7.


 宇宙暦799年4月。 自由惑星同盟と銀河帝国の戦いは、ヤン・ウェンリーとラインハルト・フォン・ローエングラムの二人の対決に収束されつつあった。 むろん個々の部署、個々の将兵の努力がなければ艦隊も補給基地も機能せず、その貢献を見逃してはならない。 しかし、両国の命運そのものが今やこの二人の肩にのしかかっていたこともまた、紛れもない事実であった。
 存亡の危機に立つ自由惑星同盟が逆転するためには、ラインハルト・フォン・ローエングラムという一個人を戦場で倒すこと。 そうすれば、ナンバー2も後継者も定まっていない帝国軍は撤退せざるを得なくなる − それがヤンの出した結論であり、ラインハルトもまたその結論を正確に洞察していた。
 名だたる用兵巧者を次々と撃破された帝国軍が最終的な勝利を収めるためには、ヤン・ウェンリーという一個人を戦場で倒すこと。 そうすれば、すでに量的な戦力の失われている同盟軍は質的にも完全に瓦解する − それが帝国軍の出した結論であり、ヤンもまたその結論に従って帝国軍が動くことを期待していた。
 ヤン・ウェンリーがこの年の2月から4月にかけて帝国軍を立て続けに破ったのは、ラインハルトを引っ張り出して直接対決を挑むためであった。 ラインハルトが麾下の艦隊の大半を同盟の各方面へ送り出したのは、自身が 「囮」 となってヤン・ウェンリーを引っ張り出し、直接対決を挑むためであった。
 ガンダルヴァの前線基地から帝国軍各部隊がそれぞれの方向へ進発した時、ラインハルト自身もまた直属艦隊を率いて同盟首都のあるバーラト方面へと進発した。 これにより、ヤンはラインハルトがバーラトへ到達してしまう前に直接対決を強いられることとなる。
 各地へ散った帝国軍ができるだけ遠ざかり、一方でラインハルトの首都への進撃を阻止するには余裕のあるポイント − この相矛盾する条件を可能な限り満たす宙域は、おのずと限られてくる。
 こうして自由惑星同盟と銀河帝国を代表する二人の意図は、見えざる運命の糸に導かれるかのようにバーミリオン星域へと収束していったのである。


 4月24日、バーミリオン星域に布陣した同盟軍は、2000組の先遣偵察隊をもって索敵を続けていた。 バーミリオンはすでに活動期を過ぎつつある恒星で、太陽風などによる擾乱範囲は少ない。 それでも一つの星系をくまなくカバーすることは、ちっぽけな人間という存在には容易なことではなかった。
 やがて偵察隊の一つが、銀河の星々を覆い隠すかのように新たな光点群が沸き出すのをとらえた。
「帝国軍主力部隊発見! 我が隊よりの距離は40.6光秒! 至近です!」
 この時両軍は正面衝突ではなく、互いに数光分も離れてすれ違うコースをとっていた。 ヤン艦隊は減速して弧を描きつつ帝国軍の方向へ進路を変更するが、帝国軍はそのまま直進を続けていた。 その先には、バーミリオン星系で最大のガス状惑星がある。
 帝国軍は艦隊速度を制御するためにそのガス状惑星を回り込むであろうこと、その後両軍が接触するのは約5時間後になるであろう、と 《ヒューベリオン》 のオペレーターは算出した。 おそらくその過程で艦隊陣形を整えるのだろう。 何らかの奇計を準備するかも知れない。
 いくつかの強行偵察部隊を敵軍の予想軌道に配置しつつ、ヤン艦隊は3時間の休憩に入った。
 この時、期せずして帝国軍も3時間の休憩に入っている。 これをもって後世の歴史家たちの中には、ヤン・ウェンリーとラインハルトが共通の素地を持った同タイプの天才であるかのような単純な神格化に傾倒する者もいるが、両軍の接触時間が判明すれば時間は同じものとなるであろうし、休憩時間の間にも行われた戦闘準備は、両軍の事情に応じてそれぞれかなり異なるものであった。
 14時15分、ガス状惑星の向こう側に出現した帝国軍は、今度こそ同盟軍と正面衝突のコースにあった。
「総員、第一級臨戦体制!」
 全艦艇を急報が駆け抜け、見えざる緊張の糸が全将兵をしめあげる。
「敵との距離、84光秒!」
 1万7000隻の艦艇は決戦に備え、あらかじめ伝えられた作戦案にのっとり陣形を整えていく。
 両軍の探知網が全力で敵を探り、敵の相対距離や陣形をリアルタイムで解析していく。 陣形全体のデータだけでなく、小集団や個々の艦艇の配置、速度まで探って、敵の行動を予測するのだ。 こうしたデータには敵が意図的に流す虚偽の情報も含まれるため、解析はより一層困難なものとなっている。
 砲手たちは火器制御システムに指をかけつつ、緊張が指の動きを奪わぬよう孤独な闘いを続けていた。 基本的には全軍統一の自動制御機構によって自動化されてはいるが、個々の艦艇、個々の部署における瞬間的な判断が必要な場合も多く、ある程度砲手たちにゆだねられている。 しかし、緊張のあまり砲撃命令前に発射ボタンを押してしまったり、逆に命令があっても指を動かすことができなかったという例は、ベテラン兵にさえ多い。
 緊張の水位は刻一刻上昇し、今にも決壊しようかと思われた頃 −
「敵軍、イエローゾーンを突破しつつあり! 完全に射程距離に入りました!」
「撃て!」


