤン大将を、人々は歓呼をもって出迎えた。そして帰還から2時間後に元帥への昇進が発表されると、歓呼は何倍にもなって響き渡った。
若干32歳、同盟史上最年少の元帥は、本人の意思とは関係なく、同盟を覆う暗雲を払拭するかのような希望を人々に与えていた。
さらに数時間後、マスコミは 「新たな英雄」
の話題に一層わき上がる。 フェザーン駐在武官であったユリアン・ミンツという名の少尉が、ヘンスロー弁務官を救出し、帝国軍駆逐艦を奪取してハイネセンへ帰還するという冒険活劇を絵に描いたような活躍をしてのけたそうな。
しかもその少尉はかのヤン・ウェンリーの養子というのだから、一部マスコミの熱狂ぶりはますます加速されていた。
帰還後の様々な雑務が一段落したタチアナ・カドムスキーは、たまたま軍事宇宙港ロビーのスクリーンでミンツ少尉へのインタビューを見かけた。
「軍事機密」 を盾にマスコミの質問を封じた彼の戦術には苦笑したが、続いて彼の特徴的な亜麻色の髪を、どこかで見かけたような既視感にとらわれる。
その若き少尉が、実に2年も前、帰還兵歓迎式典でヤン・ウェンリー大将とともに会場を
「脱出」 した少年と同じ髪色であったことを思い出したのは、はるか後のことであった。
そして、当時と現在のあまりに大きな違いに改めて嘆息することとなるのである。
ヤン艦隊 「凱旋」 の陰で、大きな損害を受けた他の艦隊の帰還作業も粛々と続いていた。
宇宙港の一角では着陸したシャトルに作業員やロボットが駆け寄り、シャトルからおびただしい数のカプセルを運び出している。カプセルは大型の運搬車に搭載され、一杯になるとサイレンを鳴らして走り出していく。
運搬車は宇宙港に隣接する軍病院へ走り込み、専用の搬入口でカプセルを運び出した。それが終わると、また宇宙港へ走っていく。
次のシャトルの負傷者を病院へ運び込むために。
意識のない負傷者たちは、負傷の状態に応じて気圧や温度など各コンディションを調整したカプセルに横たわったまま、ベルトコンベアで運ばれていた。
艦医によって負傷の状況や緊急度、必要とされる措置などがカプセルのチップに記録された者は、適切な部署へと直接運ばれる。
だが、戦闘のさなかで充分な応急処置もままならず
「とにかく救急カプセルに入れられただけ」
という者も多い。 そうした者は順番待ちの列に加えられ、中にはそのまま息を引き取る者さえあった。
マスコミが取り上げず、市民の目にも触れないこの場所で。
「遺体があるだけマシ」 という遺族のつぶやきに、その深意を考えもせず安易にうなずいた国防委員は、後に野党の集中砲火を浴びることとなる。
《メムノーン》 は中破したとはいえ損害部分が局所的であったため、他の中破艦に比べれば負傷者数は少なく、艦医が適切な処置を行う余裕があった。
未だ意識の回復し得ないホリタが収容されたカプセルも比較的スムーズに扱われたことは確かであるが、何千隻もの艦艇の負傷者があふれかえるただ中では、やはりあらゆる措置が遅れていくことは避けようもなかった。
《メムノーン》 から軍病院に駆けつけたエルナンデス少佐も、上官の様態どころか今現在どこでどんな措置を受けているのかさえすぐには分からない状況に憤慨しつつ、待合室に腰を降ろすこととなった。
処置室は今がまさに戦場だった。 いや、ある意味、ランテマリオ星域会戦という戦いそのものがここではまだ終わっていないとも言えるのだ。
自走式の医療機器や担架がひっきりなしに行き交い、その間を医療関係者が走り回っている。
時折軍人も通り過ぎるが、どの顔にも人を寄せ付けない険しさがあった。
基本的には医療関係者と軍関係者以外は出入りできないのだが、中には一般市民と思しき人々もいる。
おそらく、傷病兵の家族なのだろう……。
しばらくして、近づいてくる足音に少佐は顔を上げた。
足音の主がタチアナ・カドムスキー大佐であることに気づき、立ち上がって敬礼する。
