3.


 そしてハイネセンを立つ前日。
 出発前、未だ意識の回復せぬホリタの元を訪れたチャロウォンクは、ファン・チューリン記念宇宙軍病院の玄関ロビーで思わず驚きの声を上げていた。
「エルナンデス少佐! こんなところで……いったいどうなってるんだ。 辞表のことも……」
「申し訳ありません。 この後すぐおうかがいしてご説明しようと思っていたところだったんですが……」
「うむ……それより昨日、情報部のジョンソン大佐とかいう胡散臭いのが貴官のことを訊きに来た。 こんなところでは情報部に見つかるぞ」
「情報部なら……大丈夫です。 実は、情報部は今分裂しているんです」
 その言葉を聞いたとたん、チャロウォンクは諦めの気持ちで目を伏せた。
 一介の少佐、それも辺境艦隊出身者の知るはずもないところまでエルナンデスが知っているとすれば……ジョンソン大佐とやらの猜疑が当を得ていようがいまいが、すでに彼はかなりのところまで巻き込まれているのだ。 すでにチャロウォンクには計り知れないところまで、事態は進んでいるのだ……。
 そんなチャロウォンクの様子には気付かぬように、エルナンデスは言葉を続けた。
「2年前の、救国軍事会議によるクーデターの時のことです。 クーデターには当時のブロンズ中将ら情報部の最高幹部も参加していたため、クーデター鎮圧後、情報部は致命的な打撃を受けました。 ただ、その後の組織改革でだいぶ刷新されたとはいえ、ブロンズ中将の元にいた旧主流派は、今もそれなりの派閥を形成しているそうです。
 それでその旧主流派が、クーデターの時問題になったいくつかのことを蒸し返し、掘り返しているようです。 そしてクーデター全体はともかく、情報部としての行動は間違っていなかったという大義名分をでっち上げようとしているんです」
「……そんなバカなことにうつつをぬかしているのか、地上の奴らは!!」
 チャロウォンクは居場所も忘れて思わず大声を上げていた。 この間のランテマリオ会戦戦没者追悼集会の時に感じた怒りが、再びこみ上げてくるのを感じていた。
「少佐、一緒に行こう! 私の艦隊の参謀になってほしい。 宇宙に出れば、そんな奴らに手出しはさせん!」
「いえ……閣下は自由惑星同盟のために戦わねばならぬ身。 私ごとき一個人のために、閣下にはご迷惑はかけられません」
「個人の権利を守るのに遠慮することはない。 個人の権利のためなら、国家組織をも利用すべきだ! それが民主国家というものだろう!?」
「ありがとうございます。 ですが、私もその個人の権利のため、その闘いのために、ハイネセンに残らせて頂きたく存じます。
 わたくしの身の潔白は命を賭けて誓わせて頂きます。 ですがその証明を行う前に、閣下にご迷惑をおかけするかも知れません。 それに、証明のためにはやはりハイネセンにいた方が良いと思われますので……」
「……そうか……分かった、健闘を祈る」
「閣下も、ご武運をお祈りいたします」
 エルナンデスは敬礼し、チャロウォンクも答礼してから右手を差し出した。
「戦いが終わったら……またハイネセンで会おう」


 チャロウォンクを見送ったエルナンデスは、道路の反対側に停車している車に近づいた。 中には彼と同年代に見える男が座っている。 その男は、黒と銀の銀河帝国軍軍服を着ていた。
「どうも、お待たせしました」
「よろしかったのですか、エルナンデス少佐……」
「私はもう少佐じゃありませんよ」
「……では、ヘル・エルナンデス。 これから宰相府へ向かいますが……ご依頼を詳しく説明して頂けますか?」
「はい。 実は一人、預かっていただきたいのです、シュナイダー中佐」


 銀河帝国 “正統政府” 宰相府前に、帝国の軍服を着た男たちが並んでいた。
 宰相府より一人の老軍人が現れた。 ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ。 銀河帝国正統政府の軍務尚書という形だけの肩書きよりも、ヤン・ウェンリーの客員提督として歴史に名を残すことになる宿将。
 シュナイダー中佐が進み出て敬礼し、続いて後ろの男たちを振り返った。
「これが帝国正統政府軍の全員です。 どこまでも閣下のお供をすると申しております」
「ああ……」 メルカッツは口を開いたが、すぐに諦めたようにかぶりを振った。 「好きにするがいい。ここは自由惑星同盟だ」
 5人は一斉に敬礼し、メルカッツ、シュナイダーの後に続いた。
 その5人の名前はベルンハルト・フォン・シュナイダーの記録によって後世に伝えられたが、その5人がどのようにしてメルカッツらと行動を共にするようになったのかまでは、詳しく伝わっていない。 ましてそのうちの一人、オットー・フォン・オイゲンの事情と彼に関わった人々のことまでは正式な記録は残されていない。
 7人の 「正統政府軍」 の出発を、エルナンデスは離れた場所から見届けていた。 振り返って、背後にいたコート姿の男に頷く。 男は頷き返すと、彼を促して歩き始めた。
 メインストリートを横断する時、男はふと空を見上げた。 はるか高空へと上昇していくいくつもの光点がビルの合間から見える。
 衛星軌道上の宇宙艦隊へ乗り込むため、ハイネセン軍事宇宙港を飛び立ったシャトルだった。
 男は別れの挨拶をするかのように、シャトル群に向かって右手を掲げた。
 その後ろで、エルナンデスは敬礼していた。 おそらくシャトルの一機に乗っているであろう、チャロウォンク少将を思いながら。
「さ、いくぜ」 男は振り返ると、背後のエルナンデスを促した。 エルナンデスは自分をシュナイダー中佐に引き合わせてくれた情報部の非主流派 − バグダッシュ大佐の後を追って駆け出した。