6.
宇宙暦799年4月11日、小惑星ルドミラの補給基地に拠った同盟軍は、決戦前の最後の補給を行っていた。
「司令官よりの伝達事項だ。 本日24時まで自由行動とする。
半日だけだが、最後の休暇だ。 みんな、思い残すことのないように」
ムライ中将の放送を聞いた将兵は皆手を止め、それぞれの表情でこの半日になすべきことに思いをめぐらせていた。
いくつかの信頼できる記録によれば、この時ヤン元帥がフレデリカ・グリーンヒル少佐にプロポーズしたと言われている。
それは人類史に記録されるべき出来事の一つであったことは確かであろう。
しかしこの時間帯は参加した将兵190万7600名すべてにとっても、人生という個々人の歴史の中でとりわけ貴重で重要な時間であったこともまた、疑いようのない事実であった。
タチアナ・カドムスキー大佐は、マリノ准将との打ち合わせ中にムライ中将の放送を聞いた。
工作艦や補給艦、病院船などあらゆる雑多な艦種が混在する支援部隊の統率は、実戦部隊とはまた別の意味で、困難で重要な任務である。
第14、第15艦隊といった主力艦隊も各辺境艦隊も事実上解体された今、各艦隊でそうした支援部隊を指揮した経験者は、マリノ准将の元に再編されつつあった。
タチアナもまた、マリノ准将麾下で戦闘に臨むこととなる。
解散後、皆が思い思いの方向へ散っていく中で、タチアナは見知った顔を見つけた。
「あら、パク大尉……」
タチアナを認めたパク・ミンファは、小走りで駆け寄ってきて敬礼した。
ランテマリオ会戦から生還し、自ら志願してヤン艦隊に加わった元第14艦隊所属の空戦隊員は、空母
《ケツァール》 を母艦とする一個中隊に再編されている。
パク・ミンファはそのまとめ役の任にある。
「どう? あなた……ちゃんと思いは遂げられた?」
パク大尉は照れたような表情を浮かべ、首をわずかに横に振った。
今から3年前……アムリッツァ会戦の折、彼女は一機のスパルタニアンに命を救われた。
そのパイロットに会いたいという想いを抱いていたのだが……会ってどうするのか、何を話すのかもまったく考えの浮かばぬまま、ただ一度だけでも直接会いたいという想いだけを持ち続けてきたのだった。
「駄目だよ、これが最後のチャンスかも知れないんだから。
あなたってなかなか言い出せないタイプだし……それにあのポプラン少佐みたいなのに言い寄られてるんじゃないかって心配してたのよ」
「あ、あたしなんて……大佐こそ大丈夫でしたか?」
「ははは、いくらポプラン少佐でも、まさか10歳近くも年上なんて興味ないでしょうよ」
そこでタチアナは肩をすくめた。 「……とは思ってるけど、まるで見境ないしねえ、あの御仁は」
パクが今度ははっきりした笑顔を見せると、タチアナもにこやかに微笑んだ。
「大佐はこの後どうなさるんですか?」
「そうね。 まず手紙をいくつか書いて……あとは士官学校の同期や先輩がいるから、一緒にね」
並んで歩いていると、二人の脇を髭面の壮漢が追い越していった。
追い越しつつ、おどけ気味の敬礼とともにタチアナに声をかける。
「ターニャ、先に行ってるぜ」
パクは慌てて敬礼してから、タチアナの顔を見た。
「お知り合いですか?」
「ええ。 中佐だけど私の大先輩でね。 もと第15艦隊所属の、巡航艦
《ナルビク》 艦長よ」
同盟軍最後のエッセンスとも言うべき各残存部隊が集結したここでは、知己に出会う確率も必然的に高くなる。
無論、この場にいない知己 − それも会いたくても会えない人々も多い。
そして今こうしてここに集まっている者同士でさえも、次に会える機会を得られるか否かは分からないのだ……。
「いい? 後悔しないようにね」
別れ際、タチアナはパクの肩に手を置いて言った。
パクはしっかり頷くと、階下のフロアへと降りていった。
