10.


 2月16日、チャロウォンク准将の 《アンドラーシュ》 は本隊より3日遅れてハイネセンに帰還した。 損傷艦を中心とした部隊を、工業惑星ジャムシードまで送り届けたためである。
 統合作戦本部での様々な雑務から解放されたチャロウォンクがファン・チューリン記念宇宙軍病院を訪れたのは、20時も過ぎた頃だった。 宇宙暦760年、統合作戦本部長にあったファン・チューリン元帥は、艦隊戦における負傷者救命のためいくつかのシステム改革を行ったという。 その功績を記念するためファン元帥の名を冠した病院は、宇宙戦による負傷者が多く収容されている。
 ランテマリオ会戦の傷病兵は、宇宙港に隣接する緊急処置施設から、要する治療の程度やその他の様々な条件でハイネセン各地の医療施設へと振り分けられつつあった。 ホリタも昨日、この専門病院に移されている。
 病室に入ったものの、ホリタの身体は大仰な医療機器に囲まれ、枕元まで近づくことはできなかった。 先に訪れて医者から様子を聞いているタチアナからは、命に別状はないもののまだ予断を許さぬ状況であることは聞いていた。
 第1辺境艦隊の最古参であったンドイ准将が戦死し、司令であったホリタ少将が重傷を負ったことは、辺境星域関係者にも少なからぬ衝撃を与えていた。 すでに何人かが見舞いに来ているらしく、サイドテーブルに昔ながらの見舞い品が積まれている。 その中の1本のビンがチャロウォンクの目にとまった。
 790年もののワインだった。
 それを持ってきたのがモートン中将であり、開戦前に二人でどんな会話があったのかは無論知るよしもなかったが、もともとホリタが特に酒好きというわけでもないことを考えると、その存在は特別な意味と意志を感じさせた。
 チャロウォンクはしばしホリタの顔を見つめていたが、やがて機器越しに敬礼すると、病室を後にした。


 朝方から降っていた小雨がやみ、わずかにさしはじめたバーラトの陽の光が式典会場を照らしていた。
 ランテマリオ星域会戦戦没者の追悼集会は、ここ数年間の中では比較的質素で小規模なものとなっていた。
 ハイネセンの人々は、参列者も、モニターを見る市民も、異様に無表情だった。 これまでのあまりにも巨大な犠牲にすでに麻痺しつつあったためかも知れない。 あるいは、元帥に昇進したヤン・ウェンリーに代表される 「残された希望の光」 が、迫り来る不安をかろうじて相殺した結果かも知れない。
 あるいは……。
 煽動者たるヨブ・トリューニヒトの姿がなかったことが最大の原因かも知れない、と、壇上のアイランズ国防委員長を見つつチャロウォンクはぼんやり考えていた。 辺境艦隊から集まった将官も多くが死傷しており、結果的にチャロウォンクは辺境艦隊出身者を代表する形で参加していた。
 実務に忙殺されている国防委員長は短いスピーチだけで退席したが、そのスピーチは簡素でありながら充分に礼儀的で落ち着いたものであった。
 集会が終了し、チャロウォンクは群がるマスコミを避け、会場の端を伝って出ようとした。
 そこへ彼を呼び止める声がした。


 振り返ったチャロウォンクは、風になびく少女の金髪をまぶしそうに見やった。
「ホリタ閣下のご様子はいかがですか?」
 ミリアム・ラスキーだった。
 4年前に父ヴィンセント・ラスキーを第3次ティアマト会戦で失い、そして今度は養父を失った少女に対し、チャロウォンクは形式的なお悔やみの言葉しかでない自分を呪っていた。
 そういえば、ホリタ少将もよく彼女の相談相手になっていたはずだ。 そのホリタ少将さえ、今は彼女の前にはいない。
「どうか気を落とさないように。 お義父さんからもうかがっていたが、そろそろ進路を決めなければならないんだよね。 この私で出来ることがあったら何なりと……」
 進路、と聞いてミリアムの表情がすっと変わったように見えた。 だがその意味まではつかみ切れなかったチャロウォンクは、口を閉じて彼女の顔を見つめた。
「去年ラムビスに帰省した時にもホリタ閣下にお話ししたんですけど……その時はまだ決心できなかったんですけど……」 ミリアムはいったん視線を逸らしたが、もう一度チャロウォンクの顔を見上げた。
「私……士官学校を受けます」 ミリアムは静かに、だが決意を込めた表情で言った。 「実父と養父と……私、二人の父のかたきをとりたいんです!」
 だが、そうすれば君と同じ遺族を今度は帝国側に生み出すことになるかも知れない……。
 無論そんなことは口に出せることではない。
 チャロウォンクは苦渋の表情を覆い隠し、そっと彼女の肩を抱いた。


 彼女の姿が見えなくなってから、チャロウォンクは空を仰いだ。
 − 見事だ! 見事だよ、政治家のセンセイがた!
 かつてホリタ少将は、戦争孤児を軍人の家庭で育てるというのは、養父が戦死すれば一生のうちに二回も同じ悲劇に遭うではないか、とチャロウォンクに語った。
 しかし、もしかするとその悲劇さえも、政治屋どもは戦争を続ける動力源とすることをたくらみ、トラバース法を制定したのではないか……!?
 高台より見下ろすハイネセンポリス。 そのすべてがくすみ、腐敗臭すら漂っているかのような嫌悪感が心をよぎった。
 この愚かな現実世界の中で、自分は何をなすべきか?
 ミリアムのために何かできることはないか?
 チャロウォンクは拳を握りしめ、もう一度ハイネセンポリスを見渡した。

 −そう、戦争を終わらせればいいのだ!

 終わらせる。 終わらせるとも! 彼女が軍人にならずに済むように! ホリタ少将をはじめ、自分にとって大切な人々が再び命の危険にさらされることのないように! 同盟の人命が、これ以上損なわれないために!!
 そのために戦いに参加し、勝利すること − それはある意味、結果的には政治屋どもと利害の一致することと言えるかも知れない。
「戦争を終わらせる」 − そのためには、単純に戦いに勝利すること以外にも、無数の選択肢があるのだろう。
 ジェシカ・エドワーズやベティ・イーランドのように戦争そのものに反対する道もあれば、ホワン・ルイやウォルター・アイランズのように政治の本道でコントロールしようという道もある。 ドワイド・グリーンヒル大将でさえ、現状を変えようと立ち上がった一人であったことは確かであろう。 その手段は決して肯定できるものではなかったが……。 誰もがそれぞれ、自らがよかれと思う様々な方法で闘ってきた。
 だが、これまで軍人として生きてきたチャロウォンクにとり、他の方法は想像は出来ても手の届かぬものと思われた。
 ならばよし、手の届く範囲でベストを尽くそうではないか。
 艦隊司令部では、すでに次の出撃のために公式・非公式の準備が始まっている。 第14艦隊の残存兵力もまた、そのほとんどが加わることを表明していた。
 チャロウォンクはモートン中将とともに艦隊再編成に取りかかるため、艦隊司令部へと足を向けた。


 宇宙暦799年2月末。ヤン元帥の元で、新たな作戦が始まる。



     第5部 完


          

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