9.


 宇宙暦799年4月30日。 開戦より七日目に突入し、しかも三日間は帝国軍の多段防御陣突破に費やしてきた同盟軍に、変化が生じた。 80万キロを後退し、小惑星帯へ潜り込んだのである。 主だった将官は 《ヒューベリオン》 へ集まり、現状打開のため緊急会議が行われていた。
 最高幹部の会議の間にも、それぞれの部隊はそれぞれの作業に忙殺されている。 支援艦隊もその例外ではなかった。
 「小惑星帯」 といっても多くの場合、無数の小惑星がびっしりとひしめきあっているというわけではない。 ここバーミリオン星系の小惑星帯も、通常より密度が高いとはいえ、宇宙艦隊が身を潜めるには実際にはかなりの空隙がある。 そのため、工作艦部隊は索敵から逃れるための様々な妨害工作に追われていた。 非武装の支援艦隊を護衛するため、カドムスキー大佐の 《チュンチャク》 指揮するささやかな部隊が周りを固めている。
 そこへ、会議を終えたマリノ准将から連絡が入った。
「カドムスキー大佐! 工作艦部隊に特別任務だ。 部隊の指揮をお願いする。 私は別働隊の編成にかかる」
「工作艦でですか? 一体何を……」
 マリノはニヤリと笑い、「 《魔術師ヤン》 の大トリックのネタ仕込みだ。 別途暗号ファイルを送付したので、ネタばらしはそちらで確認してほしい」


 マリノ准将の別働隊が小惑星帯から躍り出、2時方向へ前進を開始した。 帝国軍から見れば、彼らの正面を避けて左翼方向へ回り込もうとするかに見えるコースである。
 ことさら見せつけるように二つに分かれた同盟軍に対し、帝国軍はどう動くか − マリノ艦隊を主力と見なして追撃するか、マリノ艦隊は囮とみて小惑星帯に潜み続ける同盟艦隊へと向かってくるか、同盟軍に合わせて艦隊を分けるか、あるいは動かずにこちらの動きを見極めようとするか……。
 指揮官たちは、司令部から伝えられたそれぞれのケースに応じた行動計画を、脳内で反芻していた。
 帝国軍は動きを見せない。 それは、確率的には中程度と推定されていたが、対応はもっとも難しいケースであった。
 マリノ准将は 《ムフウエセ》 艦橋で、緊張の面もちでスクリーンをにらみ続けていた。 このまま帝国軍に動きがなければ、加速して進路を変更する予定のポイントに間もなく到達する。
 はたして……
「帝国軍、前進を開始しました!!」
 オペレータの叫びに、マリノは太い息を吐き、脳内の舵を大きく切った。


 いくつもの段に分かれていた帝国軍が、次第にまとまり始めている。 何段もの薄い層では探知しづらかった帝国軍の全容が、はっきりと捉えられていた。
「帝国軍は多段迎撃を放棄しつつあり!」
 積極的な攻勢の陣形へと組み換えられた帝国軍機動部隊は、綱から放たれた猟犬の群れのごとく、マリノ艦隊へ向かって駆け出していた。 囮のマリノ艦隊を主力と見なしたのだ。
 ヤン・ウェンリーの編み上げた芸術的なまでの戦術、その第一幕が始まっていた。
 どのような名曲でも、演奏されなければ紙の上に並んだ記号に過ぎない。 演奏されてはじめて意味のあるものとなる。
 その演奏者の一員たることに、小惑星帯に潜む同盟軍将兵たちの興奮は、急速に高まりつつあった。 それを引き締めるべき指揮官たちも、次第に興奮の色を露わにしていく。
 作曲者ヤン・ウェンリーは、周囲の雰囲気とは対照的に、静かに 《ヒューベリオン》 指揮卓の上にあぐらをかいていた。 メインスクリーンを見上げつつ、刻一刻とオペレータが読み上げる、マリノ艦隊と帝国軍艦隊の座標情報に耳を傾ける。
 その座標が、ヤンの心の中に引かれたイエローゾーンに到達した。
「全艦、突進!」


