5.


 3月1日。 ヤン艦隊を捕捉すべく出撃していた帝国軍艦隊は、同盟軍の一部隊を発見して追撃にはいった。 それは、ことさら目立つように周辺宙域を徘徊するよう命じられていた、ビューフォート准将麾下の機動部隊であった。
 この時、ヤン艦隊本隊はライガール、トリプラ両星系の中間に布陣しつつあった。 しかしそれは、この宙域に存在するブラックホールの危険宙域ぎりぎりに位置するという常識外れのものだったのである。
 チャロウォンク少将の 《アンドラーシュ》 率いる機動部隊は、艦隊の最後尾 − すなわちブラックホールにいちばん近い位置にいた。 戦いが始まれば、緒戦は帝国軍からもっとも離れているが、ヤン提督の狙い通りになれば − その時は最前線に位置することとなる。
「ブラックホールを背にするとは心強いものだな」
 チャロウォンクは苦笑とともに背後に控えるハルメニ中尉を顧みたが、中尉は冗談とも何ともつきかねて曖昧に微笑んだ。 ハルメニ中尉は今回初めてチャロウォンクの下についた副官で、先月まではハイネセン近傍の星系守備隊にいたらしい。 それが堅苦しい職場だったのか中尉自身の気質なのか、あまり軽口に乗るタイプではないらしい。
「……中尉、ブラックホール観測班は何と?」
「はい、ここ6時間、安定を続けています」
「よし、引き続き観測を続行してくれ」
 ビューフォート艦隊は 「追撃」 されつつもすでに本隊との合流を果たし、そのビューフォート艦隊を追ってきた帝国軍が次第に迫りつつあった。
「敵艦隊との距離、6光秒を切りました! 急速接近中!」
「全艦隊、凸形陣!」
 ヤン艦隊を狙って進撃してきた帝国軍艦隊は、敵を半包囲しようと両翼を左右に広げ始めた。 このまま半包囲が完成すれば、同盟軍はブラックホールと帝国軍との間で完全に包囲されるはずであった。 が −
「全艦、全速前進!」
 ヤン艦隊は密集隊形のまま、弾かれたように突進を開始した。 意表を突かれた帝国軍は、半包囲を企図してなまじ陣容を広げて薄くしてしまったためもあり、あっけなくヤン艦隊の中央突破を許すこととなった。 もしも、帝国艦隊が包囲を試みずに密集隊形のまま一定距離を保って正面決戦を挑んだとすれば、ヤン艦隊は前進することができず、不利な状況に陥る可能性もあったのである。
「敵陣突破!」 左右に広がった帝国軍の陣容を、同盟軍の最後尾が通過するのにそれほどの時間はかからなかった。
「全艦、180度回頭!」 チャロウォンクはじめ後衛の指揮官たちが一斉に叫び、最後尾の戦艦群が急速反転する。 「主砲斉射! 撃ちまくれ!!」
 反転した後衛部隊が、突破したばかりの帝国軍に背後から全力砲撃を浴びせかける。 その間にヤン艦隊は急速に左右へ展開し、帝国軍を逆に半包囲体勢においた。
 包囲された帝国艦隊も反転して密集隊形をとり、ヤン艦隊の戦法を真似て、中央突破でもう一度入れ替えようとする − しかしそれはヤンの予想の範囲内にあった。 密集しようとする帝国軍の陣形の先端は、まさに同盟軍の形作った凹面鏡の焦点に位置し、焦点に向かって集中するエネルギーが帝国軍の陣形を突き崩した。
 密集することを阻まれた帝国艦隊はブラックホールとヤン艦隊に挟撃される形となり、突出して撃破されるか、後退して潮汐力に挽き潰されるかという極めて不本意な二者択一を迫られることとなった。
 やがて帝国軍司令官は、前進でも後退でもない第三の道を選択する。 それは90度転回してブラックホールの外縁、シュワルツシルト半径ぎりぎりに突進、ブラックホールの重力を利用したスイングバイで加速して脱出する、という大胆なものであった。 しかしこの軌道は敵に対して側面をさらすこととなる。 側面への全力砲撃を受けて帝国軍はさらに多くを失い、最終的に生還した艦は二割にも満たなかったという。
 その頃、増援に駆けつけてきた別の帝国軍艦隊がすでにヤン艦隊の背後に迫りつつあった。
「陣形を巡航対応にして戦艦群を外縁に、急げ!」 敵艦隊の壊滅を見届けたチャロウォンクは、あらかじめ伝達されたとおり、次の敵が来るまでに 「逃走」 する指示を出す。 が、そこへハルメニ中尉が慌てた風で割り込んできた。
「お待ちください、閣下! 作戦変更の暗号文です!」
「何? 解読急げ!」
「は、ここに」
 中尉の差し出す文に目を通したチャロウォンクは、1.5秒ほど眉をしかめ、続いて中尉に顔を向けた。
「どういう意図だ、こりゃ」
「さぁ……」
「とにかくこの通りに急げ!」
 その指示は、敵が射程距離に入る直前に主砲を三連斉射し、その後ライガール星系方面へ整然と後退、という奇妙なものだった。 しかし −
「おい、こいつは……単純に逃走じゃなくて、攻勢に出るつもりだぞ、ヤン提督は」
 続いてフィッシャー中将より伝えられた陣形は、高速戦艦を前面に押し出した突撃型の陣形だったのである。
 ヤン艦隊目指して突進してきた帝国軍は、敵の不可解かつ無意味な三連斉射に奇計の存在を恐れて一旦後退し − その瞬間を突いて反転攻勢に出たヤン艦隊に、一気に叩きのめされることとなったのである。


