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 宇宙暦799年2月末から4月にかけて、事実上の同盟軍本隊となった 「ヤン艦隊」 は、周知のように後世から軍事学上の最高峰とまで讃えられるほどの成果を上げている。
 この時期ヤン艦隊のとった作戦は、特定の根拠地を持たず、一戦ごとに補給地を変えることを基本としたものであった。 ヤン艦隊が同盟領各地に散らばる84ヶ所の補給基地いずれに潜むかを掴みかねる帝国軍からすれば、いわば 「同盟領それ自体がヤン艦隊の基地」 であり、 「正規軍によるゲリラ戦」 として、帝国軍の名だたる名将たちをも恐怖させたのである。
 実のところ、この戦略は当初から積極的に考えられたものではなかった。 いかに補給基地といえども、常に無尽蔵の資源を有しているわけではない。 この時すでに軍全体の物流システムが疲弊し切った状況にあり、それぞれの補給基地が恒久的な根拠地となりうるだけの能力を維持しきれなくなっていた、というやむを得ぬ事情があったのも事実である。
 しかしその逆境を逆手に取り、より積極的な戦略案を実現させたヤン元帥が賞賛されるのも当然であろう。
 一方、同盟中に点在し、いつ帝国軍が襲ってくるかも分からない状況下で、ヤン艦隊を支援し、かつその宙域の治安や避難に最後まで奮闘し続けたそれぞれの基地要員のことも忘れてはならない。 現にバーミリオン会戦前に帝国軍が同盟領各地に散った後、帝国軍と遭遇して抗戦の末全滅したり、行方を断った部隊もあったのである。
 そしてヤンの作戦を理解し、同盟領全体を俯瞰してヤン艦隊による各基地の効率的な利用を可能とするため、公式・非公式の様々な措置を行ったビュコック司令長官やチュン・ウー・チェン総参謀長の貢献も、なくてはならないものであった。
 これら同盟全土をあげた支援を受け、2月末にはヤン艦隊が最初の一撃を帝国軍に与えることとなる。


 ランテマリオ星域会戦で同盟軍を破った帝国軍は、ガンダルヴァ星系の惑星ウルヴァシーを占領し、ここを恒久基地化しつつあった。 イゼルローン回廊からこのウルヴァシーへ大補給船団が向かっているとの情報を得たヤン元帥は、すぐさま艦隊を帝国軍補給船団との邂逅コースへ向けた。
「我々の目的は、あくまで補給部隊が襲われたという心理的打撃を帝国軍に与えることだ」
 主だった将官を前にした会議で、ヤンは作戦案を説明していた。 この時期、ヤンは普段よりも詳細に作戦の内容や意図を説明している。 古くからヤン艦隊の一員として戦ってきた者たちだけではない、 「寄せ集め」 部隊であることを認識した上での配慮だったのかも知れない。
「……だから、敵護衛艦隊を完全に撃滅する必要もないし、補給船の物資を無理に接収する必要もない。 大半は無人だろうから、最初から一気に破壊してしまってかまわない」
「せっかくの物資だがな」 小声でつぶやいたのはキャゼルヌ中将である。
 しかし無論ヤン元帥に反対してのことではない。 気心の知れた者が先に口に出してしまうことで、他の者が思い悩んだりいらぬ議論になることを防ぐ意図があったのであろう。
「アムリッツァとほぼ攻守ところを変えたといったところですかな」
 作戦案を示された将官たちはそうつぶやきあった。
 確認された敵の護衛艦隊は約800隻。
「さすがにかつてのどこかの司令部ほどじゃあないってことですか」
 そうつぶやいた者もいたが、その声はあくまで可聴域以下であった。
 宇宙暦796年、かのアムリッツァ会戦に従軍した者にとり、会戦に先だって同盟軍の補給艦隊が帝国軍に殲滅されたことは、これ以上ない苦い経験として今も心にのしかかっている。 しかしアムリッツァと違うのは、かつて同盟軍補給部隊を襲った敵はあくまで敵軍の一部だったのに対し、今回の同盟軍にはもう 「後がない」 という点であった。


 帝国軍護衛艦隊からの急報で敵が来援する前に決着を付けるべく、ヤン艦隊は圧倒的火力で護衛艦隊を叩きのめした。 救援要請が敵陣に届くのを少しでも遅らせようと二重三重の妨害シールドを準備した同盟軍であったが、警戒態勢を怠っていたと見られる帝国軍護衛艦隊は、救援を発信する間もなくなぎ倒されていった。 800隻といえども、一個艦隊の全面攻撃の前では蟷螂の斧にもなり得ない。 護衛艦隊が全滅しなかったのは、あくまで同盟軍が敵の殲滅を目的とせず、短時間で攻撃目標を輸送船団に向けたからにすぎなかった。
 護衛艦隊を一瞬で葬った暴風は補給コンテナ群に襲いかかった。 無人のコンテナは艦隊戦の中にあっては巨大な標的に過ぎない。
 嵐の過ぎ去った後には、コンテナの残骸とわずかに生き残った護衛艦隊がエネルギーの余波に漂うのみだった。

*              *              *

 帝国軍の公式記録によると、この護衛艦隊を率いていたゾンバルトという名の少将は、任務失敗の責任を取る形で自決を命じられている。 それからしばらくの間、彼の名は当時の帝国軍将官の中ではもっとも不名誉な一人として語り継がれることとなった。
 しかしながら、一方でゾンバルトに対し同情的な意見も根強い。 確かにゾンバルト自らが志願した任務であり、定時連絡の滞りなどを見れば、ゾンバルト自身にも責任なしとは到底言えない。
 だが複数の提督が個人的に残した記録によれば、ヤン艦隊が全力を挙げてこの輸送船団を襲う可能性をローエングラム公も想定していたことは間違いなく、ミッターマイヤー提督が護衛の任に当たることを申し出ているが、ローエングラム公自身がこれを退けている。
 生き残った巡航艦のデータによれば、輸送船団を襲った同盟軍は約1万7000隻。 これは、同盟側資料に記録された、当時のヤン艦隊全兵力とほぼ一致する。
 歴史家たちは語る。 司令官の素質如何に関わらず、1万7000隻の敵に襲われれば、800隻程度の護衛艦隊で如何ほどのことができようか?
 もしも、ミッターマイヤー提督でなくとも、この時一個艦隊を護衛に付けていれば、はたしてどうなったであろうか? その後のバーミリオン会戦に至るまでの戦局も変わったのではないか?
 無論、当時のヤン・ウェンリーの完璧とも言える戦術を前にしては、たとえ一個艦隊が護衛にあたっていたとしても、やはり輸送船団は著しい被害を受け、最終的には史実と同じ経過をたどったであろう、という意見も強い。
 であればこそ − いかに対処しようとも輸送船団の壊滅が歴史の必然であったならば、なおのこと − ゾンバルトという一個人がどんな人格と能力の持ち主であったにせよ、彼一人を批判し、責任を負わすことが正当な評価といえようか?
 しかしながら、歴史に燦然と輝き続けることとなる巨星がひしめき合ったこの時代を振り返る時、その巨星の狭間でそれぞれの輝きを放っていた無数の星々にまで、改めて後世からの光が照射されることはほとんどない。 それは、帝国でも同盟でも同様のことであった。