後世に伝えられた手記の一つによれば、パク・ミンファが会いたかったという人物は休暇時間を
「部屋で寝ている」 と語ったという。 実際にそうだったのか、あるいはわずかでも誰かと会うことがあったのか……それは永遠の謎である。
何しろ 「部屋で寝ている」 と聞いたとされる証言者をはじめ、ほとんどの者がこの時間中は自分のことで精一杯だったのだから。
そして、その人物の名前はタチアナ・カドムスキーの残したごくわずかなメモの中には記されなかったため、後世の作家たちがその著名な人物の伝記を著す際、パク・ミンファという名を結びつけて考えることはなかった。
チャロウォンク少将は士官食堂でモートン中将、アッテンボロー中将と同席していた。
チャロウォンクにとってモートンはランテマリオ会戦当時の上官であり、アッテンボローは過去一度だけだがホリタを通じて会ったことがある。
他愛ないうわさ話から、会話は自然と迫り来る戦いのことへ流れていった。
「ヤン元帥の基本戦略は、ローエングラム公を倒すことにあるそうですな」
チャロウォンクが話題をふると、アッテンボローがカップに視線を落としたまま頷く。
「つまり、もしもローエングラム公自身が倒れれば、ナンバー2も後継者も定まっていない帝国軍はいったん引き返さざるを得なくなる……」
「見事な洞察だと思う。 しかしだな……」 そこでモートンは二人を交互に見た。
「その点は我が軍も同じではないかな」
「と言われますと?」
「いささか不謹慎な想定ではあるが、もしも万が一、ヤン元帥が倒れられたら……」
「そんな縁起でもない」 アッテンボローが冗談めかして言ったが、チャロウォンクは真顔でうなずき、
「いや、たしかに大勝利をおさめながら、最後の瞬間に敗残兵の流れ弾に倒れたブルース・アッシュビーの例もありますし、可能性はゼロとは言えませんな」
「そう。 それに事故やテロの可能性だってある。
あるいは政治家の謀略、あるいは……」
本人の自主的退役……とアッテンボローは心の中で付け加えたが、口には出さなかった。
ヤンがしきりに辞めたがっているという事実は、あまり知れ渡ってはいない。
「もし仮に、あくまで仮にだが、ヤン元帥の存在を抜きにして考えた場合、同盟全軍を糾合しうるだけの人望ある人物が、はたしているだろうか」
モートンの言葉に、アッテンボローとチャロウォンクは腕を組んで考え込んだ。
三人の頭の中に候補者が浮かばないわけではなかったが、少なくとも今現在最前線にいる者の中では、という条件において、ヤン元帥をおいて他にはいないという点で誰も異論はなかった。
「ヤン元帥がいなければ、我々はただの烏合の衆というわけですか」
チャロウォンクは天を仰いで嘆息した。
「今だって似たようなもんだけど……」 とアッテンボロー。
「だから、その烏合の衆をまとめあげているヤン元帥がいかに偉大か、ということだな」
「そういえば……」 別れ際、突然モートン中将がチャロウォンクを振り返った。
「ホリタ少将は順調に回復しているそうだな?」
「ええ、まだまだ当分は入院生活のようではありますが」
「そうか……実はランテマリオ星域会戦に先立ってな、生きて帰ったら790年もののワインを一緒に開けよう、と話していたんだがね」
チャロウォンクは未だ意識が戻る前のホリタを見舞った時、見舞い品の中にワインの瓶があったのを思い出した。
そうか、あれはモートン中将が持ってこられたものだったのか……。
「生きて帰ったら……今度こそその約束を果たしたいものだな。
その時は、貴官も一緒に来い」
「は、喜んで」
二人は敬礼をかわすと、それぞれのベルトウェイに乗った。
休暇時間の終わりがちかづくにつれ、大勢の将兵が最後に回る場所へ向かったり自分の持ち場へ戻るため、それぞれのベルトウェイを足早に通り過ぎていく。明日以降、それぞれの歩む先にあるものを、まだ誰も知らない……。