「まいったな、立て続けに二個艦隊をうち破るとはね……」
 チャロウォンクはシートに身体をあずけると、つぶやくように言った。
「以前も感じましたが、改めて恐ろしさすら感じます」
 特に返事を期待していた訳ではなかったため、チャロウォンクはおや、とハルメニ中尉を見やった。
「妙な言い方だが、まったくヤン提督が敵でなくて良かったよ。それにしても、以前とは?」
 普段無表情な中尉に、複雑な表情が浮かんだ。
「ええ……小官は実はあの救国軍事会議のクーデターの際、軌道ステーション駐留守備隊にいまして……あの時はクーデター派と対峙しつつ、数ヶ月の膠着状態にありました。 そこへ……巨大な氷塊が目の前を通過していくのを見たんです」
「アルテミスの首飾りをぶっ壊したやつだな」
「ええ。あの瞬間は、あまりにも圧倒的な事態の変化に、反クーデター派もクーデター派も凍り付いていました。 その時ですね、何というか……あれは恐怖にも似た気持ちでした」
「なるほど、分かるような気がするな」
 あるいはそれは、善悪や正邪をも超えた、巨大なもの、圧倒的なものに対する畏怖の念と言われるものかも知れない。「神」や「大自然」を失い、畏怖の念を忘れて久しい人類にとり、歴史を動かす「英雄」が新たな対象となるのであろうか……。


 3月下旬には、帝国軍が同盟軍補給基地を目指して出撃したことが確認される。 物資の強奪を狙っていることを洞察したヤンは、巧みな偽装工作を施した輸送船団をでっち上げた。 無人の輸送コンテナに自動射撃システムを組み込み、輸送船団が敵の手に落ちる頃を見計らって四方にビームを放つようセットしておく。帝国軍がこれをコンテナ内に敵兵が潜んでいるものと勘違いして砲撃すれば − 物資の代わりに液体ヘリウムを満載したコンテナは巨大な核融合爆弾と化し、帝国軍を内側から突き崩すのだ。
 ヤンの狙いどおり罠にはまり込んだ帝国艦隊は、この機を狙っていたアッテンボロー艦隊によってしたたかに叩きのめされた。 すでに挽回のしようもないと判断した帝国軍はすぐさま撤退を開始したが、勢いづいた同盟軍によってさらに無視できぬ損害を強いられることとなった。
 潰走する帝国軍とは対照的に、同盟軍は勝利の歓声に沸いていた。
 同盟領内を移動しつつ様々な 「不正規兵」 を加え、いわば烏合の衆となりつつあったヤン艦隊ではあったが、これらの連戦の勝利こそが、烏合の衆でしかなかった最後の同盟軍をまとめあげ、後のバーミリオン会戦で、ヤンの完璧なまでの指揮を受けて奮闘する下地となったのである。
 宇宙暦799年4月6日。 帝国軍各艦隊が各方面へ散った情報を得、同盟艦隊は敵将の待ち構えるガンダルヴァへと進路をとった。