 全人類の中でその名を知らぬもののない、ヤン・ウェンリーとラインハルト・フォン・ローエングラムの直接対決。 好戦的な人間ならば − あるいはこの光景を、映画のように離れた場所から見ることの出来る者がいたならば、またとない興奮を誘うものであったかもしれない。 しかしこの戦場に立つこととなった者たちの大半にとり、自軍の指揮官への崇拝の念と同等以上に、敵指揮官への恐怖の念も、これ以上ない苛烈さで彼らの心を苛んでいた。 そのため、敵への攻勢や反撃は一層激しくなり、最前線は次第に乱戦の様相を呈しつつあった。
 無秩序に突出してきた帝国軍艦艇を、同盟軍の最前衛が度を超した集中砲火で粉砕する。 そのまま勢いあまって敵陣へなだれ込んだ部隊が敵艦隊と完全に重なり合い、敵味方の区別もつかぬ乱射の中で散ってゆく。
 局所的に優勢となった帝国軍前衛部隊が、ビューフォート准将の分艦隊をこじ開けて同盟軍本隊に肉迫した。 旗艦 《ヒューベリオン》 の周りを飛び交うエネルギーの密度が増し、戦艦 《イシス》 が動力部を被弾して脱落。 その隙間へ突入しようとした帝国戦艦は、同盟軍護衛艦の反撃をまともに受けて吹き飛ばされた。
 こじ開けられた隙間を埋めようと、巡航艦部隊が前進する。 だが、帝国艦が最後の瞬間にやみくもに放ったミサイルは、偶然にも旗艦 《ヒューベリオン》 の至近に達する軌道を突き進んでいた。
 数隻の巡航艦がエネルギー弾幕を張りつつ、最大加速で旗艦の前へ突出した。 《ヒューベリオン》 へ向けて突き進んでいたミサイルのほとんどはエネルギーの壁に衝突して爆散したが、最後の一発が巡航艦の腹部へ食らいついた。
 爆発の閃光が 《ヒューベリオン》 の艦橋を照らし出す。 たった今旗艦を守って砕け散った巡航艦の艦名が 《ナルビク》 であることを確認できた者は、艦隊指揮の中枢人工頭脳以外、誰もいなかった。
 敵の猛攻を受けて 《ヒューベリオン》 は艦長の判断により後退し、同盟軍は陣形を左右へと広げた。 突出してくる帝国軍を誘い込んで左右から挟撃しようという陣形だったのだが、これに誘われたのは眼前の第1陣ではなく、その背後にいた第2陣だった。
 前線参加の意欲に駆り立てられた帝国軍第2陣は第1陣を押しのけるように急速前進したが、不用意な突出はいらぬ混乱を引き起こし、ヤン艦隊の絶好の標的となった。 第1陣は背後から割り込んでくる第2陣を避けようと右往左往する間に、的確な一斉砲撃でみるみるうちに削り取られていった。 一方の第2陣は僚軍の損傷艦艇に進路を阻まれ、さらに同盟軍の猛攻から後退しようとする第1陣と衝突しあって、自滅の坂を転がり落ちていった。
 混乱に巻き込まれずに済んだ他の前衛部隊はこの宙域を避けるべく迂回コースを取ったが、そこには辛辣な罠が待ちかまえていた。 混乱のさなかで同盟軍もまた苦労の末新たな陣形を再編しており、彼らは同盟軍の形作った凹形陣の焦点に、自ら飛び込むこととなったのである。 破局のきっかけとなった第2陣の不用意な突出を恨む間もなく、無数の艦艇が爆発光の中で砕け散っていった。
 帝国軍第2陣を指揮していた中将は、この大失態によりその後の人生を不名誉の沼へ沈め去ることとなる。 だがそれも、その後の人生そのものを奪われていった無数の将兵の悲劇に勝るものではなかった。