 マリノ艦隊に襲いかかろうとした帝国軍のスクリーンに映し出されたのは、工作艦が牽引する無数の小惑星だった。 工作艦部隊が小惑星を牽引し、たかだか2000隻程度の別働隊を1万隻もの本隊に見せかけて、帝国軍機動部隊を引きつける。 その隙に、同盟軍本隊は小惑星帯から飛び出て帝国軍本営へと突進する……。
 作戦そのものは実に単純な、幼稚とすら言われかねない手段である。 だがそれを完璧なタイミングで仕掛け、思い通りに敵をはめてしまうこところに、敵にとっての真の恐ろしさがあった。 工作艦に牽引される小惑星の群れをスクリーンに見、そして後背を突進する敵本隊に気付いた時 − 魔術師ヤンに心から恐怖した、と生き残った帝国軍士官が後に記している。
 帝国軍が、目の前の敵が実は囮であったことに気付くのと、小惑星帯を飛び出して背後を突進していく同盟軍本隊に気付くのと、どちらが先であったかは定かではない。 前方の敵の正体に気付いて減速する部隊、後方を突進する同盟軍に気付いて反転しようとする部隊、そして陣容の関係からどちらにも気付くのが遅れて前進し続ける部隊が交錯し、無秩序な混乱が現出していた。 そこにもまた、ヤンやフィッシャーのしたたかな計算があったに違いない。
 小惑星帯から放たれた矢は、うろたえる猟犬の群れを後目に、一直線に帝国軍本営を目指して突き進んだ。
「最大戦速で突進しろ! 一挙に敵の本営を突くんだ!」 アッテンボローが 《トリグラフ》 艦橋の床を踏みならしながら叫ぶ。
「この機を逃したら我らに勝機はないぞ!」
 モートン中将の 《アキレウス》 も、《トリグラフ》 を追い抜かんばかりの勢いで最大加速を続けた。
 大型戦艦や高速戦艦が陣形を無視したすさまじい勢いで突進していくのとは対照的に、フィッシャー中将やカールセン中将の率いる部隊は、加速しつつも一定の陣形を保ったまま進撃していく。 その結果、同盟軍の艦列は縦にどんどん延びていく形となった。
「我が軍の陣形が延びきっています! 別働隊に引きつけられていた敵機動部隊が戻ってくれば、側面を突かれます!」
 危惧を口にする副官に、カールセン中将は吼えるように答えた。
「かまわん! 先頭部隊が一隻でも敵旗艦に食らいつけばそれでよい! 我々はその間に、むしろ敵を引きつけるのだ!」
 それまで帝国軍を引きつけていたマリノ艦隊も、慌てて戻ろうとする敵に追いすがった。
「帝国軍を戻らせるな! 全艦、敵艦隊に向けて突入!」
 マリノ艦隊の一斉砲撃を背後から浴び、おびただしい被害を受けながらも帝国軍はひたすら同盟軍本隊目指して前進を続ける。
 そこへ今度は、工作艦から切り離された小惑星の群れが突っ込んできた。 小惑星の中でもひときわ大きな数十個には、牽引を助けるための動力システムが取り付けられている。 巨大な岩塊が加速しつつ背後から襲いかかり、密集隊形で前進していた帝国艦は次々と追突されて弾き飛ばされた。 一部の部隊が小惑星の軌道を変えようとミサイルを叩き込んだが、軌道が乱れると、今度は小惑星どうしを連結するワイヤーが帝国艦を襲った。 ワイヤーは小惑星を錘として振り回されるギロチンと化し、接触する艦体を引きちぎった。
 工作艦が参戦し、しかも機動部隊に匹敵する戦果を上げたこの戦法は、工作艦部隊の一大佐の発案であった。 その大佐の名までは後世に伝わっていないが、宇宙戦史に特筆されるヤン艦隊の新戦術の一つとして伝えられている。
 背後から猛攻を浴びつつも、帝国軍機動部隊は本営を狙う不逞な同盟軍本隊の側面を突いた − が、この時もう少し彼らが慎重であれば、その瞬間列を乱して減速した同盟軍の真意に気付いたかも知れない。 もっとも、気付いたとしてもすでに手遅れだったであろうが……。
「今だ! 全艦、右舷90度回頭!」
 右側面を突かれたかに見えた同盟軍は、減速しつつ艦首を右舷 − 追いすがってきた敵機動部隊の方へと向けた。 縦に長く延びた艦列のうち、中央部は敵を受け止めるように若干左へと後退し、前後の艦艇は回頭しつつむしろ右へと加速した。 あらかじめインプットされたフィッシャーの緻密なプログラム、ヤンの的確なタイミングによる指示、そして各部隊指揮官の素早い対応による艦隊行動の真意を悟った時 − 帝国軍は、ゆるやかに弧を描く同盟軍艦隊に半包囲されていたのだ。
 規模は異なるが、まさに2ヶ月前のランテマリオ星域会戦における 「双頭の蛇」 の再現であった。
 さらに帝国軍の後背から、マリノ准将の別働隊が包囲に加わった。
 こうして、帝国軍機動部隊は完全に包囲されるに至った。 
 帝国軍は密集隊形をとったが、完全包囲された状況では効果はなかった。 密集すればそれだけ敵の砲火も集中し、被弾した艦艇が至近の僚艦を巻き込み、飛び散る残骸が被害を拡大させていた。
 猟犬の群は、大蛇の胃袋に取り込まれて消化されるのを待つも同然の状態と化していた。


