10.


 正面の大スクリーンに亀裂が走り、側方の計器パネルは脆くも砕けて破片が飛び散った。 眼下の操艦フロアでわき上がった悲鳴や怒号をかき消すように、爆発音が立て続けに鳴り渡る。
 突風が起こり、固定されていない様々なものを巻き上げた。 空気が急激に流出しているのだ。 爆発音も警報もたちまち聞こえなくなる。 通常は発泡剤が噴出して塞いだり、隔壁が降りて流出区画を最小限に止めようとする。 しかし艦体の亀裂程度ならまだしも、直撃弾のような大きな損壊になると、防護システムそのものが損傷して対応不能になる。 こうなるとほとんどあきらめるしかない。 いや、あきらめるなどという間もなく、一瞬に終わるはずだ。
 爆発の炎もかき消され、後は一切の物音がしない絶対零度の宇宙空間に曝されて……
 いや、おかしい。 警報音がまだ鳴り続いている。
 空気が残っているのか?
 この音は一体どこから………


 ぼんやりした淡い光りが目の前にちらついている。 目を凝らすと、やがて天井の照明パネルが輪郭を現した。
「夢か……」
 口に出してつぶやいたが、次の瞬間、未だ警報音が鳴り続けていることに気付いて慌てて左右を見る。
 その時やっと、鳴り続いているのが警報音ではなく、映話装置のごく控えめな呼び出し音であることに気付いた。
 苦笑しつつ起きあがり、受信ボタンを押す。
 画面に現れたのは、白髪の老人だった。
「大変ご無沙汰しております。 具合はいかがですかな、ホリタ閣下」
「これは……ヤマムラ先生ではありませんか。 お久しぶりです」
 ヤマムラ医師は第1辺境星域にほど近い、第2辺境星域の惑星ヒパチアにある総合病院に勤めている。
 あの救国軍事会議によるクーデターの際、ヒパチアに向かうはずだった病院船がクーデター派に拘留されたため、ホリタの元に救援を求めたのがヤマムラ医師だった。 そしてそれが、ホリタたち第1辺境艦隊が反クーデターに立つ直接のきっかけとなったのだ。
「一度お見舞いにうかがおうと思っておりましたが、なかなかおうかがいできず大変申し訳ありません」
「いやいや、先生はヒパチアにいらっしゃるのだし、それは……」
「実は今、テルヌーゼンにおりましてな」
「ほう?」
「イゼルローンにおった愚息も何とかハイネセンまで帰ってきよりました。 先日やっと再会したところです」
「それは良かった」
 ヤン提督の 「箱船作戦」 というやつだな、とホリタは心の中で首肯した。 ランテマリオ星域会戦当時、戦略的見地からイゼルローン要塞を放棄した際、帝国軍に狙われる危険があったにもかかわらず民間人を無事脱出させた作戦である。軍事機密に抵触しない範囲ではあったが、この 「箱船作戦」 は例によって 「エル・ファシルの奇跡ふたたび」 とか何とかマスコミの誇張付きで、かなり詳細にわたって報道されていた。
「でまぁ、私ら医療関係者も、いわば “疎開” の手伝いにここで従事しとるわけでして……」
 なるほど、確かに万が一のためこのハイネセンでも都市部からの疎開は行われている。 ホリタは納得してうなずいたが、ヤマムラ医師の表情はどことなく微妙だった。
「疎開といえば聞こえはよろしいんじゃが……。 これが最後のチャンスかも知れないということで、第1、第2辺境星域出身者の中にも、今のうちに故郷に戻っておきたいと思う患者が大勢おりましてな。 その転院手続きやら様々な手配に追われとるところです」
 それもまた無理のないことであった。
 同盟が勝てばよいが……無論ヤン元帥を疑うわけではないが、ヤン元帥といえども全能の神ではない。 同盟軍が敗北すれば、次はハイネセンが攻撃されるかも知れない。 戦場とはならずとも、同盟が敗者となれば、たとえ同盟領内であっても恒星間航行は著しく制限されるかも知れない。 そうなる前に故郷に帰りたいというのは、極めて当然の心理といえた。
「そこでですな、ホリタ閣下……閣下もラムビスというわけにはまいりませんが、よろしければうちに……ヒパチア総合病院に転院なさいませんか。 診断書と紹介状もすぐに準備させて頂きますが」
 ああ、そうか……とホリタはヤマムラ医師がわざわざ自分のところへ映話をかけてきた意味にようやく思い当たり、それまで気付かなかった自分の迂闊さに、心の中で苦笑した。
「いや、先生、お気遣いは大変ありがたいのですが……やはり私はこの地で、今戦っている戦友たちの帰還を待ちたいと思っておりますので……」
「うむ、そうでしょうな。 いや、こちらこそ失礼しました」 ヤマムラ医師の表情は、むしろ予想通りといった感じだった。 「数日以内にバーラトからヒパチアへ発つことになると思いますが、それまでには一度お見舞いにうかがいますよ」


 映話を終えてから、ホリタはベッドに腰掛けたまま天井を見上げた。 まるでその先にあるはるか彼方の宇宙を見ようとするかのように。
 無論故郷への気持ちは決して変わるものではないが、今大切にしたいつながりは……そのほとんどは、このハイネセンと、そして今この瞬間、バーミリオンにある。
 枕元に置かれた花束に視線を落とす。 根本に簡易栽培槽が仕込んであって、その気になれば1ヶ月以上花が咲き続けるものだ。
 一つはベティ・イーランドが持ってきてくれたものだ。 同盟そのものが存亡の危機に瀕し、反戦市民連合も行動の方向性を見失って右往左往しつつあるという。 もう一つはミリアム・ラスキーからのものだった。 彼女の義父、故ンドイ中将はランテマリオ星域会戦で戦死した。
 そして目覚める前の夢が再び浮かび上がってくる。 宇宙艦乗りなら誰でも見る悪夢だ。 実際に体験して生き延びる者は少ないため、実のところその内容は想像の部分が多い。
 枕元のモニターをいじると、これまでに見舞いに来てくれた部下や知人の名前が流れていった。 今この瞬間にも艦隊戦のただ中にいるであろう知己が、あの夢の光景に現実に遭遇することのないようにと、祈らずにはいられなかった。


 ヤマムラ医師の映話より3日後。
 夕闇迫るハイネセンポリスの各所から、無数のサイレンが鳴り渡るのが聞こえた。緊急車両のものではない。
 ホリタは窓際に歩みより、カーテンを開いた。やや高台にあるファン・チューリン記念病院の窓からは、ハイネセンポリスの一角を見渡すことができる。そこから見える街並みの、騒然とした空気がホリタの元まで届いていた。
 いくつものサーチライトが上空へ向かって投げかけられる。
 夜空を見上げると、星々よりも強く輝く銀色の光点群がいくつもあった。
 残存兵力の全てをバーミリオンへと向かわせた現在、あれほどの大編隊が同盟のものであるはずがない。
 とすれば……。


 宇宙暦799年5月5日。自由惑星同盟首都ハイネセンポリスは、史上初めて帝国軍の艦隊を上空に仰ぎ見ることとなったのである。