2.


 情報部のジョンソン大佐と名乗る初老の人物がチャロウォンク少将に面会を求めてきたのは、ハイネセンを発つ2日前のことであった。
「お忙しいところ失礼いたします。 実は、エルナンデス少佐のことでおうかがいしたいのですが」
「少佐はここしばらく所用でいないが。 どんなご用件かな?」
「少佐の交友関係に関しまして、少々……」
「おいおい、警察の事情聴取じゃあるまいし。 いったい何があったというんだ」
 ジョンソン大佐は最初遠回しの質問から始めたが、チャロウォンクの口調にやがて回り道をやめて直線コースを進むことに決めたらしい。
「はっきり申し上げましょう。 亡命貴族のレナード……いや、レオナルド・フォン・オイゲン伯爵という人をご存じですか?」
「いいや」 チャロウォンクは即答したが、ややあってから記憶の深海をわずかにかき乱すような、かすかな既知感を覚えた。 「面識はない。 が……どこかで聞いたような気もするな。 有名な人かな?」
「いえ、残念ながら……」 そう答える大佐の顔に、一瞬意地の悪い笑みがひらめいたように見えた。 「ただ、閣下のおられた第1辺境艦隊には縁のある人物なんですよ。 覚えておいでですか、797年の救国軍事会議によるクーデターの時……」
 もしも相手が気心の知れた人物なら、チャロウォンクはあっと声を上げたかも知れない。
 あのクーデターの時……そう、チャロウォンク自身はその場にいなかったが、第1辺境艦隊が救った病院船 《フレミング》 に乗っていた亡命貴族……それがオイゲンという名前ではなかったか? たしか、かの有名なビッテンフェルト提督の幕僚と同じ姓で、血縁はないというが、そのためにホリタやチャロウォンクが記憶にとどめることとなった……。
「思い出して頂けましたか?」 まるで誘導尋問をするかのような大佐の態度に、チャロウォンクはあからさまに不機嫌な表情でうなずいた。
「それで、その亡命貴族が何か?」
「古い、古い話で恐縮です。 2年以上も前から、情報部はオイゲン伯爵を帝国のスパイの可能性がある人物としてマークしていました。 あくまでも 『可能性』 程度のことだったのですが……ところがクーデターが勃発した時、皮肉にもそのオイゲン伯爵の存在が病院船 《フレミング》 拘束のきっかけの一つとなり……いや、もちろん拘束そのものはスパイ云々と関係なく不当であったことは確かですが、ともかくそれがきっかけとなり、閣下をはじめ第1辺境艦隊が反クーデターに立たれたのですから、ある意味皮肉なことでした」
「私は何もしていない。ホリタ閣下の功績だ」
「ああ、なるほど……いや、失礼しました。 で、オイゲン伯爵とその一行は、クーデター終結の翌年にはヒパチアからこのハイネセンに移り住んでいることは分かっています」
「具体的な疑念でもあるのかね? ないなら、どの惑星に住もうが同盟憲章にも保証された自由だと思うが」
「あくまでもグレーゾーンです。 明確な疑念などがあれば、それはむしろ別の部署の管轄でしょう」
「それに、帝国のスパイといったってそれはゴールデンバウム王朝のことかね、ローエングラム体制のことかね」
「それは……」
「ゴールデンバウム王朝とは手を取り合おうと親愛なるヨブ・トリューニヒト氏が昨年全同盟へ向けて演説なすったはずだ。 それをいまさらどうしようというのかね。
 まぁそれはともかく、いったいそれがエルナンデス少佐と何の関係があるんだ」
「オイゲン伯爵には、エリザベス……いや、エリザベート・フォン・オイゲンというお嬢さんとオットー・フォン・オイゲンという息子さんがいます。 で、そのフロイライン・オイゲンとエルナンデス少佐との間でですな、何度か通信の記録がありまして、何やら浅はかならぬ関係の……」
「それがどうした?」
「は?」
「だからそれがどうした、と言ってるんだ。 さっき貴官は明確な疑念があるわけではない、と言ったな。 では誰が誰とどうしようが、個人のプライバシーまで踏み込むことは許されん。 あまつさえ通信の自由も侵害するつもりか?」
 ジョンソン大佐は肩をすくめて苦笑した。 おそらくこの程度の反論や批判には慣れきっているのだろう。
「はい、もちろん個人の権利を侵害しようなどという大それたことは考えてもおりません。 あくまでも念のため、ということですので」
「ならば私ではお役に立てることはない。 それにエルナンデス少佐も含め、我々はこれから宇宙空間で銀河帝国を迎え撃つ準備に精一杯なのだ。 あまり明確でもないことで、いらぬ猜疑心を引き起こすようなことはご遠慮願いたいものだな」
「ごもっともです。 ですが、私どもも国家のためをこそ思って動いておりますゆえ、何とぞご理解下さい。
 それに古来より、李下に冠を正さず、とも言いますぞ。 閣下もその点、ご配慮のほどよろしくお願いします……」


 ジョンソン大佐が退室した後も、しばらくチャロウォンクは腕を組み、無言で宙を見据えていた。
 宇宙暦797年4月。 救国軍事会議と称するクーデター一派がドワイド・グリーンヒル大将を担ぎ、辺境星域で反乱を起こさせ、ハイネセンを占拠した。 しかし当時のヤン・ウェンリー大将は反クーデターを表明し、クーデター派のルグランジュ提督率いる第11艦隊をドーリア星域で撃ち破った。 さらにはクーデターは帝国のラインハルト・フォン・ローエングラム公に使嗾されたものである、というバグダッシュ大佐の爆弾発言により、クーデター派の大義名分は地に落ちた。 もっとも、本当に使嗾されたものであったかどうかは様々な憶測が飛び交い、絶対の確信は得られていない。
 そういえば、そのバグダッシュという人物も情報部の人間だったはずだ。
 再びジョンソン大佐の老獪な顔が脳裏を占拠し、チャロウォンクはそれを追い出そうとするかのようにかぶりを振った。
 そして……同盟中枢がそうした大混乱の渦中にある時、第1辺境艦隊もまた、クーデター派による病院船 《フレミング》 拘束をきっかけに反クーデターを決断し、クーデター側についた第2辺境艦隊と戦うことになったのである。
 戦争そのものの是非は別にして、思えばあのクーデターに対抗して立ち上がった頃が、第1辺境艦隊の面々がいちばん団結し、輝いていた時だったのかもしれない。 無論、同盟軍同士が互いに相撃つという、本来もっとも忌むべき状況であったことは悔恨の念を禁じ得ない。 それに、軍人や軍隊が活躍するということ自体、いろいろな意味で素直に喜べないのだが……。
 だがその後、チャロウォンク自身も含め大勢の仲間が異動し、あるいは軍を去っていった。 ついには各辺境艦隊は解隊され、ランテマリオ星域会戦でホリタ少将は負傷し、ンドイ准将をはじめ大勢が戦死した。
 そして……
 チャロウォンクは渋い表情でデスク上の小さな端末を見やった。
 そこには、数時間前に提出されたエルナンデス少佐の辞表のコピーが転送されていた。