「ゆけ、チャロウォンク少将! 帝国軍本営を突け!!」
 包囲網外縁に位置していた 《アンドラーシュ》 に、モートン中将から通信が入る。
 彼方の帝国軍本営には、機動部隊から切り離されてわずかばかりの直属艦隊を従えるのみの総旗艦があった。 望遠カメラに捉えられた純白の戦艦、帝国軍の象徴ですらあるその旗艦が 《ブリュンヒルト》 という名であるということは、同盟軍でも誰もが知っている。 その純白さは、今や帝国軍の 「蒼白」 さを示すかのようであった。
 チャロウォンクは立ち上がり、メインスクリーンを振り仰いだ。
「全艦、続け! 帝国軍本営を突くぞ!!」
 再編成された突撃部隊が 《アンドラーシュ》 指揮のもと突進を開始した。
 巡航艦10隻が最前衛を突進する。 小惑星帯に潜んだとき、無人化しておいたのだ。まさに、この瞬間のために。
 《ブリュンヒルト》 の周りを固める帝国艦が、無人艦を迎撃する。 が、その隙に同盟軍からの正確な砲撃が帝国艦を吹き飛ばした。
 今や、チャロウォンクの部隊と 《ブリュンヒルト》 との間には虚無の空間のみがあった。
「同盟の勝ちだ! 我々の勝ちだ!」
 艦隊の通信網は興奮に満たされつつあった。
 チャロウォンクは行動にこそ出さなかったが、熱いものを感じていた。
 決して国家を単純に愛していたわけではない。 腐り切った同盟政府を認めていたわけではない。 だが長い間、自分たちが、大勢の同盟市民が行ってきたこと、直面してきた歴史、強いられてきた現実 ― それが今、完結しようとしている! 少なくとも今、歴史が変わろうとしている……!!
「ゆけ! ゴー・アタック・オンリイ!」
 チャロウォンクはベレーを放り投げて叫んだ。 まさしく、彼の乗艦名 《アンドラーシュ》 の由来となった英雄を意識した行動だった。
 効果は絶大だった。 無表情だったハルメニ中尉までもが興奮の色を露わにして身を乗り出す。
 僚艦の砲火が最後の敵護衛艦を吹き飛ばした。
 目の前に、《ブリュンヒルト》 の白く輝く艦体が迫る。
「主砲斉射用意!」 チャロウォンクは叫び、右手を挙げた。
「……撃て!!」


 その瞬間、予想外の衝撃が 《アンドラーシュ》 を襲った。無数の光の矢が 《アンドラーシュ》 艦首を引きちぎるのが、チャロウォンクの見た最後の光景だった。