「ホリタ閣下は……」 不安げに問うエルナンデス少佐に、カドムスキー大佐はわずかに首を傾げた。
薄暗い照明の元でも、疲労の影が見て取れる。
「医局もてんやわんやだったけど……やっと第一次の診察結果を聞いてきたわ。
命に別状はないはずだけど、出血の時に低重力だったので身体の防御機構が充分働かなかった恐れがあるから……脳機能も含めて、何らかの傷害が残る可能性は否定できないそうよ」
エルナンデス少佐はしばし絶句し、再びソファに腰を降ろした。
「せめてもう少しスムーズに負傷者の処置ができていれば……」
「そうよね。でも、あまりにも多すぎる。 負傷者の数……というよりも、戦う将兵の人数が……会戦の、いえ、戦争の規模そのものが」
「ええ……まさか高級士官を優先して治療するわけにもいきませんし」
「ホレイショ・ネルソンね」 そこで初めてタチアナはかすかに微笑んだ。
「ホレイショ……? 人名ですか?」
「昔から、同盟軍であってもいろんなところで高級士官を優先しろ、なんていう馬鹿な連中はちょくちょくいたから、あの人……ホリタ少将がよく引き合いに出してたんだけどね」
ホレイショ・ネルソン…… 「艦隊」 といえば地球上の海の上を往くものであった時代の、艦隊司令官。
かのナポレオンの艦隊をうち破った、英国艦隊の提督である。
英国海軍の心臓とうたわれた名将で、ナポレオンもネルソンと対決することとなる海上の戦いは避けようとしていたという。
西暦1798年8月、ナポレオンを追撃するネルソン艦隊は、エジプトのアブキール湾でナポレオン艦隊を捕捉する。
この時ナポレオン自身はエジプトに上陸中であり、歴史に残る
「兵士たちよ、4000年の歴史が諸君を見ている」
という言葉を残したという。 ところがその間に海上では両艦隊が激突していた。
ナポレオン艦隊は海岸線に沿って縦一列に並び、砲門すべてを舷側に並べるという有利な陣形をとっていた。
現代の宇宙艦は艦首主砲が最大火力なので艦首を敵に向けることが肝要であるが、当時の海上艦は舷側から横方向へ砲身を突き出すスタイルだったので、側面を向けることで敵に火力をもっとも集中させることができたのだそうだ。
これに対し、ネルソンは艦隊を二つに分け、一方をナポレオン艦隊よりも浅瀬側にまで回りこませた。
こうして二つに分けた艦隊で敵を挟撃し、ほとんど全滅させる大勝利となった。
ナポレオンにとってこの敗北は衝撃的であり、まさに世界史の一つのターニングポイントであったという。
一部のマスコミはラインハルト・フォン・ローエングラム公を
「現代のナポレオン」 と称したが、焦土作戦でナポレオンに勝利したクトゥーゾフ将軍も、海戦でナポレオン艦隊をうち破ったホレイショ・ネルソン提督も、現代に現れはしなかった。
かろうじてヤン元帥がそうなってくれるかもしれないが……。
「で、艦隊戦で大勝利をおさめたネルソン艦隊だったけど、そのネルソン提督は戦闘中に砲弾の破片で頭部に重傷を負ったそうよ。
部下たちは提督を真っ先に治療しようとしたけど、彼は
『勇敢な仲間と共に自分の順番を待とう』 なんて言って拒んだというわ。
まぁ1800年も昔のことでどこまで史実かも定かじゃないし、あるいは美化された伝説なのかも知れないけどね」
「それにしても見習って欲しい人は大勢いそうですね。
しかし艦隊戦では大勝利したのに負傷するなんて……ブルース・アッシュビー提督のような逸話ですね。
それで、そのネルソン提督は助かったのですか?」
「そうらしいわ。 英雄なんかに例えられても迷惑だろうけど、あの人もきっと大丈夫でしょうよ」
エルナンデス少佐はわずかに笑みを浮かべてうなずいた。
歴史上の英雄に自分をなぞらえるような悪趣味はホリタ少将自身も間違いなく持ち合わせていないだろうとは思ったが、一方でやはり治療の順番を待つ方を選んだであろう、とも確信していた。